第三回リリースの感想です4

ヴィーナス・ファンデーションの感想



今回のグリットをみたとき、わはっははと笑いがこみ上げてきました。何度みても、わっはっは。楽しい!



史衣さんのつくるグリットからは、何かメッセージが発せられていて前回、ナディ一回目のグリットの写真を観たとき、私の中から「わかりました!」「はい、今、すぐします。」と声が出てきて、あわてて天然水のがぶ飲みをしました。



なにが、わかったのか未だにわたしのへぼ頭では理解不能ですが、私のどこかが応答したのです。「わかりました。」とマスターたちに応答したのです。



これは、言葉を超えたコミュニケーション。



それで、今回のグリットに対しての私の応答は、「わっはっは」でした。



マスターたちから受け取るメッセージ、エネルギーをすべて自分の言語能力の中で理解することは無理なのでしょう。だけど、同時に、目に見えないマスターたちからのメッセージに応答できる自分も、どこかにいるようです。



どうやら、私とは、私と認識している以上に謎の多い存在のようです。いったい、誰があのグリットにむかって「わかりました!」と返事をしたのでしょうか。それは私の表面意識でないのは確かです。



ネットサーフィンをしていて「サナトクマラ」を調べていたとき、たまたま立ち寄っただけで顔も声もしらないチャネラーの史衣さんのブログ。そこで、はい、遠隔でエネルギーをマスターから送ります。料金はこれこれで遠隔です。このようなエネルギーワークは初めての経験です。



いったいぜんたい、どういう根拠があって私は、この人を信頼して私にとっては少なくはない金額をポンと振り込んで、エネルギーという目に見えない、手に触れることのできないものを受け取ることに全幅の信頼を寄せることができたのでしょうか。それは、私の表面意識ではないところからの呼びかけであり、それはこの小さな自己を超えたところでの信頼でした。




シャンバラのマスターたちという存在もこのブログで初めてしりました。




しかし、どうやら、私とマスターたちは仲良しでありというか昔っからの知り合い?すでにマスターたちを信頼しきっている自分がいたように感じます。この肉体の私にはまだ未知でも、実はこの段階を追った学びの全てを私のどこかでは既にマスターしているのではないかと感じています。既に全てを知っているマスターの自分がどこかに存在している、ただ、それをこの肉体の自分に思い出させる、または、ベールを壊していく、そんな感じです。




私のエゴを含む自己、表面意識では、いや〜クマラって?クマラって誰?そんなマスターなんて信頼できるの?などと疑いを差し込む声も聞こえてきます。だけど、どこかで、いつか、その疑いの声を越えて、より大きな信頼を自分にゆるす時が来るのだと思いました。



そして、それは私にとっては、ナディ一回目のグリッドを観たときの「わかりました」だったのだと思います。



ヴィーナスは、今回初めてでしたが、次のことを言われました。「いやはいやでいいのだよ。いやの中に成長の種があるから」「いやだという自分を大切にして」



そして、私の周りでドカドカ、ガンガンとまるで妖精たちの大合奏のような小さな音がして音でエネルギーの壁を壊しているような感覚がありました。



「これから、根源の痛みに触れるよ、覚悟はいいかい?」胸の中心の奥深くに触れていくようでした。



ここ数日、過去からの苦しい怒りが噴出してきて辛いのですが、「笑いながら怒ることはできないよ」という言葉を反復しながらすごしています。スマイルはひきつっていますが。



被害者意識を手ばなすこと、それが、人間の問題の全ての答えのように感じました。被害者である自分を演出するためには、加害者を必要としてしまいます。私が被害者意識を手ばなせば、怒りも涙も、いらないな〜〜って思いました。