第三回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiiiiiiiii(6次元)

ナディトランスミッション3回の感想


本日、トランスミッションから8日目。トランスミッション後の現実面での変化の早さと、自己の感情面での揺らぎゆえに感想文を何度も書き換えているうちに提出が遅くなってしまいました。自分にとっての真実の告白であるこの感想文は一語、一語、吟味して、わたし自身のティアラを飾るダイアモンドの一粒、一粒を選ぶように丁寧に誠実に言葉を紡いでいってよいのだと、マスターたちから教えられたような気がしました。そのためにはどれほど時間をかけてもよいのだと。


自分に対して誠心誠意尽くすことが、自分を癒し、自分を守るのかもしれません。自分にとっての真実を語ることが、安心をもたらすのです。恐れから慌てた言動をとるのではなく「わたし」の頭上を飾る王冠の宝石は、わたしの真実の目で吟味して選びとって良いのだとわかりました。わたしはわたしの真実を生きたいと思います。これがトランスミッションから8日目のわたしです。



さて、トランスミッション自体の感想は・・・・実は、珍しく、ウンともスンとも。ほとんど何も感じず、メッセージも明確にとれず・・・・しーん。何もなくとも信頼して信じることが今回の教え?かも。日常生活でメッセージをもらう。ちょっと必要なものが出て買い物に外に出る。月を見る。ああ、半分コだ。車を走らせながらゲラゲラと笑いが止まらない。どうやら私の抑圧していた感情は「笑い」かも?コンビニの看板の“NET”とという文字が目にはいる。辞書で調べる。Net=正味の、最終的な、究極の、生価、純益、最終結果。Net=網、放送網、落とし穴、計略、捜査網。



ただ当日は日中から、何だか、わけわからないけど胸の奥深くが痛いな、いって〜〜〜よ〜〜〜と感じていました。痛みの底で手を広げているマグダラのマリアを思って過ごしました。涙。この日、嬉しいことにこの4,5年私を悩ましていた問題が解決しました。これまで「否」という反応しか戻ってこなかったところから「肯」に反応が変わりました。私はあるキリスト教の組織に対して女性の人権、女性の痛みを主張しつづけていたのです。



宗教における救済、人権擁護などといいながら実は「ことなかれ主義」で問題提議する女性信徒なんてうるさがられるだけで、いいから早く黙れ!or従順な子羊になれないなら出て行け、みたいな反応ばかりだったのですが4月2日、教会側から「できる最善を尽くしました」という誠実な応答をいただきました。やっと安心を手に入れました。女性の痛みを訴えつづけて4年になります。やっと、やっと私の主張が理解してもらえました。私の望みは、男性聖職者たちの「理解」と「協力」。そのためにかなりな人数の聖職者の前で涙、涙、涙で訴えつづけました。



もともとは、一人の聖職者に理解してもらえれば、それでよかったのです。一人目がだめで、二人、三人と理解して解決への援助をくれる人を求めつづけました。問題は教会内での抑圧ゆえの隠されたセクシャリティにおける機能不全の問題でした。教会の最初の反応は「否認」。次が「拒否」。その次が「攻撃」でした。まるで、信徒には性的な問題は存在しない、とでもいうように。むしろそんな話をする私が問題にされてしまいました。しかし、ナディの1回目を受けた直後、解決に向けて動きだしました。イエスから、安心しなさいと言われたような気がしました。目に見えない大きな癒しのプロジェクトの完成が間近だと感じました。



そして今回ナディの3回目の日、「地域の聖職者の間でNet(連携)を作り、今後、問題に対して注意を促してゆく」ということと、地域の行政機関との連携をとったことを知らされました。その言葉は、表面的な言い逃れではなく真実、彼らの意識に変化が起きたことを示していました。Net=協力の網。人と人が手をつなぎコミュニケーションをとっていくこと。私の主張は、男性聖職者(ヒエラルキーの中では最高権力者)と一般女性信徒(末席)が同じ目線でパートナーシップをとっていくことによって、問題解決にあたりましょう、ということでした。そのためには、男性聖職者の「理解」が必要です。



女性を暴力によって支配してはいけません。それを男性もしっかりと理解してほしいというものでした。女性の痛みに寄り添ってください。男性の面子を保つために女性が犠牲になり続けていく必要はないのです。しかし、単純なこのことを理解してもらうのに4年という年月がかかりました。それは私の男性性と女性性の癒しのレベルに対応していたのかもしれません。男性至上主義の最後の砦、教会のヒエラルキーを前に泣き続けたのは彼らの中の傷ついた女性性(男性性)を私が体現していたからかもしれません。



私の涙をみて心を痛めた聖職者たち(男性も女性も)もまた癒しを求めて一生懸命祈ってくれました。問題解決までに要した年月と関係した人数の多さ、それらを総合的にみると大きな癒しの流れ、男性性と女性性の癒しが背後にはあったのではないかと今は思えます。



