第4回ナディマスタートランスミッションスタディシェアi(5次元)

ナディトランスミッション4回目感想文


これまでこの学びと成長の機会に共に参加してくださったお仲間に感謝します。みなさま、ありがとうございました。


シェアを通して、わたしが言いたかったけれど言えずにいたことをはっきりと書いてくださった方や、見落としていたすてきな視点などに出会えたことによってより深い理解や解放に導かれていきました。そして、どんどんと自分が純化されていったことが日に日に実感としてありました。インターネットの普及に伴い、人と人がこれまでとは違ってスピリチュアルな近さで出あえていけることが嬉しい実感としてありました。


毎回、ナディはすごいのですが、今回は特に・・・もう、ことば、ありません。
わたし、良くやってきたな、ありがとう、わたし。今は心地よい安心感の中にいます。


9:00 テレビをみながら眠りこんでしまった娘に毛布を掛けようと近寄るとロザリオが見えました。娘のロザリオ。ロザリオは聖母マリアに捧げる祈りに使う数珠。お風呂に入る。ぬるくて沸かしながら湯船に浸かっているとお湯をわかすボコボコと水が循環する音が聞こえてきて、その音を聞きながら母の胎のなかで聞いていた音とはこんなものだったのかもと思う。


母の胎。聖母の胎。母をゆるしたい、自分をゆるしたいと思う。その緊張感が身体の奥でぎゅっと固まるのを感じながらお湯につかっていました。ボコボコ、母の羊水、羊水の動く音。


わたしは、聖母に焦がれると同時に嫌いだったのだと認め苦い涙を流しました。処女マリアの純潔は、わたしにはほど遠く現実的なリアル感のない女性の自由を奪う絵に描いた餅だと思って生きてきました。美しすぎるマリアに嫌悪を抱いていた自分を認めてお風呂でひとり、泣きました。



風呂からあがると洗面台のわきの小瓶に目がいきました。小さな透明のボトルに白いキャップ。ああ、友達がお守りにとくれた「ルルドの水」。聖母マリアが癒しのために現れたと言われているフランス、ルルドの湧き水。


聖母マリア。ふと、ルルドの水を額につけようと思い手のひらに少しだけ注ごうとしたのですが、たくさん出すぎてしまいました。あぁ、どうしよう、口に含んで、のど、胸につけて十字をきりました。すると、「水で十字を切りなさい」ということばが。



部屋に上がってチャックスペザーノ博士のセラピーカードを引きました。次々と出てくるワナのカード。ワナは愛から自分を遠ざけるためにエゴがしかけてくるネガティヴな感情。罪悪感、怖れ、男女の主導権争い等々。
解決へ導くのは、手ばなし、ゆるしのカード。


「水で十字を切りなさい」
罪悪感のカードの上で、ルルドの水の小瓶をもって十字をきる。涙が出てきました。水の小瓶を手にもって恐れのカードの上で、男女の主導権争いのカードの上で、執着のカードの上で十字を切りました。どんどんと積みあがっていくネガティヴなカードの山。手ばなす。イメージの中で大きな穴に捨てました。


10:00 「娘よ」と強く呼びかけられました。
「いらっしゃい、娘よ、あなたはわたしの娘」


その声は、わたしの深みの何かに激しく触れました。わたしは、ハラの底からの抵抗をしめしました。慟哭して声なく「いやー」と叫んで逃げ出そうとしました。わたしは、聖母の母性を恋したいながら逃げたいという自分に直面しました。母(実母)の拒絶が痛くて母に甘えたい自分にすなおになれなかった幼い女の子の痛みが浮き上がってきて泣きました。もう、これ以上、この痛みに触れる勇気も元気もないとお布団をかぶって朦朧としていました。


11:00 何かが起き続けましたが記憶がありません。


そして、明白な区切りがあってエネルギーが代わりました。マグダラのマリアに代わったようでした。過去のセクシャリティにまつわる罪悪感が水に流されていきました。


意識は夢うつつの状態でしたが、身体が分解していくようでまるで粘土細工のわたし。手と足と身体とくにゃくにゃと形をなさないで身体中の細胞がいったん、これまでの形を放棄して新しく整列させられているような・・・なんと表現していいのかもわかりません。まさに「変容」。音も聞こえていたのですが、その音はどんどんと音階が高くなっていっていました。


その後、ルーン文字のゲーボ「X」が空中に現れて、バンと額にむかって飛んできました。刻印された、与えられたと思い嬉しかったです。
今朝、調べたところこの文字は「愛、贈りもの」という意味や、パートナーシップという意味だそうです。


嵐の一夜。激しい一夜でした。しかし、一夜あけて今日、わたしはこれまでに体験したこともないほどの安らぎの中にいます。



**************



前回のナディ(男性性の癒し)の後に次ぎのことがわたしを感動させてくれました。どなたかが茂木健一郎氏のことを「男性性の輝き」と表現されていましたが、女性であるわたしもうちなる男性性の正しい使い方、表現の仕方をこれからも磨いていくことになるのでしょう。良い手本となる美しい男性性の発露に出会いました。そして、それを認められる自分ができあがったことが嬉しいです。


南直哉著「老子と少年」
脳科学者の茂木健一郎氏と禅僧の南直哉氏の対談「人は死ぬから生きられる」


以上が、わたしのシェアです。この数ヶ月に通過した情報量と解放していった過去からのもの、とても大きいです。限られた紙面で語りつくせるものではありませんが、わたしは確かに以前のわたしとは違っています。このレベルで癒されたことの意味は大きいのかもしれませんが、わたしは今自分にある静けさが何よりも嬉しいです。

みなさまに心から感謝。