金星の女神学校≪サロメ≫の感想です(12次元ナディ)

22日は「12次元ナディ」と「金星の女神学校」という2つのセッションをありがとうございました。
(注:同じ日に12次元ナディアチューメントも受けられたかたの感想です。)



この2つは、私にとって「ありのままの自分を愛する」というテーマに強力に光と愛を注いでくれたものだったと思うので、明確に分けて考えられないのですが、一応まずは「12次元ナディ」の感想を書きます。事前学習が濃かったです。女神学校のレポートは別に送りますね。



恋愛の《ヴィーナス》も敷居の高いテーマでしたが、性・官能・セクシャリティが、テーマの《サロメ》はさらに敷居が高くて気が重かったのですが、でも「レポート必須じゃないから、最悪逃避してしまっても大丈夫」という逃げ道を作っていたので(女神やマスターに申し訳ないのですが、これが今の私・・・)、「レポート必須への変更」のニュースはなかなかに衝撃的でした。でもそんな心の動きに表れている、「ありのままの自分」への抵抗・拒否感ゆえに、12次元ナディを受けさせていただきたいと私の魂(潜在意識)が求めたのではないかと(笑)思います。史衣さん、素晴らしい機会をありがとうございました。



サロメの事前情報として語られた中で非常に興味深かったのは、大天使サンダルフォンによって意図された『洗礼者ヨハネの≪サロメ≫に対する「供犠」』ということ。そして、史衣さんの当時の職場においてのエピソードと絡め、『男性が≪サロメ≫を求めているのは、自分を≪サロメ≫的女性性の傷や痛みの魂の癒しのために、自分自身を供犠に捧げたいという意思衝動も、つまり「愛」もあるようです。高次レベルでは、どうやら!(驚)。』ということで、私もハッとさせられました。本当に全ては善悪を超えているのだなあと思いまして。



でも、全ては愛から派生し帰結する宇宙の素晴らしさを感じると共に、感情的に不快に感じる状況でさえ元を辿れば「愛」だなんて「嫌だな」という2つの思いが出てきました。いっそ「善悪」があれば、気持ちが楽なのにと思ってしまいました(汗)。でも「悪」が存在するなら・・・一生安心なんてできないんですよね。最近、「自分が現実を創っている」のに何故自分はこんなに外側の世界が「怖い」んだろう?と考えていた時に「敵を探しているから、敵が出現する」と浮かんで、「なるほど〜」と深く頷いたのです。二元論を超えられないのは、二元論を求める心があるからなのですよね。



そして、二元論を超えていなくても(意識は幻想の檻に入っていても)、実際には二元論などない宇宙に存在しているからこそ、全てと繋がって私が望む(選択した)現実が目の前に作り出されるし、その現実についてもあるレベルでは「怖れの投影」と解釈できるし、別のレベルでは「苦しみゆえに天の愛を求め、天の愛に目覚める機会が与えられた」とも解釈できる。今までのセッションと今回の12次元ナディとサロメで、十分な光と愛を受け取っているのだから、あとは執着を手放す勇気を出しますっ(宣言!でもゆっくりで:笑)。



「12次元ナディ」の前日に、改めてエントリーメールを読ませていただいた時、以前は何も感じなかった(汗)部分で胸が熱くなりました。それはイエスが『あなたがたに無償で自分の全存在を捧げるという献身を行うことを可能にさせた力こそ、この12次元≪熾天使の次元≫、燃える愛のエネルギーです。』『それは、あなたがたへの愛ゆえに、どんな試練にも打ち勝つことが出来ると知っていたからです。』と語り、彼が地球上の全ての存在を救うためにした行為が、『洗礼者ヨハネの≪サロメ≫に対する「供犠」』と同じであることに、ここへきて初めて、本当に気づいたからなのです。



