第4回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiii(5次元)追加

前回の感想を出したところでナディの気付きは終わったと思っていたのですが、その後も多分ナディによるメッセージではないかと思われる事柄があったので、追加として書かせていただきます。


それは性をテーマにしたDVDをみた事から始まりました。一人の女性の結婚から始まって、その生活、夫が仕事で遠い地に行く事の別れの辛さ、夫の事故、彼の全身麻痺という境遇、看病、夫の彼女に対する想い、そして彼女の犠牲的行動・・・最終的に彼女は亡くなり、彼女の夫が奇跡的に歩けるようになるというストーリーです。


自分の結婚の時の感情と重なりました。離婚直前の感情が大きすぎてすっかり忘れていた感情です。私にも愛を感じられた経験があったじゃないかと映画を通して伝えられたような感じでした。


彼を愛しているからと思い込んで、彼の境遇を助けようと結婚に踏み切った自分、その中に自分で意識できなかった色々な浄化されていない感情が働いたのだけれど、愛もまた真実だった事に気付きました。



子どもの頃からタブー視だった性も彼とはタブーでないんだという開放感、お互いの秘密を分かち合えたという信頼感、少なくても性関係では女として受け止めて貰ったという気持ちで幸せになれた純粋な時。


夫の仕事や病気でと一緒にいられる時が少なく、何度となく別れの辛さを味わい、いつも待つことを強いられてきました。でもその辛さやもっていきようのない怒りややるせなさ、ひたすら夫の帰りを待ちわびていたのも愛あってこその感情だったのですね。


今となっては愛が存在する事により自分の感情がそれによって奔放され、様々な痛みや辛さが起こるのも理解できますし、それを今は恐れて愛に踏み込めない事も認めていますし、真実だと思います。


また改めて知ったのは愛の表現や受け止め方も人や性別によって違うという事。それによってそれぞれのカップルは誤解や疑惑を生じさせる試練を受けるのですね。自分のすべてを正直に伝えていくという事は殆んど意識していないくらいの感情をもなのかとうなされました。


女性は旅立っていく男性を別れの胸引き裂かれる苦しみをうける、また男性はそれによって彼女の愛を確認し、それを力に自分への挑戦に旅立つ事ができ、そしてまた、戻ってこようと決意するのだなと映画を通してみえたのです。


ネガティブな気持ちでさえ表現する事は時には人に力を与えるんだとだからありのままでいいんだと理解したのです。


映画の主人公の犠牲的な行動も発端は彼女の夫の願いから出たものでした。本当に彼女の純粋な夫のためにという気持ちがあったからこそ、奇跡が夫に起こったのですが自分のためにという事が抜けて、事態が思わぬ方向に向き、結局彼女は死を迎えるのです。


本当に人生の舵取りは自分を大切にする、という事が鍵なんだと思います。愛する人の為というのは自分の為でもあるという認識、自分が犠牲になるという考えは相手も望むことではない事なのですね。


彼女の最期に『間違いだった』という言葉があったのですが、それは胸に響きました。彼女は死んでしまったけれど私の何かが終わったという象徴のような気がしています。


そしてこれでナディのメッセージを最期まで受け取った事なのかと思いまして、追加として書かせていただきました。


何か変容できたらいいなと思ったところで長くなりましたが、最期までお読みいただきましてありがとうございました。