それが、ナディの日に教会と私の和解という形で終結しました。と同時にそれは私の宗教への依存と呪縛が解かれた日にもなりました。



マグダラのマリアのメッセージ。「私は強い存在なのです。」屈辱も無理解も悪意もすべて耐え続けることができるのは、強い存在だからです。私が自分の女性性を強く「肯定」できた瞬間でした。これほどの痛みと、大切な人間関係を犠牲にしてまで私の魂が掴みとりたかったものはこれでした。強い存在としての女性性。



当初、無理解な男性聖職者を前にして私の未熟なエゴ(男性性)は女性の権利を主張して地団駄を踏んで悔しがりました。だけど、内面の智慧は我を張り通すことに不快感を示していました。ただ、私はどのようにして終結していいのかその方法がわからなかったのです。屈辱を耐え続けることは耐え難い敗北のように感じていました。しかし、マグダラのマリアのメッセージにふれて忍耐することの深い勝利を知りました。



今日、私はマスターたちから王冠を贈られたような誇らしげな気持ちがしています。ちなみに私の洗礼名のマリアはマグダラのマリアです。これが、トランスミッション当日の現実面での動き。




トランスミッションの間は、静けさだけであまりアクティブではなかったです。思考もあまり出てきませんでした。ただ痛い胸を押さえて寝込んでいました。自分の力(心の力)でゆるす限界を感じていました。「無条件の愛なんて、私には無理です。」「愛そうと努力することはない。私は私であると知るだけでいい。それが無条件の愛なのです。」



エーテル施術も何も感じずヴィジョンもありません。あまりの静けさにヴィジョンをみせてとお願いしました。すると、「ヴィジョンなぞはいりません。今、過去との切り離しをしていますから静かにしていなさい」と。その直後、胸の真ん中に白い強い光がシュッと入ってきて私の身体はベッドの上で飛び跳ねるほどの衝撃を受けました。そのとたん、ファンファーレが鳴って「おめでとう、おめでとう」と明るい世界に入りました。



4月4日トイレの中で前代未聞の出来事が。水洗トイレの水に黒い枯葉のようなものが浮いていました。何?なぜ?流そうとするとビクと動く。ぎゃーーーコウモリだーーー。(トイレの小さな空気とりの穴から浸入した模様。)コウモリは同じ翼であっても天使のような清らかイメージではないですね。だけど、命です。箱にいれて外においておいたら夕方にはいなくなっていました。良かった飛び立っていきました。トイレでずぶぬれになって死んじゃうかと心配したけれど。



Net=最終結果。トイレでずぶぬれ、溺死寸前の小さなコウモリの救出。コウモリ復活。飛び去っていった。小さなコウモリは私かもしれません。日本と外国を行き来して育ち、自分が何人かわからない根無し草の気分をずっと持ち続けていました。それに教会ではまるで『魔女』にされてしまったし。



たしかに過去生では清らかな人生だけではなかったようです。認めたくはないけれど権力を手にして他者の苦しみを理解することなく弱いものの方がバカなのだと傲慢に思っていた時代もあったようです。この数年、神に向かいたいと祈りつづけてきましたが、少し愛が育つと反対側の心が大きくひっぱりました。激しい怒りや、恐怖、他者を責めたい気持ち、捨てられた恨みからサイキックな刀を投げたくなる苦しい日々でした。


愛そう、ゆるそうとすると心の奥底から(過去生?)から亡霊がでてきてネガティブなエネルギーに取り込まれました。それはもう傲慢で自己中心的な独裁者でした。(あははは、私に暴力振るった男性のことを責めたり、罰したりすることに違和感があったのは・・・・)しかし、当時はあまりの苦しさに守護の天使に文句をいったことがありました。「どうして助けてくれないのよ!」するとその答えは「だって、相手は大天使ミカエルだもの」。



今回、史衣さんのダイアリーに同じ絵があって笑ってしまいました。今生、私は過去生から鍛え上げた男性性(武士とかバイキングとか神父とか)を駆使して職業的な成功を手にいれました。どれほどの社会的な成功も、お金も、何も自分を満たすことができないと知ってしまい最終的に宗教に行きました。しかし、宗教でさえも私を満たすことはできませんでした。結局、宗教の中で神を追求することですら競争であり傲慢なのだと思いました。人は、ただ、生きて呼吸しているだけであり、日々の喜びは宇宙の流れのままに。



心の底から大いなるものに頭を垂れることができる自分に出会えた時、何かが変ると思いました。それは大天使ミカエルに喜んで降伏するか、コテンパンにのされてから降伏するか。そこには大天使ミカエルの大きな愛があります。何度でも何度でも私の不自由な男性性の挑戦を受けてたってくれたミカエルの愛です。


4月5日、ある仏教寺院で白無垢の花嫁さんを見ました。結婚。何かが確実に私の中で統合され始めたようです。  感謝