第4回ナディマスタートランスミッションスタディシェアii(5次元)

4月17日のナディ参加させていただきましてありがとうございました。


4月2日の太陽のナディといろいろと繋がっているので、振り返ってみます。身体的浄化が厳しく出た6次元ナディの余波を、その後も引きずっていました。元気になるためには、自分のやりたいことをやって、自分にやさしくしようと決めて内側の声を拾うようにしていました。


この十年ほど、私は環境とエコとベジタリアンに没入してきました。きっかけは子供のアレルギーです。洗剤の界面活性剤を排除し、肉、魚、卵、乳製品、果物を除去してみたり、最高級品に変えてみたり、それでは家計が保てないので、自家製野菜を作り始めたり、いろいろなことをやってきました。


その中で、自分と他人の歩みは違うこと、自分にとってよいものが必ずしも人にとってもよいものとは限らないことを学びました。二種類の食事(ノンベジとベジ)を作り分ける日々にも慣れてきつつありました。



一方そのことについてどれほど努力しても、私には内側の心の安定は訪れなかったのも、事実です。



第三回のナディの後に私に起こったのは、それらのすべてをひっくり返す出来事でした。私はカップ麺を買い込んで、お湯を注いで食べ始めたのです。普段の私とのギャップに、子供はあきれて見ています。「でも、食べたいんだもの。いいじゃない。」と主張する私。インナーチャイルドが出てきていると思いました。



「こうでなくてはならない。」などということは、本当はないのかもと思いました。すべての経験が許されていて、自分のやりたいことをやっていい。



一週間ほどカップ麺を食べたら、もう必要でなくなりました。抑圧がかえって反動を呼ぶのでしょうか。



一方、鼻水が止まりません。ティッシュを何箱使ったかわからないほどです。私の中の残留想念が鼻水の形をとって、出てきていると思いました。



次に、主人にトラブルが起こり、相談を受ける状態になります。この意味は何だろうと感じます。幻の向こうにある真実を見ようと、努力します。自分のこと以上に、人のことは難しいです。何故なら、解決の鍵を握っているのは、本人でしかないから。高次の自分が決めた経験しか起きないのが真実だから。でも、そのことをそのまま話すわけにはいきません。私にできるのは、愛と共に立ち会うことだけです。



このようなトラブルが生じると、その人の本質が現れてしまいます。母はこれにかこつけて、私に罪悪感とコードを入れようとしてきました。エネルギー状態に無頓着だから、これまでやってきたことを無意識でやるんですね。それはあっさりと弾き飛ばして、「私は今までずっとこれにはまってきたのだな。」と過去を振り返っていました。



ナディのマスターガイダンスを読みます。太陽と月の物語、タワーのメタファーはとても納得がいくものでした。「<バビロンの塔>の象徴するところは何だったのだろう?そのことについての解決を未だ私たちは見出せていないのではないか?」ということをこの一月ほど考えていましたから。



今後の私たちにマスターの守りと安全と喜びが入ることは、至福の出来事です。これまでは本当にサポートが入るのか、常に疑念がつきまといました。ナディマスタートランスミッションに参加させていただいて、マスターのサポートへの信頼を深くすることができたのは、私にとってこの上ない喜びです。



宇宙の護りの下でしか、取り組めない痛みがあるのも事実です。「地球の再神聖化と変容」とは、すなわち私たち自身の感情的痛みを見つめ統合することだからです。



9時ぎりぎりに宣誓文を読みます。いつもこのような場面に立ち会う二女が、側にいました。それからは、主人の話をジャッジしないように注意しながら聞きます。



10時からは、子供の側で瞑想を心がけますが、既にふらふらになっています。11時には倒れるように布団に入りました。心地よい眠りではなく、苦しいです。私の感じてきた地球上での痛みを浄化してくれていると、感じました。



リードマスターが、マグダレンホーリーグレイルと聖母マリアとサナトクマラであるということも、深いと感じています。今後の私がいつも彼らと共にあることができるようにと、願います。



史衣さんには、マスターとの学びとシェアの場を準備いただきまして、感謝しています。私たちには見えない気遣いが多くあったことと推察します。あらためてお礼を申し上げます。


以上です。