第5回リリースの感想です3

ビーナスファンデーションリリース5回目感想文



こちらの学びのテーマは、どういわけか必ずわたしが「ああ、今はこれだな」と理解していることとシンクロします。つまり知らず知らずにマスターからの導きをリリースの前からインスピレーションで受けているのかもしれませんね。



近頃、ハートと思考を一致させる必要性を感じていました。だいたい、ハートには愛しかないので。じゃあ、苦しみはどこから来るか?



今日、あることばに出会いました。「海容」仏教のことばで「ゆるす」みたいな意味だと思います。意味の由来はわかりませんが、わたしの解釈:ゆるして、手ばなすことは母なる海に容れてもらって溶けていくようなことかもしれないなと思いました。



ウエサクとマリアさまのシェアをします


ウエサクの日、わたしは北関東から静岡まで箱根を越えて夜中車中にいました。お月様がずっと目の前にあって。実は日中に出発しようとしたのですが、夜8時ごろまで出かけける気になれずにお月見ドライブになりました。きれいで力強いお月さまでスピリチュアルに興味のない夫もお月さまの光に触れることができて車の後ろで寝ていた子供たちも月光をあびることができました。せっかちでいつもは高速しか使わない夫が何を思ったか、東海道五十三次を行ってみたいと。東京のビルとお月さま、箱根の山とお月さま、時間の経過とともに色が変っていくお月さまをウエサクの夜に見られて幸せでした。



翌日は七回忌の法事だったのですが、法事というのも手ばなしていく儀式なのだと思いました。故人を知る人が集まるのですから、そこには(愛)がありますね。誰かたいせつな人をなくすと人は辛いので、まわりの愛に包まれながらゆっくりと手ばなしていく。そして、人は、故人になっても何回忌もかけて偲ばれるように周りから愛される生き方をするようにという仏教の知恵があるように感じました。家族を再びつなぎあわせることが故人の愛でもあります。


法事ででかけましたが、せっかく地方にきたのだからと海のそばに泊まりました。浜で波の音をききながら石ころで遊んでいました。夫が「これマリアだ」といって手のひらにのるくらいの石をわたしてくれました。自然の彫刻でできたダルマ型の石にまるでベールのような筋とクビのくびれ、まぁるく包みこむような曲線。マリアだ。



なんとはなく自分のスピリチュアルな役割って何かしらと考えました。すると「水をまぜなさい」と内なる声が。ふと気づくとかばんの中には入れたのを忘れていた「ルルド」の水の小瓶が。マリアさまがそういうのであれば。



水の波動は転写されるという話ですから、確かに日本の水のある場所に数滴でもルルドの水をまぜれば、そこの水にはマリアさまのルルドの波動が転写されるのです。ルルドの水はカトリック教会の売店で求めました。



そのあと、浜名湖の近くの「竜が岩洞」というところに偶然行きました。
中にはいると鍾乳洞に色々な神さまの名前がついていました。
その中になぜか一体だけ横文字の名前「マリア観音」。とても清らかな水がながれ、そして、鍾乳洞というのは、実はクリスタルなのですね。とても深いところの記憶がよびさまされていくようでした。


そしてさらに翌日も、穴の中に。富士山の裾野にある氷穴、風穴、コウモリ穴。それから白糸の滝。ガイドブックも何ももたない行き当たりばったりの旅でしたが、洞穴と滝めぐりの旅になりました。地下の空洞に入っていくのは、暗く、湿っていて子宮の中のようでした。富士山の子宮にいれてもらって、地上に再び生み出してもらった気分になりました。


帰宅して史衣さんのブログを開くとロザリオが。またまた、マリアさま。
はい、はい、マリアさま、わたしはあなたの暖かい抱擁のなかです。わたしは小さな花の中に隠れた十字を探すのはとっても上手です。空の雲に中にあらわれた十字を見つけることもとっても上手です。


いつも、いつも、聖母の抱擁のぬくもりを感じ続けることのできる子どもでいられますように。いつも、いつも、聖母の抱擁のぬくもりを信頼しつづけることのできる子どもでいられますように。