高潔な生き方

わたしのナディのシェアをさせていただこうと思います。ナディの数日前から、ふと頭に浮かんで離れない人がいました。それは「田中正造」という人でした。


田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、明治の代議士。当選6回。足尾銅山鉱毒事件の告発者として有名である。(Wikipediaより)


この人は、今でいう環境問題のさきがけの運動を、命をかけて行った明治時代の代議士です。それこそ自分が正しいと信じた信念を何(政治的権力)にも負けずに貫いた人でした。こういう人を真の政治家と呼ぶのだと思います。




正造の言葉です。「真の文明は、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」



わたしが、思い出して、そのたびに涙が出てしまうのは、この人の最期の持ちモノです。ずたぶくろ一つ。そのなかには、自分の日記と、新約聖書、鼻紙だけだったというもの。Wikipediaを読みましたら、それに小石3個や、海苔などもあったようですが、お金は一銭もなかったということです。それは貧しかったのではなくて、必要でなかったのだなと思うのです。それよりも大切なことがあったのでしょう。家も土地も手放して、本当に全財産がこれだけだったということです。



政治家ですし、名主の出ですから、貧しく育ったわけではないし、権力を利用して豊かになろうと思えばいくらでもなれるそんな立場にあった人です。でも、自分の全財産を、足尾銅山鉱毒に苦しむ村民を救うためだけに使いきった人です。亡くなったのも、協力者を一人一人訪ねてゆく道中のこと、自分の命がやはり鉱毒で長くないことを知っていながら、最後の最後まで、村民を救うことのみに自分の人生を捧げた。この人は本当に「豊か」で、高潔に生きた人だなと思う人のひとりです。



新約聖書を読んでも、改宗はしなかった人です。そういうことが重要なのではないと知っていたのではないかと感じるのです。でもキリストというマスターとともに歩んでいたのだろうなと個人的には、感じています。



明治天皇に直訴を行ったときには、取り押さえられ失敗に終わりましたが、そのときも正造は、死を覚悟していたようです。直訴のまえに妻に迷惑がかかってはいけないと離縁状を送ったそうです。(けれども奥さんもそれを受けなかったそうですが)。



いつも、どうしたら、こんなふうに生きられるのだろう、一体何がこの人をそうさせたのだろう、その力はどこから来るのだろうと思っていました。
わたしなどは、毎月の「ヴィーナス〜」のユニセフ募金に、自分の分をさらにいつもより加えて募金するようにとガイダンスを受けただけでも、ええ!こんなに!(金銭感覚は一人一人違うと思いますが、わたし的には、笑)と思う自分がいるくらいなのですから。でもこの話には、オチがあって、でもしぶしぶ従ったら、一瞬そのお金を無くしたのです!振込みする前に消えてしまったの!で、ああお金は自分のものであって、自分のものでない、天が取り上げようとしたら、すぐにでも無くなるものなんだ!と反省した瞬間出てきて、笑、学びでした。無事みなさんの分も併せて、今月も募金できました、笑。



正造は、こんなわたしを見たらなんていうかしら?、でも優しい顔で笑ってくれそうですね。きっと。



ガンディもそうだし、聖フランチェスコもそうですね。自分の全てをかけて、全世界を愛した、高潔に生きた男性性のお手本は、たくさん存在しているのですね。「愛以外すべてを必要としなくなる....」それは、本当に愛が尊く、何よりもすべてを満たしてくれるものなのだと知っていたからなのですね。聖フランチェスコは、クツミと関係が深いとも云われていますね。



わたしの中の男性性も、高潔に生きることが出来るのだという希望を今回与えられ、すぐにテストされ(結果は上記の通り苦笑)、けれどもそんな自分をありのままに受け入れる愛こそ、それ(高潔な生き方)を可能にするのだなと今、学んでいるところです。