またまた怒りについて......。(12次元的に)


12次元的な学びを定着させるためには、やはり自分のなかの「怒り」、特に古いものに対しての対処が必要となりますね(浮き出てくるので)。たぶん本当は、過去の怒り全部を手放すことが理想なのでしょうけれども(そしたらここには居ないでしょうし、笑)、少しづつ一歩一歩です。  ゆっくり、そして余裕を持たせる、無理をしないこと、そして自分に(愛を)与えることが、怒りへの最善の対処です。


さて、以下は、シュタイナーの言葉です。

「わたしたちが、外なる自然を眺めるとき、奇妙な現象が目につきます。
同じ種を繁殖させるために、自然は途方もない数の胚種を破滅させて、ごくわずかな数だけをそのために用いるのです。
海中には、途方もない数の魚卵が存在していますが、その中のごくわずかな部分だけが魚となり、他は破滅してしまいます。
田畑には途方もない数の穀物の種が存在しますが、そのごくわずかな部分だけがふたたび植物に成長し、他は人間や動物の養分になるために植物としては破滅してしまいます。
生命存在としての持続的な流れのなかで、結実し、そしてふたたび発芽するものよりも、自然は途方もなく多くのものを産み出さなくてはならないのです。
そしてそれは自然にとって良いことなのです。
なぜなら、自分の属する生命存在の継続する流れから逸脱してゆくものが、他の生命存在の継続する流れに奉仕するということ、これが自然を支配する秩序と必然性なのだからです。」


「すべての胚種が発芽し、成長していくとしたら、生物は存続していけなくなるでしょう。
他の生物が成長するための、いわば土壌作りに用いられる胚種がなくてはならないのです。
外から見たときにのみ、何かが失われてゆくように見えますが、実際は、自然の創造行為においては、何ひとつ空しく失われはしません。
この自然のなかには霊が働いているのです。
そして外から見ると、何かが進化の絶えざる流れから消えてゆくように見えますが、しかしそのことは、霊的な叡智にその根拠があるのです。
それは霊的な法則に基づいていることなのです。
私たちは霊的な観点からこのことを観察しなければなりません。
そうすれば、一見世界過程の流れから逸脱してるように見える事柄の中にも、正当な存在理由が見いだせるはずです。
だからこそ、霊的生活がこの地上にも必要なのです。」


ちょっと長かったのですが、わたしたちの怒りの根拠になるものを考察&観察するときに、とても役に立つ視点だと感じたので、引用しました。


昨日、大型電気店でレジ待ちをしていたとき、後ろからかなり刺のある言葉が聞こえてきたのです。「お前は、ほんとうに幸のない顔をしているな!、その髪型も変だよ、うんぬんかんぬん。」
ちょっとびっくりして思わず振り向いてしまったのですが、そこには、ある一家族がいて、父親が娘に投げかけていた言葉だったんですね。
ええっと思いながらも、お母さんらしき人もそれを聞いて知らんぷりだし、なんとも殺伐とした感じが漂っていました。
たぶんこのお父さんは、たくさんの怒りを抱えていて、無意識にそういう言葉を出しているのだろうと感じました。
言われている小学生高学年か、もしくは中学生の娘さんは、傷つかないわけにはいかないだろうと思って見てみましたら、感情を無感覚にしてやり過ごすというエネルギーの状態になっていて、ほぼ無反応でした。
これは、もう長い期間そうなのだろう。
だからこそ、傷つけているという自覚無しに、この娘さんに、そのような怒りを発散できるのだろうと感じました。
このお父さんは、誰かに当たらなくては、もう壊れてしまうような状態なのかもしれない。
それをこの娘さんが自分を犠牲にして受け止めていると感じました。
下のたぶん妹さんは、そのためにそれを逃れているという感じでした。
おそらくお母さんも、娘さんのおかげで、それを逃れているという感じでした。


以前だったら、わたし自身もすごく怒りを感じてしまうシチュエーションでした。
けれども、今回は、少し距離を置いて感じることができたと思います。家族や、人間関係は、深いものがあります、
ある部分では、みんな同意で、その状況を許しているのでしょう。
いつかは娘さんもこのままでは壊れてしまう時期がやってくると思います。
そんなときに、この娘さんを助けるたくさんの状況がもたらされて、それをこの娘さんが前向きに受け止めて、自分を癒して行ってくれればいいなと、心の底から思いました。
それが、「過去の怒りに対処する」というタイミングなのだと思います。
おそらくこの娘さんが、それに前向きに取り組まなければ、自分の父親の繰り返しを誰かに、更に重いものとして、ぶつけることになるのだろう、そのための試験を今回この娘さんは選んできたのだと思います。


わたしたちが、心に描く人間的理想として、また動物的本能からなる父性愛や母性愛からしても、このご両親は、逸脱した存在かもしれません。
現時点でいくらでもジャッジすることができるでしょう。
でもシュタイナーが語っているのは、まさにこのようなことを指しているのかもしれません。

「自分の属する生命存在の継続する流れから逸脱してゆくものが、他の生命存在の継続する流れに奉仕するということ、これが自然を支配する秩序と必然性なのだからです。」


高い視点から見れば、このご両親は、自分を逸脱させ、犠牲にすることで、この娘さんの霊的発達に自分を奉仕させているのかもしれないのです。
というか、そうなのでしょう。


「一見世界過程の流れから逸脱してるように見える事柄の中にも、正当な存在理由が見いだせるはずです。
だからこそ、霊的生活がこの地上にも必要なのです。」


この霊的視点をもって、この娘さんが、自分を癒し、成長を果たした暁には、人類という種のために、更なる「愛の奉仕」を決意することでしょう。
そのために、高次の存在や、マスターたちは、わたしたちを常に助けているのでしょうから。
そして、このような苦しい試練を経るからこそ、自分が進化に≪選ばれた≫ということを謙虚に受け止めることができるのだと思います。
そしてその思いがわたしたちに「奉仕」に思いを向けさせる。


そして、これが、わたしたちの「怒りの対処」の大きな鍵のような気がします。
でも、ゆっくりです♡

また、わたしたちは、みんな一緒ですから、成長の過程で、この試練は、誰でもが経験するのでしょう。いつ経験するのか?という違いだけなのだと思います。
もし、今すでにこの課題と向き合っているのなら、大いなる高次の愛の助けを受けて乗り切ってゆきたいですね♡