ラブ&アバンダンストランスミッション「frere(自由)」の叡智のシェア1

「ラブ&アバンダンス マスタートランスミッション Free」に参加させていただきまして、ありがとうございました。


課題『自由な状態とは、どう在ることをいうのか、教えてください』


七夕から始まった大きな変化の中、24日の「月の女神学校」を終えて、自分を地獄から解放するために必要な学びは全て、私が現在受け取ることができる範囲で与えていただいた、と感じました。


なのに何故?まだ心が苦しみに乱されるのか。
それは、「生きている限り学びは続き、1つのレッスンを終えれば、新たなレッスンが始まる」ゆえのものではなく、史衣さんにお世話になり始めた4月の「太陽のナディ」から今までの学びで、準備は整ったはずなのに、自分の中の何かが作動せず、苦しみに留まり続けている・・・そんな感覚でした。


原因は私の内にある、と分かっていても、それが何であるかはさっぱり分からず、再び試行錯誤が続いた中、「フリー」の前々日に、マスター サナトクマラからリコメンドが届きました。その内容に、最初実感を伴った理解ができず、「分かる時まで大切にしまっておこう」みたいな気持ちだったのですが、リコメンドによる刺激が起こした波紋が私の中で徐々に広がり、「フリー」を経た今になって、1つの事が見えてきました。


まず「フリー」の前日(リコメンドをいただいた翌日)。従来の私の考えの範囲では、この苦しみを幻だと「分かる」方法は無いのではないかと思いました。思考は堂々巡りするばかりでしたから。自分の思考範囲内の事しか根拠として持ちえない中でのこだわり、今持っている世界観を越えた、全く新しい、或いは拡大した思考による視点が必要だと思いました。明日の「フリー」で自由とは一体なんなのか、白紙の状態で教えてもらおうと思いました。


当日。9時の開始まであと約20分という時に、レイキを遠隔で父に流していたら、自分の内に「自由」の感覚が起こりました。


何故その感覚=ときめくような、勇気凛々で怖いものなどない、怖れに囚われていない=を「自由」と感じるのか、考えていて、思い浮かんだのが、フラワーエッセンスメーカーFESのエッセンス解説書『フラワーエッセンス レパートリー』の中にある「ボラージュ」についての説明でした(考えているうちに、9時になっていました)。


一部引用します。
『人間のエッセンスがまわりに向かって輝くことができるのは、ハートのチャクラを通してである。しかし、魂があまりに深い嘆き、悲しみ、その他の逆境を経験する時には、ハートは縮んで重くなることもある。(中略)魂は、軽さと光、高揚感にコンタトすることで、このハートの足かせのような感情に対抗できると学ぶ必要がある。魂の性質としての勇気は、根性や強さに関係するよりも、「魂の足取りが軽い」状態を示すのであり、落胆や落ち込みの重さに沈み込みそうな時に、それを乗り越えていくのを助けてくれる』


つまり「勇気」とは英雄的な行為を指すというよりも、心が軽く自由にはばたいている時に自然に生まれるもので、魂がその状態にあった時にごく自然にした行動が、他者からは勇気あふれる行為と見えるというものなのでしょう。(これは、「ライタリアンレイ」というエネルギーワークのテキストの中でセントジャーメインが「勇気」について語っていた事とも符合します。)心が浮き立ち、羽がはえているかのような時、「何でもできそうだ〜!」なんて気分になりますよね。


こうして、課題『自由な状態とは、どう在ることをいうのか』について、1つ目のキーワード“勇気”を教えてもらいました。


次に浮かんだのは、“情熱”。何かに「情熱」を注いでいる時、魂はその対象以外のものから自由になり、対象にのみ集中し続ける力が溢れだす。


“喜び”。至福の感覚の中で溢れ出るのは、解放された魂の歌声。

“穏やかさ”。安心感や平常心、その中で魂は、自由にくつろいでいられる。

“柔軟さ”。全てを受け入れる許容量、受容力。枠を作らない。縛られない。執着しない。こだわらない。臨機応変。その時魂は、あらゆる環境に順応する。


“誇り”。自分自身への「誇り」。これはとても重要で、根本的なもの。誰がどんな風に噂しようと、評価しようと、自分は自分であるという確信。自分自身であろうとし、自分の真実を生きている時、あらゆるものから自由になる。


様々な“感情”“感覚”から、「自由」に到達することができる。


そこでふと思ったのは、魂が「自由」で解放されている時、いわゆる人間関係の境界線を意識の上で越えているのではないか?という事。無意識のうちに、9次元のマトリックスを基盤に、自分の役割に集中している状態。他者から侵害されるという思考も消え(境界線が消滅し)、ただ自分の道だけが見える状態になっているのではないか、と感じました。


