第4回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiiiiii(5次元)

ナディマスタートランスミッション第4回レポート


今回のエネルギーワークがこれまでと大きく違う点は、前回のトランスミッションの感想をお送りした後から体感が際立ち始めたこと、唐突で強烈な眠気が何度もあったこと、顕在意識の流れとは全く別にフッと心地のいい場所に入る瞬間が度々あり、その間はとにかく安心で安全で静寂で、深いリラックス感もあって何でも許せるくらいハッピー♪になる、というところでした。


どこでどういうわけでそうなったのか、カチッと収まるところに収まると、暖かく質の良いエネルギーが全身を駆け巡るような感じになるのですが、これがあまりにも気持ちがいいので、ずっとそうしていたくなります。身体がものすごく疲れているときにマッサージを受け心地よくて眠ってしまうようなあの感じに似ています。始まりは前回のトランスミッションの後、どうしても質問したいことがあって、また書きそびれたこともあって、でもどうしようか、と躊躇したり考えあぐねていたのですが、気持ちに従って思い切ってそうさせて頂いたら、そこからホースの詰まりが決壊したようにどわ〜っと心地のいい何か流れるものが全身を回り始めて、そこから断続的に眠気や体感が色々と始まりだしました。



心の詰まりが取れると流れ始めるんだ、と思ってたら、今度は何かの意味があるのか、トランスミッションからリリースまでの期間を狙ったかのようにかき乱される出来事が起こったのですが、彼らに対する痛烈な批判をしている隙間にも一瞬同じような状態に何度かなっ、???という感じで…。愛と恐れは同時に存在できないというから、交互に行き来したということになるのか、これ、合ってるかどうかわからないのですがあくまで自分の体験と実感として言うなら、重いエネルギーが途切れそうになっているところでふっと高いエネルギーに切り替わると、その違いがすごいよく判るというか、高いエネルギーの中に居る時、自分自身がひとつになったらこういう感じになるのかなと思って、ここを本来の軸としてみると、それ以外のエネルギーに切り替わった時に、あ、今ズレてる、とかすごいよく判るのです。



うわ〜気持ちがいい、ずっとここにいたいよ〜と思うのですが、どこかが気が済まなければ自然に怒りや恐れの方へ行くわけで、これに関しては今回最大の難問でした。愛と恨みといいますと、恋愛についてならピンと来るのですが、身内がらみのことになるとなかなか繋がらなくて。


何があったかといいますと、前回感想で触れた(湿っぽい攻撃性に強烈な執着性…)身内の男2人がよりにもよってTM当日と週明けにそれぞれ来ることになったとTM数日前に聞いて、それまでの安定感が一転、取り乱したり憂鬱になったりなどしていました。この2人、私、最強に嫌いで最も関わりたくない人物なのです。投影とは絶対思いたくないが、この時期に来るというのは何か意味深な気もする、しばらく考えあぐね当日も全然集中出来なくて。今回こそはニュートラルな気持ちで受けれるだろうし、何か感じる気がすると期待していただけに邪魔された気がして気が散りまくりになってしまいました。ただ、23時になると強い眠気が来て、そのまま寝てしまったのですがその間に夢を見て目が覚めてトイレなど行ってふっと時計を見る自分が生まれた時刻(午前4時台)でした。


それから、今回のワークの振込みをする日に銀行で受付番号を引いたら554だったんですね。あ!惜しい!と思ったんですが、手持ちの本によると、「同時に複数の箇所に変化を起こしている」という意味らしくて。TM当日の夜に見た夢の内容がそれを裏付ける形になったようで…。


夢については過去にすごい不思議なものを見て以来お世話になった方の分析が的確で、これまでもずっと参考にさせていただいているのですが、残念ながら数年前から活動停止されており、現在連絡が取れず転用の許可がいただけない状態なので、判っているものだけで大まかに自己解析してみました。


今残っているその方のキーワード分析をもとに見てみると、浄化と応援の夢みたいでした。
特に夢の中で30回以上用を足してはジュースを飲むという場面があったのですが、これは不要になった過去の鬱積した感情の相当量を解放し、愛情を満たすというのを繰り返していると言えるようです。また、夢の冒頭からの解釈は、マイナス感情の昇華が起こっていて、自分にとっての学びを得る場所での出来事を受け入れる気持ちになりかけており、この先問題解決のヒントを得て、活動意欲も徐々に高まっていく、となりました。


その人それぞれの状態によって同じキーワードでも解釈が違ってくるようですので、これで合っているか完全にはわからないのですが、顕在意識的には気づけない分、寝ている間に昇華されたり、整理整頓されたりなどはこれまでもあって、起きた後悪い印象ではなかったことと、小を30回もしたという時点でちょっと嬉しかったです。


また身内の男2人の件も、最初はその時思ったことそのまま書いていたのですが、また前回のように、というかこれまでのように痛い重い部分を書かざるを得ないみたいな視点には正直飽き飽きしていて、今回は違った視点はないものか、当日は気づかなかったけど、今何かピンと来ることはないか…と考えていたのですが…!


そういえば、前回私にケチョンケチョンに言われた母はなんだかいつもそういう感じになってちょっと気の毒だなぁ、彼女をそうさせたのは父はじめとする男共の至らなさも多いにあるのになんでこうなるか…、身近にいるのが母で遠くにいるのがこの男共2人だからなのか…。



これって母性的な愛全体に対する恨みの質なのではないだろうか。うちは皆、男性性の質としては非常に愛に飢えていて、押しのけて自分が一番の被害者だから一番多く貰うべきだという考えを多かれ少なかれ持っているけれども、それを求めて向かう先は母本人以外は母一人であったし、だからそれぞれが自分の思うような形で母に求めるものを彼女から得られなかった時の不満や文句も母一人に、いがみ合う者同士が互いの不満をぶつけるのも母を介して。


何にしても一極集中となり、母本人は与える対象である私達の一部からはたまに貰うけれども、ほとんどは祖父母の面影から、自分が未だ娘であることでその想い出から愛情を受け取ってバランスを取っていたのかもしれない。と今書いてて思いました。


思考と体感、感覚がそれぞれてんでばらばらな感じでまとまりがなく、ちょっと混乱しておりまして、締め切りまで時間がないので一端ここで提出させていただこうと思います。後日また補足にてご報告させていただくことがあるかと思いますので、その時はまたどうぞよろしくお願いいたします。