金星の女神学校≪サロメ≫の感想です5

「金星の女神学校」に参加させていただきまして、ありがとうございました。



元々自分を優れているものに見せたい、他者より優れていたいという欲求が強く、マスターからも『優劣を決めて、苦しんでいるのは、あなた自身なのだよ。優劣を越えることだ。』『優越的完全を求めないこと』と以前から折に触れ言葉をいただき、しかしうまく消化できずにいました。


最近、この部分が「自分でも嫌なのにうまく手放せない」みたいな状態になっていましたが、史衣さんの星の解説で男性性の傷の哀しさを自覚し、《サロメ》は、私の女性性が自らの男性性の傷を癒す力を取り戻すための素晴らしい恩恵になるだろうなあと思いながら、参加しました。



サロメ》の情報は膨大でしたが、エントリーメールにおいて、到達点としてとてもシンプルなことが集約されて提示されたことに感動しました。そして事前には、「嫉妬はあまり関係ないかな?」なんて思っていたのですが、「うわあ!そういうことか」と核心をつかれた思いで苦笑い。何故嫉妬するのかを考えれば、自分の気持ちが見えてきます。



とある女性作家さんが思い浮かびました。著作を読むことなく、よく知りもしないのに「嫌い」と思っていました。何故嫌いなのか。実際よく知らないのでこれは勝手な私の思い込み(投影)であるのですが、ゆえに自分の気持ちが透けて見えます。


彼女は現代の一般的傾向からいうと美人とされるタイプではなく、でも全くそんなことに囚われず、自分を愛し、人生を愛し、人生を謳歌しています。セックスも大好きと発言してます。つまり、自分と真逆であり、そして本当は自分がそう在りたいと思う生き方であるから、嫉妬していたのですね。コンプレックスでガチガチの私は、「優れている」仮面を作り上げて他者と対峙しようとして苦しい迷路に入り込んでしまったのに、彼女はリラックスして、何も加えない(仮面)であるがままでいるのに愛されて幸せで・・・「ムキーッ!」と八つ当たり的に嫌っていたわけです。


「あるがまま」を生きている人に感じる強さは、「真実」の強さでしょう。偽りは一瞬で崩れ去りますが、「真実」は消しようがないのだから。《サロメ》の解説でも、『それゆえに、誰にでも、迎合するエネルギーではない』と語られた、その自然な強さに憧れました。前回《ヴィーナス》から続く「依存」のテーマにも繋がる「あるがまま」の強さを感じました。人を壊す(支配する)強さではなく、自分を崩さない強さ。人の評価に依存せず、自分の中で満ち足りている強さ。その強さに憧れ、そうありたいと願いつつ、自分の真実に繋がるのが怖いという気持ちがあることに気づきました。真実が愛と光をもたらすのは分かっているのに「見たくない」という気持ち。何故こんなに怖いんだろう?と思いながら、翌日の開催を待ちました。



☆当日。今までと違った雰囲気で、非常に静かな空気に包まれているように感じました。エントリーメールで語られていたサロメの「静謐さ」と「純粋さ」。それはどういうことなのか?また、どうしたらそれを備えられるのか考えていました。☆



静謐を支えるのは天への信頼。真実は常に静けさと共に在る。虚飾無く、ただそこに在る。真実に触れる時、心の混乱がおさまり、静けさが訪れる。



☆しかし私は真実に触れることに恐怖を抱いているが?☆


真実に付随する「地獄の変革」のことは別問題として、まずは真実に浸る。自分の偽りや不実の奥に隠れている真実に、ただ手を伸ばし触れるだけでいい。そして見えてくる、変革へのエネルギーが湧いてこないという次なる真実を共に抱いていればいい。必要なことが分かるだろう。変革のためのエネルギーをためることが、今は必要なのだ。真実を見て苦しみが生まれたかな?違うだろう。苦しみから抜け出す道を指し示してくれただろう。



☆真実を現実に反映させる力が湧かず、腰砕けのような状態。エネルギーをためるにはどうしたらよいのでしょう?☆


エネルギーの枯渇とは、すなわち愛の枯渇だ。自分をジャッジせず、ありのままを今すぐ愛すること。成長するのは素晴らしいことだが、成長しなくても別にいいのだ。それは本人の自由意志の問題で、それと愛されることに関連はない。だから「成長しなければ」という強迫観念は捨て、あるがままの自分であることを感じることがすなわち、愛を注ぐということになる。微細な、かすかなサインも逃さずにキャッチする。それはあるがままの自分であることに心を傾けていなければ出来ないことだ。そうして、あるがままの自分が放つ光を知っていくことになる。今はまだ何も知らないに等しい。多くの人がそうだが、自らの美しい光を知らないまま、深い闇を彷徨っているのだ。「〜せねば」は一切必要ない。ただ真実を見るのだ。そして全てを許してよいのだ。真実以外に闇から抜ける道を照らす灯火はない。そしてあるがままを許す愛の魔法、愛の力を身を以て知っていくことになる。そして純粋さを取り戻す。愛を信じて疑わない純粋さに辿り着く。


あるがままの自分(真実)が送ってくるヒント「〜したい」という小さな思い、小さな楽しみ、小さな喜びを積み重ねているうちに、今はとてもできないと思っている事柄を、当たり前のように自然になすことができるエネルギーがたまっているだろう。