次に、これらの“感情”や“感覚”をどうやったら得られるのだろう?という疑問が浮かびました。


リコメンドには、『ここ、ではない思考、感覚、感情のなかにはいってゆくことが「自由」をここ、3次元で手にする方法である。』とあります。


「感情・感覚・思考は、先日のナディで9次元の叡智に触れたように、3次元の枠に囚われない。だから、これらが3次元で「自由」を手にするための鍵になる。」それは理解できたのですが、どうすればそれらの中に『はいってゆくこと』ができるのか?それが分かりませんでした。


そこまできて、何の気なしに、窓から外を見ました。雲が空一杯に広がり、満月は見えませんでした。見えない満月。でも雲の向こうに「ある」。見えないけどある。見えないものを信じられる心?と連想して、その後いくつか浮かんだことがありました。


「時間の概念からの解放。魂の永遠性に目覚める」
今生で全てをやり遂げなければ、という気負い・プレッシャーから解放され、余計な力が入らない分、最高速度で進める。魂の足取りの軽さ=勇気を手に入れる。


「『ここ』の自分を超え、自分という魂の歴史全体から3次元を見る」
3次元でない感覚をもって、3次元を見る。


「内なる神の感情」
無条件の愛。根源と繋がる。全てが根源の創造物であり、私が何をなしても、それは根源の創造物すなわち愛である。


「地球から自由に」
はて、これはどういう意味だろう?と思いました(地球を愛しているので:笑)。浮かんできたのは、リコメンドの『あなたがたの制限は、解放される。』という言葉。重力から自由になって飛ぶ。堕天使は、自分の翼がもがれたと思い込んでいる。本当は今も持っている。思い出せ。自由の翼。そして、背中に羽がはえたような感覚を覚えました。


心は自由。何ものにも縛ることはできない。そんな思いで一杯になった辺りで、11時になりました。


「フリー」の翌日からの自分の心の動きを観察してみて分かったのは、私の無意識の大きなブロックは、「私が根本的なところで、『宇宙(天)』を信頼していなかった」ということです。過去形にしたのは、心意気を込めました(笑:冗談言っている場合ではないのですが)。


だから、いつも「苦しみ」にフォーカスして、「苦しみ」の中に住んでいたのです。「自力」で安心感を得るためには、それを脅かすものに注意を向け続けていなければなりませんから。このことは、特に「許可と怖れの手放し」のマスタートランスミッションからは具体的に教えていただき、トランスミッションや「月の女神学校」の度に「光を見つけた!」と思っては、その光を見失う・・・という事を繰り返していました。


「どうしてこうなっちゃうの?おかしい・・・」と思っても、何故自分が光を見失うのか、分かりませんでした。その原因の傷(個人的リコメンドで教えていただいた)があまりにも自分と一体化し過ぎていて、自分の心の動きとして自然な事と感じるぐらいだったので、気づけませんでした。


史衣さんがお書きになった記事を読んで、「過去・執着からの解放」が行われ、『アクエリアスの約束』のための基盤が作られたから気づけたのかしら?と思いました。それと、以前の記事で取り上げられていたドラクロアの「天使と格闘するヤコブ」のエピソードも頭に浮かびました。「自我を解放するための格闘」が、ずっと続いていて、やっと愛の前に無駄な抵抗をやめて降伏することができたのではないかな・・・という希望的観測(笑)。


「宇宙を信じ抜く」「宇宙に委ねる」


人生の大前提。全てのスタート地点でありゴールである所に、この七夕から始まったシフトで連れてきていただいた。そんな思いがします。まだ完璧ではありません。揺れる時がありますが、それも現在の自分と認め受け入れて、その後手放し、自由になって、新たな可能性を得る。そんな風に、少しずつでも解放されて、しなやかに生きていくことができればと、「きっとそうなれる」という希望と共に、今歩いています。


『この「基盤」をもとに、更なる、「飛躍!」が、今後のテーマです。』わ〜、楽しみです♪(笑)


そして、大天使ウリエルの『深〜いお言葉』。勇気づけられますね。天使という存在について、あまりよく知らないのですが、女神の力強さとはまたひと味違うきっぱりとした力強さを感じます。まるで、宇宙の真実の揺るぎなさ・絶対性を体現しているようです。私が抱く不安や怖れなんか、はね飛ばされてしまいそう(素敵:笑)。


改めまして、今回のマスタートランスミッションで学ばせていただきまして、本当にありがとうございました。また、七夕からの一連の学びに参加させていただいたことは、本当に幸せなことでした。心から感謝します。ありがとうございました。