第7回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiii(12次元以上)

12次元ナディの感想


とても、よかったです。マジェンダ色の愛に包まれていることはとても安心して、幸せだと感じました。わたしはマジェンダでいいんだと、強く後押しされたようです。それにともない、たくさんのマジェンダの光と遭遇しています。


これは毎回思うのですが、自分がナディを受けると決める前から、マスター次元でわたしは面子にカウントされているのではないか?と思うのですね。11次元のときにはすでに12次元のことが降ろされて準備をすすめられているというか。


それでエントリーの連絡をする前から、高いレベルの浄化が起きてきました。ありがたいことには、近ごろは感情的に痛むことがすくなく、集中的にコタツで寝ている間に“バシっ”とエネルギーとしてでていくような感じです。しかし、非情に深いところに入っているなと感じました。まぁ、一日二日、強烈なのが瞬間的にでてきましたが・・・・だけど、じぶんは愛を信じる、というところにすぐに戻すようにしています。そのためには静寂の時間を自分に与えることも、たいせつだと感じました。


11次元のときにはっきりと来たメッセージは六芒星でした。六芒星ダビデの星
ダビデの星は、正三角形が二つ重なった星ですので、調和、ハーモニーという意味があるそうです。聖三位一体が二つ、ツインフレームの意味があるのかなと思っていました。


そしてこのクリスマスに気づいたことが、ベツレヘムの星はマカバ、魂の乗り物なのではないかということでした。マカバについては次のテーマとしてとっておきますが、これはは異次元への乗り物だそうで神聖幾何学という分野が11次元ナディのあとからサインとしてきています。


12次元ですが、無条件の愛というのは、マグダラのマリアなのですね。イエスマグダラのマリアの統合的なところに無条件の愛が存在するのかと。クリスマスはリバース,新しく生まれ変る時期と感じて、だとしたならば、クリスマス前のナディのころは静かに、生まれてくる自分のために調整する期間だと感じました。宇宙の子宮であるマリアの子宮(聖杯)を通って、生まれでて、ツインフレーム、六芒星になる、そのようなイメージでした。


エスというのは象徴的なもので、カレがどうこうではなく、Christというのはみなのものだと思うのです。クリスマスにChrist キリスト意識が生まれる、その生まれるときに三賢人がきてベツレヘムの星が輝いた、すてきなきれいなおとぎ話のようですが、これこそが、人類に与えられた大きな叡智のように思います。ベツレヘムの星=マカバ


その叡智、人間の霊的成長にとって最終的に受け止めて血肉としていく部分が、今回の12次元、マグダラのマリアに象徴される女性性の完成の部分なのかなと感じました。マグダラのマリアはイエスが苦しみの十字架の磔刑にあったときに、その道行きに同行しています。想像しただけで辛いことですよね。目の前でじぶんの愛した人が悲惨な目にあって死んでいくのを観るわけですから。しかし、マグダラのマリアは燃えるような愛で、愛した喜びにフォーカスして乗り切るのです。そして、イエスの復活を一番に信じて、証人となりました。


12次元ナディの日、9時からコタツで家族とテレビをみていました。ライヤーゲームというドラマです。 ライヤー=嘘つき。このときのせりふが入ってきました。

「悪魔は十字架をゲットして天使になる」 
「信じることだけで勝つ」

なんてすごいセリフでしょう。


わたしたちは誰の中にも悪魔がいて、天使がいます。自分が天使だけの存在であると主張する人こそ嘘つきだとわたしは思います。しかし、これまでの宗教的な教えでは、じぶんの中にも悪魔がいると認めることが難しく、そのために白塗りのお面をかぶったような○○教徒が出来上がってきました。正直な人は、自分の心になかの天使の部分も悪魔の部分も見えているはずです。


だけど、悪魔を否定するところ=抑圧するところには、解決はないのでしょう。それが心の葛藤だからです。十字架=キリスト意識をゲットして悪魔を天使(キリスト意識をもつもの)へと変容.昇華させていくところに生きる喜びも、人として生まれてきた意味もあるように思います。
そして、それこそが、アセンション.ライトワークだとわたしは思いました。


ただ、このとき男性的キリスト意識の象徴であるイエスにだけにフォーカスしているとアンバランスだよ、というのがわたしが理解したことでした。マグダラのマリアの女性的なキリスト意識の現われも自分の中で再評価、再認識、してイエスと同等のレベルまで引き上げて認めるということがたいせつなのだとわかりました。これまでの世の中、女性がどこの社会においても虐げられてきたのは、わたしたちの中にあるマグダラのマリアの要素がないがしろにされてきた結果の表れなのでしょう。いまこそ、それを再認識して高く評価するときなのかもしれません。


わたしの中でイエスマグダラのマリアというのは、アマテラスとアメノウズメとかぶります。
わたしたちのなかで「太陽」「神の子」「真実の自己」が現れてくる前には、アメノウズメのように捨て身になって裸になって自分の女性性(セクシャリティ)をも自信をもって主張できる自己受容があって、それは浄化と昇華.洗練された第二チャクラの働きがあるのだと思いました。マグダラのマリアセクシャリティは娼婦というレッテルをキリスト教社会で貼られてしまいました。それで改悛のマリアとかいうセクシャリティを主張することが、罪深いことで“回心”“改悛”の必要のあることだという“、デマ”を信じ込まされてきました。が、しかし、ナディでずっとわたしたちを導いてきてくれたマグダラのマリアの愛こそが、いま、復活を必要としていてイエスと同じくらいたいせつに扱われてよい部分なのだと思いました。


マグダラのマリアの炎のような情熱は、マジェンダ、スカーレットの色で表されていますが、クリスマスイブのバチカンのミサで、真っ赤な洋服の女性が法王に飛び掛っていったこと、何か象徴的だと思いました。ニュースではこの女性のことを精神不安定というレッテルをはりました。
この女性を法王がガードマンで押さえ込むことなく、抱きとめることが出来る日がきたら、世の中は平和になるのだろうなと思いましたが、これは余談です。


だけど、これもまた、わたしたち全員の心の中での出来事を表したにすぎません。今後、世の中が幸せになるためにも、わたしの心の中の“司祭”には娼婦とレッテルを貼られるほどの情熱的な女性を抱きしめる大きな愛を持たせたい、統合させたいと願ったナディ12回でした。ありがとうございます。
ツインフレームとの再会、近し?かな。ちょっと来年が楽しみです〜♡