第5回リリースの感想です13

ヴィーナスファウンデーションリリース第5回感想


この度はヴィーナスファウンデーションリリース第5回受けさせていただき、どうもありがとうございました。せっかちな私にとってはこれまでで取りこぼしてしまったこと沢山あったなぁと思っていたので、第1回目のバージョンアップというのが復習のようでもあり、とても有難いです。


実はもうこれで5度目位の書き直しなんです。その時その時点での一区切りで「こういうことになりました」という感じで書くと、2日と経たずにその逆の状況になってしまうので、送信前のチェックで読み返すと自分の中ですでに状況が繋がらなくなってしまいます。曖昧な、どっちにも動くような揺れを挟んで、混乱に戻るか静寂に戻るかはその時々でまた違い、これをどう捉えていいのかまったく解らず、書いているうちにただくどくなるばかりで混乱してきます。今までだったら、もっと明確な区切りがあって、次のエネルギーワークの1週間前までは結構安定していたんですが…。


今回大まかには2段構えで、一段目はトランスミッション第4回の感想でクマラから頂いていた「ゆっくりでいいんだよ」というメッセージ、あの時にクマラがこのメッセージをくれた理由が、今回起こった出来事とリリースのガイダンスが相俟ってやっと判り、一旦落ち着いた後に再び感情の喚起があって、二段目としてふみさんが書かれていた「ブレインを一新させて…特にやっぱり子供時代につけてしまった思い込みかな〜?」という部分が最終的な答えになりました。



その前後に更に細かい段階と喚起が結構あって、全体的にはスイッチバックして進んでいるような感じがします。一区切りがあるとその後ですごい眠気が一気に来ます。一段目の一区切りでも強い眠気があったのですが、2段目のはもっと強く、6時間くらい寝て目が覚めたのにまたすぐにもっと眠くなり、目をあけていられない。結局更に8時間寝ました。そして、ピンと来たものはその場からどんどん忘れていきますが、もう二度とそのようなことが起こらなくなるかというとそうではなくて、また同じ人や状況か、似たような出来事や別の人との関わりによって数日経たない間に再び感情の喚起などが起こりました。



一度何事もなかったかのように忘れているので、毎度感情は生々しく、その度また怒ったりイライラして、これらについて考えあぶり出し、というふうに今気がつくべきことがわかるまで終わりません。ひとつの出来事から今知るべきことはひとつだけではなく、特定のボリュームであるみたいでした。



それがちゃんと出来たらネガな感情・出来事・人は間もなく煙のように去っていきますが、間違った捉え方をしている間は最初に怒りを感じたものに対してはずっと憤慨しているし、苛々させられたのであればずっと何日もそのことで苛々している。その状態では状況に全く変化を起こせず完全に囚われています。


今回は特にそれが強く反復も多くて、少しだけ収まってはふとした時、お風呂でシャンプーをしている時やお皿を洗っている時、毛玉取り機で服の手入れをしている時間など、いわゆる無心になれそうな時に決まって自然に思い浮かんで、最初は利子のように消化できない分まんま日増しで積もっていって、最後はどこを見ても何を見ても悪い部分しか見えないし息が詰まりそうになりました。それを幾度も繰り返しているうちに、ふるいにかけられたものが段々姿を現してきました。



今回は、全体をぼんやり眺めると浮き上がってくるテーマのようなものは、内在している”パターン”の存在で、これが無意識下に沈みこみ、自動制御と化すまでの間に、なぜ&どうやってこれらをこの身に染み付けることになったか、という根本的な部分を思い出すことになりました。



これは結構深くて、そして当時の怒りなり絶望なり緊張感なりがセットになっているので相当に重く、反射的に抗ってしまったことで更に長引いてしまったのですが、それらを感じる以上、未だ持ちつづけている(=手放せていない)ということになるというのも認めたくありませんでした。



度々混乱したのも、それらパターンのそもそもの始まりを、今の私はすっかり忘れていたのと、これこそ理想と現実のギャップというやつで、頭はこれこれこうすればこうなるだろう、とスムーズな地図を描くし、片や心の中では心の中なりに正しい気づき方というのがあって、それが出来ないうちは何度でも繰り返し気づかせようとする。


