第一回トランスミッションスタディシェアiiiiiii(7次元)

こんにちは。第一回のトランスミッションをどうもありがとうございました。感想とレポートなど、お送りいたします。



以下の通り、感情面についてのボリュームが多くなりましたが、このハイレベルなワークをちゃんと受け取ることが出来るには、まだまだ昇華しなければいけないことが沢山あり、今の自分のレベルでは感情レベルで行き詰るのも無理もないと思っております。

「栄光ある奉仕と犠牲の違い」についてすでに知っていることはありますが、また振り出しに戻っている状態では実体験を伴わないため、記することが出来ず残念です。それでは感想&レポート本文です。」

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【実況報告】
ハートの真実に対して語りかけられた内容については、時間内に手応えをもって察知することは出来なかったが、クマラの「金星から刺激」という点においては確かにそうなった。



当日は体調を崩し、一日中のぼせとだるさで思考も身体もほぼ停止状態。
感情面でもこのトランスミッション3日前から新たな盛り返しがあり、主に気遣いが足りないと感じる状況が続いて周囲に対して苛立っていたが、ふとこの苛立ちに”なぜ?”と思い「自己価値の再構築」の必要性が今あって、今の個人的テーマはこれだと思った。





その夜ガイダンスを頂き、ぼんやりした頭でなんとか目を通す。
「奉仕と犠牲」という個人的には遠い昔のテーマに戸惑い、心の準備をしようにも頭が働かないので理解及ばず。特に「犠牲は勝利」という部分に強い疑問を感じ、当日22時からの瞑想の際、このことについて繰り返し尋ねたが、その答えを聞くことはできなかった。



23時からのヒーリングは落ち着かず、失敗したという思いで一杯になり、そう感じてはまずい、集中しないとと思うほど焦る。なんら手ごたえを得ず終了した。




【考察】
特にここ最近は、違和感が時間経過と共に存在感を増した後、唐突に痛みの感情が顕れるため、それが一度始まるとそれ以外のことが回らなくなりがちです。しかしこれも金星からの刺激であるなら意義もあり、内的抵抗を介さずフィルターに触れている状態とも言え、後はこれらを越えた先にある本質に意識が向かえば恐らく何か響くものがあったはずだと思った。



自分はまだ各々の感情をマスターしている途中であり、「赦し」に至るにもまだ遠い。やろうとすると心の内がかんしゃくを起こして引き戻ってしまう。



リリース第一回目の後は一度は上手くいったと思ったが、あれは大きな安心感の中でのことだったので、感情には軽く触れればそれで済んだ。リリース第2回目の直後の場合は、痛みの感情に入って味わざるを得なかったが、やってみると確かにそれらは消えた。



これはすごい体験だったし、すごく嬉しいけれども、まだ沢山のフィルターが内在していて、未だにリアルで痛烈なので道がすごく遠く思える。



心を静めてフォーカスすれば、内側にあるあの安心感に似た感覚や、勇気・希望など暖かくて大きな感覚に触れられるのだが、普段ほとんどそのことを忘れている。最近マイナスの振り子がこれ以上行けないところまで触れた時、そういえば何でこんなに?と疑問をきっかけに自動的にプラスの方向に大きく振れてやっとこのことを思い出した。



それから、トランスミッション終了後ふと思ったこと(●)、更にその後の疑問に対するダイレクトなサインや導き(○)を以下に。



●犠牲の先には豊穣があり、この豊穣が勝利
●豊穣とはより多くの種類の痛み(恐れ)と赦しを体験・昇華すること。またそれを経て愛に近づくこと。
●ダイレクトに感情に触れ取り乱しても、この取り乱しこそが痛みに触れ始めているサイン。抵抗をせず素直になればいずれ消える。



○「赦し」は、子供のような純粋さと無邪気さで。
○終了4日後に「愛と怖れ」(G・ジャンポルスキー)という本を持っていたことを思い出した。この著者に影響を与えた「A Course in Miracles」の方が、今の自分にとっては有用と思うので、今後読む予定。



【まとめ】
自分が奉仕に至るには、十分に満たされている必要がある。自分にとってはこれまでの人生はどちらかと言えば「奉仕か義務か」でした。犠牲から派生した義務でしたが、過去は自分を差し置いてやり過ぎ、慢性的にエネルギーが足りないと思う時があった。
それを自覚していても、困っている状況を見ると自動的に手を伸ばそうとすることがあり、毎回「これは奉仕か義務か」を確かめ、今はいいが後々関係が悪くなった時にやらなきゃよかったと思うならやらない、逆に後々関係が悪化したとしてもこれは別の話だと思えばやるスタンスを取っている。
もう義務の座は降りましたが、奉仕にも強い抵抗がある。逆に満たされている状態なら自然と支えの手を伸ばした上でもなお有り余るパワーがある。
本当の意味での自分に対する慈愛と滋養がしっかり根付いてからの話で、それがここ暫くの命題です。自分の価値を見直し、自分の人生を生きること。


以上です。
ありがとうございました。