第7回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiii(12次元以上)

こんにちは。ナディの感想です。


ナディの前数日間は、生きていることそのものが辛い、といった気持ちがずっとでてきていました。特定の感情にフォーカスされているというより、人として生きることそのものがとても辛くて、もうわかったら、勘弁してください!みたいな気持ちになっていました。


そしてナディを迎え、12次元以上かぁ、ちゃんと受け取れるだろうか、ガイダンス読んでもいまひとつ頭に入ってこないしな、と思いながら瞑想に入りました。その時の感覚は、なんの問題もない、安心と平和のみ、といった感じでした。
ラクルカードなどもひいてみましたところ、やはり、心配ないよ、高次の計画はちゃんとなされています、あなたは抱えているものを手放していきなさい、といったかんじでした。


生きているのがしんどいようといった感情がでていた時、どこかそれを冷静に見ている自分もいて、人として生きるってすごい大変なことなんだよなぁと思ったりしていました。別に悟りを開いてしまったわけでは、もちろんありません(笑)でもふと、人として地球に生まれてくる経験は、再び上昇するための下降であり、そうそう楽なものではないわけで。


つい自分の感情や考えに対して、こんなくだらないことを考えたり思ったりしてはいけない、そんな感情は持ってはいけない、と自分を否定したり、責めたりしてしまうのですが、そうでなくて、どんな些細な感情も、同じに尊い経験なのではないかなぁ、と思ったのです。


多くの人から尊敬されるような人もいれば、人を傷付けてしまうような人もいて、でも、生まれ育ってきた環境などが違えば全然違った人生になった可能性は大いにあって…などと考えると、それぞれの魂が選んだ人生をそれぞれの想いで生きていて、どんな立場のどんな人も、同じに価値があって、同じに尊いんだな、などと思ったりしていました。


優劣をつける必要も、判断する必要も、自分を責める必要も、何にもないんだな、と思いました。
普段だと、頭ではわかっていても、本当にそうだと思えることはなかなかなくて、でも、今回のナディで、そうしたことを改めて考えさせられた気がします。


つい最近いただいたクマラからの前回ナディのお返事の中で、「あなたは、なかなか自分に甘くすることが難しいようだね」という言葉をいただいていて、そうなんだよなぁ、許す方へと思いながらも今一歩、そこを越えられない自分がいて、どこかに「きちんと」とか「ちゃんと」とか「もっとしっかり」とか思っている自分がいます。


これは、できた子でないと愛されないとずっと思ってきた自分、そして、潔癖なまでにきちんとしっかり自分を律した女性というものを求める母の影響は大だなと思います。ここがなかなか手放せないでいます。だらしなかったり、みっともなかったり、情けなかったり…など人間であるなら大なり小なりあるもので、でもそれがあったら愛されない、許されないような気がずっとしていたのです。


でも、そんなこと言ったら一生愛されることも、許されることもかなわないのに。だからきっと、もう生きてること自体がしんどいような気持になってしまっていたのだと思います。


どんな感情を持っても、どんな自分がでてきても、許して受け容れないと、その感情をさらに洗練させることも変容させることもできないだろうし、自分に慈悲・慈愛を持って許していかないと、生きる力って湧いてこないんですよね、もうなんかどうでもいいよ…みたいな気持になっていってしまうので。真実を探し真実を表明していくことも、高潔に歩むことも、女神として再び目覚めていくことも、自分の中から湧いてくる力がないと、そうする勇気も情熱も持てません。だからこそ、自分に対して優しくしてあげないとだめなんですね。そうして自分を愛で満たしてその力を養っていくことが大事なんですね、きっと。


そして、その後のヴィーナスファンデーションにつながっていくんですね。家族の温かさによって英気を養うんですね。

むやみに自分に厳しくしてもなにも生まれない、ということを肝に銘じて(笑)自分を大事に、自分の選んできた人生を愛し生きていたいと思います。

ありがとうございました。