第5回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiiiii(9次元)

第5回ナディ 感想とレポート


史衣さん、こんにちは。今回も貴重な学びの機会をありがとうございました。

今回の9次元のナディには、絶対に参加しようと以前から決めていました。『間違ってしまった自分にはもう愛される価値もなく、戻るところも失ってしまった』という一文に強烈に惹きつけられたからです。


また、宗教的傷についても、この春からずーーっと向き合っていました。(イエスキリスト教関連です) この傷についての癒しが一山越えたころ、「奇跡のコース」に出会ったのです


が、その内容が、今回のナディのウリエルからのガイダンスとシンクロしていました(体験すべては夢である。というところ) この傷に触れられるようになったのは、太陽のナディでの気づきがベースにあるので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


さて、21時〜、ナディのことを考えていたら、ふと「宇宙戦争」という言葉が浮かび、意識が「戦い」に向きました。「なぜ戦いがあるんだろう?」とか、「どうして戦いの意識が生まれたんだろう」なんて思っていました。他のことを考えようとしても、戦いに意識が戻ってしまうんです。不思議でした。マイケルの「heal the world」のPVがとても見たくなりました。


そして、改めてガイダンスを読み返して、地獄だと思うことについて意識を向けてみました。


最初に出てきたのは、「孤独」。離れてしまった、という悲しみでした。わたしはすべての苦しみの根本に「天と分離してしまった。まちがってしまった」、という思いがあるのではないかと思っていました。また、大勢の人が悲しみ、苦しんでいる様子(飢餓、戦災などで)がイメージとして出てきました。


ガイダンスには、「自分でないものは苦しい」とあります。分離しているのが苦しいと感じている自分は。。本当は分離していない? 分離は幻想、と奇跡のコースにあるんです。それを思い出しました。そして、戦いも苦しい。なのにどうして戦うのか? 苦しみはやめられないのか? 苦しみから喜びに転換するには? こんな疑問が次々とわいてきました。


“もうやめるとはっきり決めること” ガイダンスにもあった言葉が浮かびましたが、まだ深く入ってこない感じです。すると、ハートにゴールドっぽいエネルギーを感じました。


続いて『ハートをあけなさい。持っているものを手放しなさい。執着を手放しなさい。何も持たず、身軽になりなさい。それが天を信頼しているということ。いろいろなものを持ちたがるには信じ切れていないから。何ももたないでいられるということは、その場、その時を完全に信じ切っているということ。ゆだねているということ。安心しているということ。』


こんなニュアンスが伝わり、自分が受け取ったものをそのまま、必要な人にシェアしている姿がイメージとして伝わってきました。そうか、自分が持っているものに執着しないで、必要な人に喜んで差し出せる、なんて軽やかで楽だろうと思いました。ゆだねているから、何も心配せず、喜んで他の人に渡せるんですね。そうできたら、どんなにいいだろうと思いました。


そして、ハートをあけるには?と問いかけてみたところ、天はジャッジしない。どんなものも出してしまっていい。遠慮しないで、どんなものも外に出して。リリースしつづけなさい。といわれました。悲しみや苦しみをためておかない、ということでしょうか。。


どうして争いがなくならないのか?という問いには、「欠乏」を信じているから。「永遠にある」ということを信じられないから。などとかえってきたように思います。


欠乏。。。。離れてしまった、別れてしまったときの痛みを思い出してしまうのか? でもそれは幻想?? 本当は離れていない? 自分で自分にフィルターをかけた。自分がどうしてここにいるのか、どうしてそんなことをしたのか思い出せれば、今までの体験をすべて肯定できるかも、とマスターやウリエルにお願いしてみました。


するとあるイメージを感じました。それを書いてみますね。


自分がバネやコイルみたいな渦巻き状になって、どこかに連れていかれました。そこには別れたもう一人の自分がいました(ツイン?) その人が言うには、私はもう一人の自分から遠く離れても愛を持ち続けていられるかどうか、愛の強さを確かめたかった・・んだそうです。強い愛を持っているらしいです。(本当か?とつっこみたいのですが) そして、それはどんな人も同じだそう。


「どんな人もそうなんだよ(強い愛を持っている)。自分のやりたかったこと(決めたこと)を一生懸命にやっているんだ。どんなひどいことをしているように見える人でも、本当はとても一生懸命に自分のやるべきことをつとめあげているんだ。そう思うと、愛しい気持ちにならないかい?だから、自分と”違う”ように見える人も拒否するのはやめなさい。”違う”ことを受け容れて。。」 


・・こういわれました。 強い愛を確かめたかったというのはわかりませんが、どんな人も一生懸命にやるべきことをやっている、、一見ひどい体験に見えても、違う視点からみると、気付かない学びと愛があるというか?そう思うと、どんな体験も受け容れやすくなれる気がします。


そして、23時になったので、布団に入りました。しばらくしたら、「私は間違ってしまった」という思いがハートからぶわぁ〜っとふきあがり。。今まで、そんな気配が全くなかったので驚きましたが、なんだかすごく悲しくて悲しくて、しばらく布団の中で転げまわっていました。今思うと、ハートに癒しの光が入って、奥にあった悲しみが浮上してきたのかもしれませんね。


このときに、もう一人の自分?の存在が出てきて励ましてくれたように思うのですが、、はっきり覚えていません。そして、自然に眠りについたみたいです。





今年の春から夏にかけて、宗教的傷に向き合っていく中で、”自分は天に愛されていない” という気持ちはだいぶ癒されてきていました。ただ、ヒーリングの時間になって、悲しみがふきあげてきたのをみると、まだまだあったのですね。今はその癒しを深めて落とし込んでいく最中なのかもしれません。「戻りたい」という気持ちがとても強いです。。とにかく天との分離感を埋めたいです。だから奇跡のコースやナディにひかれたのかもしれませんね☆


軽やかにシェアしているイメージがとても印象的でした。これって天の愛と信頼がベースにあるからこそ、できることなのかな、とも感じます。これからの目標というか、私のなりたい姿かもしれません☆ ここに向かっていけたらいいなと思います。