☆(これはシークレットに繋がってしまう?部分です。史衣さんへのレポートということで、一応書きます)部屋にあったレモンの木の鉢植えを見ていたら、サロメのようだと思いました。静かで目には見えないほどの動きですが、止まっているわけではなく、必ず成長し、花開く。以前の女神学校で、植物は母性意識に満たされている(『大いなる母性の存在に等しく愛されているという意識』)と聞いたけど、同じような性質・行動パターンが人間(サロメ)として表現される時、大自然に人が惹きつけられ、心震わせるように、惹きつける力を持つのは分かる・・・ような分からないような・・・。☆



大自然に抱かれるという言葉があるが、それは比喩的なもので、3次元的物理的に交わる訳ではない。だが、大自然のような人間がいたら?惹かれてそして交わりたい、抱かれたいという思いを抱くだろう。それがサロメの魅力だ。純化された女性性・男性性を持つ女性と純化された女性性・男性性を持つ男性、つまり純化された女性(女神)と純化された男性(男神)が交わる時、1つの世界が作り出される。美しい創造。宇宙の秘儀。それを知りたければ、自分の愛と真実を求め続けること。新たな宇宙の創造に参加することになる。



真実は静けさをもたらすが、逆に静けさの中では真実が見えるとも言える。静かな時間を作る。瞑想。心を落ち着かせる必要がある。静けさは、光がさし込むスペースを作る。


愛を信じる純粋さへの道は、浄化の道。傷を癒し、淀みをクリアにしていけば、自然に到達できる。「愛を信じよう」と心がける必要はない。あるがままでいるためには、何も強制してはいけない。ただ叡智の光に導いてもらう気持ち・意志さえあれば、あとは自然に起こるペースに従えばいい。コントロールしてスピードを早めようと急ぐ必要はない。それは偽りに走ることで、遠回りになってしまう。あるがままの真実。無理をしない。自然なペースで。それが一番の近道。そこでする経験を楽しんで。2つとない、その時だけ体験できる世界だから。その状況でのみ感じられる楽しみを追求して楽しむのは、素晴らしい経験になるだろう。同じ日は、2度とこない。


学校の翌日ずっと頭の中でラヴェルの「ボレロ」が流れていまして。バレエ音楽ですね・・・サロメの舞と結びつけるのはこじつけ気味ですが、感じたことがあったので、書きます。ずっと同じリズムが繰り返され、同じメロディー(2種類のメロディー)を様々な楽器が順番に奏でていくこの「ボレロ」という曲。シンプルな構成ゆえに、「静けさ」を感じます。楽器同士がある意味交わることなく、ただ一緒に流れていく。戦うことも、特別愛し合うこともなく、ただ寄り添うように一緒に流れていく。「平和」です。しかし、ピンと張りつめたような緊張感もあります。互いの呼吸を肌で感じているような一体感もあります。同じリズム・メロディーを奏でているゆえに、それぞれの個性が際立ち、壮大な世界が展開していきます。


やがて全ての楽器によって新たなメロディが奏でられ、曲が終わります。その最後の高揚感は、全ての楽器が一緒になってあげる歓喜の歌のようです。この曲に、全てを貫いて流れている森羅万象のリズムとそれにのって踊る全ての存在、そして1つの世界・ワンネスを感じました。情熱的で何となく官能的な陶酔を感じる一方、地上の苦しみ・悲しみを達観しているような渇いた悟性も感じます。平和なのに停滞ではなく、全ての個性がその個性を謳歌している感じがいいな〜と思いまして。今回のセッションの一面を表しているのではないかと感じました。
(実は数年前は、とあるフランス映画を見て、その憎悪と復讐が繰り返される戦いの螺旋をラヴェルボレロのようだと思ったのです。だから最後は歓喜ではなく、世界の崩壊の音だと思いました。今度は平和とワンネスを感じるなんて面白いです〜笑)



夜になって、何かが胸に湧きだすのを感じました。ときめき?なんだか、これから始まる新しい生活への期待に胸を膨らませる新入生みたいな気分。「凄いなー」と思いました。女神、マスター、今回の学校に関わってくださった全ての存在に感謝しました。ありがとうございます。



ひと月前から、フラワーエッセンスでのワークにストップがかかりました。それは、「自分を矯正すべき対象と見ている部分」を手放すためと、「足りないけれど、足りている」ということをより深めるためであることは分かったのですが、「早く再開したいな〜。ワークしたいエッセンスは沢山あるし」と思っていました。例えば、自分がシリアス過ぎるのは分かっているので、子供心・遊び心を教えてくれるエッセンスを摂ってみたい♪とか考えていました。でも、それは現在の「ありのままの自分」へのコントロールなんですよね〜(私の場合)。やっと分かりました。全ての照準を「ありのままの自分」に定める、というのが今の私の道。



あるがままであることを胸に、あるがままの私がどこへ導いてくれるのか、楽しみに見ていよう、ついていこう、と思いました。


史衣さん、大変お世話になりました。
今回も素晴らしいセッションをありがとうございました!
これからの女神学校がめちゃくちゃ楽しみです。