「月の女神学校」のシェア2

こんにちは。月の女神の感想です。


他人と優劣を比較する感覚は、きっと見直す感情がいろいろあるだろうと思っていましたが今回特に感じたのは、容姿に対する優劣比較の感情でした。


ちょっと意外と思いましたが、実は意外でも何でもなくて、私が最も認めたくない感情であったために見ないふりをしてきただけでした。


外見にこだわるなんてくだらないことと考えていた私は、特に年齢を重ねるにつれよりその考えが強くなっていたため(年と共に衰えますから、そこを気にするのは余計にみっともないことと思ってていました)


どんどんその感情は奥へ奥へとしまいこんできていました。今これを書きながらも、こんなこと書いてて恥ずかしいんだけど、と思いながら書いていますが…


でも、自分の外見に関しては、子供時代はまんまるの肥満児だったこともあり、結構根深いものがあるんだと思います。
そして、誰に何を言われたわけでなくても、外見に自信がないばかりに委縮してきた場面が実はけっこうあったなと思います。


今回のワークで出てきた感情は自分の容姿に対する、なんというか、嫌悪感や醜い、とか汚い、もう嫌で嫌でしょうがない、といったものでした。私はこんなにも自分の肉体を嫌っていたんだね、と思いました。


それゆえに、見た目がいいばかりに、守られたり大事にされたりしている人を見ると、無性に腹立たしく思うのと同時にその特別感みたいなものをうらやましいとも思っていました。



私がもっとキレイだったら、人生こんなに苦しまなかったはず、と。
内面が魅力的なひとは、外見も素敵に見える、というのは本当だと思いますが、私の場合は、子供のころからの思い込みもあったし、人生がうまくいかないことを容姿のせいにしてきた部分があったということだと思います。今回は、自分の中ではわりと軽く考えていた(つもりだった)ことが、実は深く影響してきていたことに気づかされたのでした。


そして、優劣を比較することに対処する、にはやはり好きなことをする、って大事だと思います。
それは自分を尊重することであり、大切にすることだから、自分を好きになることに繋がっていくんだと思うんです。
ありのままの自分を受け入れるって、どうやったらいいの?と思うけど、そうやって自分への愛が育まれていけば自然と許すことや受け入れることもできるようになっていく気がします。そうすれば、必要以上に外見を気にすることも私の場合なくなっていく…といいなぁと思います。


先日、ふみさんのブログでバレリーナ森下洋子さんのことが書かれていましたが、「物事ができるようになるには、10年20年かかることもある」とありましたが、これって自分を信じて受け入れていないと言えない言葉だな思いました。自分に自信がない人にとっては、時間をかけるって怖いことだと思うんです。できなくて焦って不安になって、やっぱり自分が駄目だから、となりがちですから。なので、自分に対して辛抱強くなってあげることも大事だなぁ、と感じました。



そして、ワークの当初は、自分の容姿に対するコンプレックスによる他人との比較の感情などがでてきていましたが数日たって、その奥にあるものも見えてきました。


さらに奥からでてきたもの、それは、肉体をもった自分、人間である自分を受け容れることができていない、ということでした。肉体というものも含めて人間は、醜く、汚い、そういう感覚をずっと持ってきたようです。



なので、いつも私には「恥」という感情がついてまわっていました。なにをしても、それが上手くいってもいかなくてもどこかに恥ずかしさがつきまとうのです。
さらに私は少々潔癖症気味のところがあるのですが、それはこれらのことが原因なんだとつながりました。


もともとは潔癖な部分などあまりない方だったのですが、20代半ば辺りからその傾向はでてきていました。なぜだろうと考えると思い当たるのが、父親でした。


そのころ、父と私の間にクッションのようにいてくれた母が亡くなり、父と直に関わるようになり、また父との間にはいろいろな出来事があり人間てそこまでするの?!なんて醜くてずるくていやらしいんだろうと、人の汚れた部分(という言い方は適切ではないかもしれませんが)を父からずいぶんと見せられました。そしてそれは、自分も持っているということ
なわけで。


思えばその頃からです、私の潔癖傾向が強くなっていったのは。
父との関係はいろいろな出来事がありながらも、向き合って癒してきたつもりでした。もちろんちゃんと癒してクリアしてきた部分もあります。ただいまだに顔を合わせるのは避けてしまいます。理屈ではなく、瞬間的にやっぱり会いたくない、と思ってしまうのです。



自分の中にそこまで、肉体を持っていること、人間であることの嫌悪みたいなものがあるとは今回まで、全くわかっていませんでした。恥の感情であったり、潔癖であったり、サインとしてでてきていたものの、なぜなのかわからず、ここにきて初めて自分の中でつながりました。気づかせていただきました。


父とのことは、きっかけであり、いち部分であって、昔からずっと深いところで感じてきたものなんだと思います。


そしてそれにはやはり、観音のような高い愛の受容性が必要なのであり、それによる許しが大事であると思います。月の女神ワークの慈悲のエネルギー、たくさん受け取れているといいなぁと思います。



地球で生きていくのに、肉体を持つこと、人間であることが嫌だなんて、致命的じゃないの?!と思いましたし地球をマスターして帰るんだー!なんて考えていたのが、あぁ、遠のいていく…なんて気持ちにもなりましたがきっといろいろ癒しをおこなってきて、やっと深い深い部分までみるところにきたんだなぁ、というふうに考えています。
今回は、フラワーエッセンスのサポートなども借りてみています。(ちなみにオーストラリアンブッシュのビリーゴウトプラム(肉体への嫌悪を癒す)とファイブコーナーズ(自己受容)というものを使用)


ありがとうございました。