第二回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiii(8次元)

こんにちは。お世話になっております。

第二回ナディの感想です。
前回のナディで「犠牲」(前回のテーマに含まれていた)に関する感情、怒りなどをけっこう浄化したことで、これまで周りや自分を「許したくないし、受け入れたくない」と思っていたのが「許したい、全てを受け入れられるようになりたい」と変わり始めているのを感じました。



そこで向き合わなくてはならない のが、私の中の根深い自己否定、でした。自分はどうにもダメな人間で、そんな自分が嫌でたまらない、そういう思いが深くにあって、そのために、いい人であるとか、何かに優れているというブラスアルファがないと不安だったし、失敗するということも、自分嫌いをさらに深めるので怖いことでした。そして、自分を否定しているということは、その思いが現実をつくっているわけですから、人間関係も辛いものとなっていました。



嫌いな人は、自分の嫌いな部分を見せてくれる人であり、嫌いな部分を許せれば、その相手はいなくなる(気にならなくなる)というけれど、根本に自分への 全否定があるとそれはより難しいものです。




今回のナディでは瞑想中に、私の中から喜びのワクワクした感覚を引き出してくれるのを感じ、喜び、無邪気さ、笑い、そんな言葉が浮かびました。



私の場合は、どうしたら許せるのだろうか、と理詰めに思考でどうにかしようとするところがあって、マスター達はいつもハートの真実に訴えますよ、それが 大事ですよ、といっているにも関わらず、考え込んでしまってもう無理、わからない!となることがよくあります。



喜びの中にいる時、無邪気になにかしている、笑っている時、これらのエネルギーで満たされているときは、嫌だと思うことが、なんだか別にいいかなぁ、と 受け入れられたり許せることってあるなぁ、と思いました。インナーチャイルドが癒されるからなのでしょうか。



ネガティブな感情などでハートが覆われていない状態、自由でリラックスしてる状態だと、直感も受け取りやすいですし(そしてそれがハートの真実だと思うし)物事の洞察を得たり、コミットするということでは思考は大事ですが、それに偏ると上手くいかなくなってしまうのですよね。



そして、「宇宙の良心」、あらゆるものとして存在し体験することですが、いわゆるや悪とかネガティブといわれる感情は、辛いものだし、いけないもの間違っているものとして、見ないようにしたり、自分の中に抑えこんだり、又は執着してしまったりすることで、真実が見えなくなり、ハートの真実から離れた生き方をしてきてしまったのかと思います。



本来、あらゆる体験によって、少しでも多くの理解や共感を深めることは、無条件の愛へ向かっていくことのはずなのに。宇宙の良心において、間違いはないと真から思えたら、体験や感情に執着したり、溜め込んだりすることはなくなるし、全てを許すことができて、統合され る、そして、自分の真実だけを見つめて生きていけるようになるのかな、と思います。さらには、それによってワンネスの意識も持ちやすくなれば、一人ではないという安心もより深く得られるようになるのかな、という気がしています。




引き続いて、ヴィーナスファンデーションですが、今回のナディとまさにつながっている感じです。



ナディで、喜びの感覚を引き出してもらい、ヴィーナス…でそれをよりよくできるように創造性を活性化してもらったように思います。そして毎回のように、 安心のエネルギーもいただきました。



ふみさんブログの説明にありましたが、「喜びとともに行わないなら意味がない、喜び以外、義務ではより良い結果は得られない」今の私はこれにつきるなぁ と思います。ナディのテーマを学ぶとか以前に、私の場合はハートの声をもっときいて、喜びで行う、これを実践していかないと、とつくづく感じています。
ありがとうございました。