第一回トランスミッションスタディシェアの感想

トランスミッションの感想文を読んで


あまりにも、内容がわたしの過去2.3年の体験と酷似していたので、シェアします。ありがたいメッセージの数々に感謝します。

実は、わたしも昨年、伝統的キリスト教徒の男と激しい愛憎バトルをしました。出会ったとき、タントリックな関係の過去生を思いだしました。指先がちょっと触れるだけでも、天にも登るほどの喜びと愛が身体中を巡りましたが、今生の現実は、そのような関係になることが難しい状況にありました。そして結果的にわたしが魔女狩りだーーーと叫ぶ状況になってしまいました。これまでの人生で一番純粋に愛した男性だったのでショックで、すさまじい心痛でしたが。



さて、マグダラのマリアとイエス磔刑について。イエスにある日、わたしは聞きました。「マグダラのマリアはどうやって、最愛の人の苦しみ(十字架上の受難)を耐えたの?自分が身代わりになることもできず、最愛の人がすさまじい苦しみを受けている、その苦しみの深さまで、共感できていたはずのマリアの心は引き裂かれたはずです。どうやって、その十字架の道行きを見届けたのでしょうか」

エスから答えがきました。
「マリアはただ愛した。愛した喜びだけを信じて、愛に深く深く身を浸していった。」「マリアはただ、愛したのだ」・ ・・・・・・



トランスミッションの次の日のミサで。
マグダラのマリアがイエスの道行き(受難へ向かう)のを見届けたという内容のミサの説教でした。そして、インスピレーションを受けました。
「わたしはカリス(聖杯)」「水を黙想しなさい」と言われました。その日、初めて聖杯に触れる機会を得ました。聖杯を片付ける役をいただいたのですが、手が聖杯に溶けて聖杯と手が一つになったような感覚がありました。ミサの儀式では、聖杯に、血であるぶどう酒と少量の水を注ぎこみます。十字架上で槍でさされたときにイエスのハートから血と水が流れたことに由来します。


キリスト教の信仰の中であっても、本気で祈り、真摯に真実を求める時には、イエスは奇跡をくださいます。



わたしは、南アフリカという国で、アパルトヘイトのとき、無残に棒で叩かれ、赤い血を流し虐げられてきた黒人を見て育ちました。その対極に、白人は、プールつきの自宅で悠々と暮らしてきた姿も見てきました。そのことをイエスは2週間にわたって、わたしにビジョンとして見せました。


黒人と白人の違いは何?だけど、両者ともに良い人たちだとも知っていたので、理不尽な思いを抱えたまま成人しましたが、成人後、洗礼を受けた時に、この時の南アフリカで血をながしていた黒人がリアルに思いだされました。2週間にわたって、同じことばがわたしの中で響きつづけました。

「同じ赤い血だ」
エスは、はっきりと宣言しました。わたしも、イエスも、黒人も、白人も、皆、同じ赤い血だ、と。


今は四旬節です。イエスの愛と一致しているキリスト教徒は、イエスの受難と一致して四旬節、苦しみます。今年の復活祭は、4月12日です。復活は栄光そのものです。



マグダラのマリアの前世を持つと言われていたテレーゼノイマンの本が、3月3日に家にとどきました。彼女は毎週金曜日に聖痕、出血、十字架刑のビジョンを36年間にもわたって見ていた人です。祝福された聖餅以外、何も食べずに生きた人です。


3月5日、本屋で「生きながら火に焼かれて」という現在もなお中東で行われている「名誉の殺人」、魔女狩りについての本がひょんなことから手元にきました。犠牲という主題でしたが、こんなシンクロがあるんですね。


わたし、個人的に今、しんどいです。魔女狩りテーマ、深くで癒していくところに来ているように感じます。同時に、このことについては、過去の2年間、神父たち大勢に投げかけるように背後から突き動かされてきました。

感想文の方の十字架のビジョン。赤にゴールドのシェアに感謝します。
どんな悲惨な状況であったと人間の目に見えたとしても、高い秩序にもとづく勝利があるのだとわかり、希望をつなげることができました。また、力の誤用についてのメッセージはわたしにも当てはまりました。



この3年間の地獄のような苦しみ(冤罪、魔女狩り、宗教的権威の中での不平等感)の間、「力の誤用」をしない、これが、私のコミットメントでした。感謝メッセージを読んで、そういうことだったかと。はぁ、ふう。安堵の吐息