潜在意識によるオートマティックな働きのことを知っているからと言って、実際に実体験を伴って解決することとは別の話なんですよね。私は気分を害したくなく、気持ちよく前にどんどん進んで行きたかったので、見るべきものがあるよというサインを度々見落としていたようです。


前回のトランスミッション直後に見た夢でもすでに、自分が混乱している(もしくは、そうなるだろう)ことは示されていました。感想を書く時点では30回用を足してはジュースを飲むのを繰り返したことのほうがインパクトが強くて、これ自体はいいサインなのでそっちばかり大喜びして、それだけ書いたら気持ち的にも済ませてしまいました。



実際は、野球観戦をした後に、打ち上げ会場(女子高の校舎)に行き、自分のお弁当だけロッカーに入ったままで、鍵をすぐにもらえず探している間にみんな別の会場に移動してしまい、2次会の会場がどこなのか自分だけ知らないので、パーティグッズや制服でそこら中散らかりまくっている校内をひとり呆然と立ちつくすしかなく…とかいう場面もあったのです。散らかった部屋は混乱を現すようで、鍵は解決のヒント、お弁当は自分に取り入れるべきエネルギーや知識や愛情など、ロッカーはわかりませんが、クラスメイトは全部自分の分身、学校はその時代に学び忘れたことがあるということだそうです。野球は心の中の怒り、不安、焦りなどマイナス思考の昇華を現すそうです。用足し&ジュース飲み30回は、この後に続いた場面でした。



学校の夢はそんなにしょっちゅうではないのですが、コンスタントに見ています。決まって高校で、その時のことでまだ目をつぶっていることがあるようなのですが、あの時期のことは自分にとっては正当なことだと思っていたので、見直すことはなにもない!と思って流してきました。けれども、この許せん!というのがあまりにも苦しいので、そもそもどこから始まったんだっけ、と改めて考えてみたら、一番それが強かったのが高校の頃だったんでした。



人間性の歪んだ部分と共感力の乏しさに対して、当時の私はそういうものを微塵も許せませんでした。なぜなら、まさにそれらが私をズタボロに傷つけたからです。端を発したのは子供の頃で、その後も外でも家でも辛い状況が続いたことで人間性の歪みなどに対して強烈な憎悪と怒りが増幅し、一度でも自分を傷つけた人間は一人残らず反面教師となりました。



それは同時に自分自身の中に彼らと同じ要素を微塵も存在することを許さない、その為の厳しいチェックを欠かさない日常になって行き、いつしか悪しき要素を他人に垣間見ると自動的に自分チェックを始め、ひとつでも見つかれば尋問のように理由を突き詰め、どうすればそう思わないようにそうしないようになるか考えて、最終的には批判や文句も含めネガティブさは一切禁止ーというのを結局6年前くらいまでずっとやっていて、最終的には意識的にやらなくても自動的にそうなるようになっていたんでした。



これは過去の産物ではありますが、あまりにも自然にひゅっとそうなる訳で、ということはそれも現在の自分自身なのであるし、かといってイライラはするが結局裁いたところで自分はどうしたいのか目的が全然解らず、裁いたこと自体にもそういうことして意味があるかとか思うし…溜めに溜めてきたことで身体を壊して以来、もう今の自分は以前よりずっと自然児になっていて、言いたいことも文句もストレートに言い、そういうことを禁止していないので、もうほんとわけわからなくなって、最後の最後には自分にキレて開き直ってしまいました。悪く言って何が悪い!とか…。自然にそう思っちゃったんだからしょうがないでしょっ!とか。


問題にばかり目を向けてしまうのもこのように完璧であろうとしたためですが、これも過去の産物なのか現在の自分自身なのかまだ見分けがつきません。でも、世界には同時に別の素晴らしいこともある。どうしてそういうところには目が行かないんだろう…結局投影にもいい面の投影というのもあるのに影ばかり見てしまっているのはなぜか。その理由は完璧であろうとした名残だけではない気がしてきました。