深い深いところで、私の顕在意識が認識できないところで、確かにもうすでに私は救われているのだと思い、キリストの愛に胸が震えました。去年の8月9日の記事でウリエルが語った『この世に救うべき人など、いない。すでに、すべての人は、救われているのだから。叡智は、あなたを「自由」にする。』という言葉が何度もリフレイン・・・。そして、キリスト後の世の中の混迷は、(サロメについて語られていた部分と同じように)癒しを受け取るために、蓄積された膨大なネガティブなエネルギーを解放させてきた時代だったのかも、なんて思いました。



そしてこの史衣さんの8月9日の記事で、七夕からのシフトについてお話ししてくださっていますが、当時、「自由」が「執着からの解放」「過去からの解放」だという意味が分かりませんでした。自分を不自由にさせているのは、自分だという意識がまだ無かったので、「どういうことだろ〜?」と首をひねったまま、時が過ぎていたのですが、やっと分かりかけてきました!



私は、自分も頭と体がバラバラだという意味では、純化される前のサロメだな〜と感じていました。内面と現実(肉体)が一致していない。その原因は、ありのままの自分への嫌悪です。サロメ開催告知前後から強烈に湧き上がってきたのは、「もっとうまく出来たのではないか」「より良い選択、愛に添った人生を送れたのではないか」という思いです。今、高次から叡智の光を受けたからこそ、そう思うのであって、当時は知らないのだから・・・と頭では分かるのですが、高次の叡智、真実をいつだって「本当は知っていた」はずで、真実に向き合う勇気があれば、全く違う素晴らしい人生になっていたのではないかという思いが捨てきれず、停滞していました。



「愛と自分に対して不実だった過去(の自分)を許してしまっていいのだろうか?」という思いもありました。でもすぐに、現実にその心境が反映されまして、苦しくなり(笑)、「落ち着いて考えてみよう」と再び自分に向き合った時にやっと、「結果はどうあれ、過去の自分もその時その時一所懸命だった。頑張っていた」と思えました。史衣さんは12次元ナディ関連記事で「下降(ディセンション)との和解」という言葉を使ってらっしゃいましたが、それに影響されて「過去との和解」という言葉が浮かびました。実際は、「和解の始まり」ですが。



もう内面の「苦しみ」を現実に反映して苦しみたくなかったので、自分に快適さを許可するにはどうしたら良いのか、真剣に考えました。そこで「内なる喜びと繋がる」という出発点に戻るわけですが、私にとって何が喜びなんだろう?と分からなくなってしまいまして。。。旅行、趣味、エステ?何が楽しくて、何が喜びをもたらすんだろう?何も浮かばないし、何もしたくないと思いました。



やがて、ふっとんな思いが浮かびました。「こんな私を全て知っていて、『それでもいいよ』と愛してもらったら、凄く嬉しいな」と。「そうしたら、凄くパワーがもらえるな」って。それでやっと気づいたんです。何故ありのままの自分を愛することが必要なのか。無条件の愛が、それを注がれる者に自ら立ち上がる力を与えてくれることに気づいて、「そうか〜」と納得。そして何故か深く安堵しました。19日深夜(時刻的には20日に入っていたかな)のことでした。



しかし!女神学校の方で書いてますが、その後もまだウダウダやってました。すみません。でもおかげさまで、大分わかってきました。ありがとうございます。



22日当日。トランスミッションの時は眠ってしまって覚えていないので、12次元ナディってどんな感じなのかな〜?と思いながら横になった体勢で受けました。



実は浮遊感を感じさせるような、軽やかなタイプのエネルギーなのではないかと想像していたので、非常に静かに深くゆっくりと注ぎ込まれていくような感覚に、受けていて厳かな気持ちと愛のエネルギーを受けて嬉しい気持ちになりました。肉体感覚としては電気のピリピリに近いような、でも本当に微細な振動で、それが少しずつ全身に広がり、やがて大きなうねりに変わっていきました。そのうねりが深いところで起こっている(?)ゆえに静かで、不思議な感じでした。後半、右の肩や首や頭にエネルギーを感じました。解放されるべきものが浮かん
できていたのかもと思います。


今回も素晴らしいセッションをありがとうございました!