第三回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiiii(6次元)

ナディマスタートランスミッションの感想をお送りします。


まず、今 書き始めてよいのか、慎重に自問しました。ずいぶん引きずられていたし、ずっと体調も悪かったし、一昨日まで果たして消化出来るのだろうか、と泥沼に落ちたかのようだったからです。 そして大丈夫と思えて現在に至ります。


一人 春の鎌倉を旅して参りました。 春の息吹と音楽に癒されてきました。
そして一人でいても今は独りじゃないと自然に思えました。 それがあまりにも自然であたたかい日だまりで花がひとりでに咲くように、“今”は違うのだと思えた幸せでした。 6次元は“過去”でした。 これから書くことは過去だ、と。そして“現在”の気持ちを噛みしめながら書こうと思います。


前置きがどうしても長くなってしまったので、すみません(更に長いですが)


21:00
叔母たちが帰ってくる。無性に私はイライラする。叔母のしゃべり方が命令口調に聞こえる(支配?)

宇多田ヒカルの“deep river”を聴く。“自分らしさという剣”というフレーズに(剣を振るうのに疲れた)と思う。

“戦っているのなら なんのために戦っているのか”
(己を守るためだ)
(戦うというより抗ってきたんだ、そして抗うのに疲れた)と思った。


22:00(瞑想)
ずっと泣いていた
“自分は、自分のみが不完全な罪ある存在なのかもしれない、そしてもう永遠に愛されることはないのかもしれない”ガイダンスにあった文章はいつも心の底に沈んでいる、なにかあると浮上する思考でした。



否定されたこと、弱さに逃げてると言われたことを思い出しました。今まで歩んできた道のりも頑張りも見ないで『暗』の部分だけを言われたことにとても傷ついていました。そして私はずっと抗ってきたこと、他人に優しく、丁寧に接したこと、全て“自分のハートを守るために”だったのだと解りました。



傷付かないように、必死でした。これは多分ずっとずっと昔(今の意識よりも昔)からなように感じました。そんな私からみると思ったことをそのまま言っているように見える叔母は妬みの象徴でした。

“では あなたの優しさは偽物であるのか?”
“いつしかあなたの優しさは確かに返ってくるようになった。その度あなたは戸惑った。あなたの優しさは守るためのものであったから。
いつしか沢山の優しさがあなたに降ってくるようになった。
あなたは困惑し、拒絶した”
マスターは“あなたが何度拒絶しても愛してると伝えよう何度拒絶しようともね”と告げてくれました。


“はじめは偽りの優しさだったのかもしれないでも本物になった時、沢山の優しさがあなたに返ってきました。あなたは独りじゃない”


23:00 ヒーリング
泣きつかれたせいか、この時点でぐったりしていた。温度のないしびれに包まれる‥。意識は23:30で途切れていた。就寝。


翌朝
夢をはっきり覚えていた。高層階にある自宅の部屋から古びた人形を落とす。落ちて割れた人形が不気味だったので、回収しようと落下地点の森へと進む。壊れた人形は毒々しい赤い花々の上に点々と落ちていた。 それをみた瞬間“ごめんね、ごめんね”と深くから謝罪の念が込み上げてきた。‥そこで目が覚めた。


以上が6次元の1日でした。後で夢占いで調べてみると人形は“弱った心がみせた増幅した姿、孤独を感じた心”というような記述があって、この夢が先行き不安な状態や心が出たものだったのかなと思います。 はっきり言って前置き部分以外書くのが苦痛な6次元でした。 でも今は内側に自然に咲いた花を信じていようと思います。たまに過去が出てきても
大丈夫と思えるように愛をいつも背後で感じられるように‥。

長くなりました。以上となります。
今回もありがとうございました☆☆☆






先日お送りした感想に付け足したい後日談が出来たのでお送りします。

6次元実施から3日後の夜叔母につい意地悪な言い方をしてしまいました。“だって叔母ちゃんは自分勝手だもんね”彼女は少し憤りながら“もうこの年になったら好きなように生きたいのよ”と 言いました。

私は慎重に言葉を選んで答えました。“叔母ちゃんは自分の思うようにぽんぽん言うじゃない、私は我慢とか多いし、他人に優しくするのも自分を守る為だったりするの。だから嫉妬しちゃうの、羨ましいんだよ”



翌朝
“意地悪なこと言ってごめんね”というと“気にしてたの?もしかしてまた眠れなかった?私は嬉しかったよ。〇〇ちゃんの思ってることが聞けて。あれでいいんだよ。ケンカして。家族じゃない!嬉しかったよ”と彼女は言いました。

私は“自分でもね、ああいう風に考えたのは最近でね、今までは“ただ嫌い”とかだったんだけど、何でだろうって考えてね、こういう風に言ったら大丈夫じゃないかって。誤解されたら嫌だから。私は叔母ちゃんが羨ましいんだ”なごやかな空気がそこに在りました。



私は これでよいんだって 一つ乗り越えた気持ちでした。 感情のままにじゃなくてハートの真実を真摯に伝えるってことなら私にも出来るかも、と思わせてくれました。



でも根底に愛あればこそ、ですよね。



“高潔に生きる”の断片に少し触れられた気がしました。