この世界も人生にも、まだ出逢ったことがない沢山の素晴らしいこと、魅力的なことや人たちが今現在同時進行で存在しているのに…。角度がちょっと変わればそれに触れられるだろう、けどもそれも無理やり変えるのではなく自然にそうなりたい。今こそだいぶ図太くはなりましたが、もともと私が人一倍傷つきやすく神経質で頑固で、恨みの対象である彼らのうちのたった一人とでも和解した経験がないからかもしれません。



互いに本音をぶつけることなく、事態は変わりなく引き続き、感情は倍増するだけして、時期が来ればそのままばらばらになり、その後逢う事は二度とない。そういうことは私だけではないけれども、何であんなことをしたのか理由さえわかったらもっと楽だったのにとよく思いました。



私は隠されるよりもはっきり言ってもらったほうがその内容がなんであれずっと気が楽なのです。歪んだ解りづらい表現をしないでくれ!といつも思っていました。例え、彼らが隠す本当のところを見抜いたところで所詮それ以上発展しません。彼らが彼ら自身を誤魔化している限り、話は通じません。彼ら自身が腹を割って本音をさらけ出してくれること、等身大でいてくれることが一番ややこしくなくお互いにとって良いのですが、私自身がそうさせることは出来ません。



けども、世の中には歪んだ表現をされてもそれはそれとして受け止めることができる人も沢山いますよね。そういう私も、一緒にいると安心していられる人はたいていそういう人でした。どこから風が吹いても彼らにとっては風であって、槍やナイフではない。そういう事もあるよ、とだけ言って、すごく余裕を感じるというか、人間を知っているんだなぁと思って、すごく素敵だなぁとよく思ったんでした。あぁ、そうかぁ…そういうことですよね…(独り言です…^^;)


ちなみに、リリース当日は、宣誓をした後にすぐに寝ました。3日前に2日間ずっとお腹を下して止まらず、前日には生理前の兆候が出ていたのもあって、のぼせとどよ〜んとした頭痛がちょっとあって、身体はしんどかったです。起きた後左側の首の後ろと頭頂に突っ張った痛みがあって、下腹部は冷えていました。左側は女性性だというし、下腹部は感情が関係しているのですよね?


好転反応なのか、生理前の不調なのかよくわかりませんでしたが、これまでのことを総まとめで考えてみて、自分の振る舞いも考え方も全然身の丈に合ってないことに気がついてしまい、最初はかなりショックで哀しかったです。リリースのガイダンスを思い出し、更にどうしてクマラが「ゆっくりでいいんだよ」と言ってくれたかというのが全部つながって、ほんと、ガイダンスのまんまだったんですよね…


理想にすり合わせようとしていたし、苦しいことから逃げ出したい一心で引き離し消滅させるために膨大なエネルギーを使ってきたし。もう終わった!出来た!とすぐ思っちゃうんで…。ちゃんと自分自身でいなさい、大丈夫だから、という意味もあったのかなと思っています。


こういう状態にも全然気がついていなかったし、身体も心もカチコチだったことにも気づいてなかったし…私の中の、良き者であれという部分は一見味方のように見えるが、意外にも本当の姿を見えなくさせるこれもある種のクセ者でした…^^;。反面教師という存在も、あんなふうにはなるまいと思う気持ちが強すぎることはかえって、等身大の自分を乖離させてしまいますよね。


もう必要ないものがあとどれだけあるのか全然わからないですが、今この感想を書きながら、まぁそういう時もあるよ…と思いました。さっきのその、安心していられる人のことを思い出して、なんだか書きながら力が抜けてきました。そんなガツガツ、きっちりやろうとしなくても大丈夫だよと、心の中でその人が言います。そうですね、ふぅ…。なんか独り言っぽくなっちゃいますね、すいません^^;。



ハートの奥の静寂な部分は、意識をすればちゃんと感じることが出来るようになっていて、すごく嬉しいです。これまでのトランスミッションとリリースのおかげです。体感として経験することが出来たおかげで…^^。次回の月の女神学校の記事を読んで、これらの出来事があっての女神学校という流れなんだな、と思えました。なので、すごく楽しみにしています。トランスミッションの時もリリースと両方でとても大変だったけど、終わってみるとすごく楽しかったので♪はぁ…やっと今、力が抜けてきました…^^。



ふみさん&クマラ&マスターたち、この度も本当にどうもありがとうございました!感謝☆