第一回トランスミッションスタディシェアiiiiii(7次元)

第一回ナディマスタートランスミッション感想

3月4日のナディマスタートランスミッションに参加させていただきありがとうございました。今回も、申し込みの前から色々なガイダンスを受け取っていたり、参加費の振込み後に色々な情報を受け取ったりという「事前準備」が行われていました。




まず、こちらのトランスミッションの詳細がアップされる前から、急に「ジュワルクール」という存在が気になっていて、普段であれば本屋でも絶対に行かない神智学の本のコーナーに行ってアリスベイリーの本を手に取ってみたり、海外のサイトでジュワルクールやマスターたちの説明を読んでみたり・・・ということがありました。



その「情報収集」の過程で、マスターはどういう存在なのか、そして今という時代におけるマスターの役割とは何かという情報が入ってきました。マスターは、私たちひとりひとりがマスターとなることをサポートしてくれている存在であり、特に人間としての転生経験があることから、人間として地上で生活することとそれに関連する様々なテーマ・問題についてよく理解しているということが分かりました。




やがて、トランスミッションの詳細がアップされて、メインサポートマスターとしてジュワルクールのほかにマグダラのマリアの名前が挙がっていたので、びっくりしました。実は、ここ一年ほど、マグダラのマリアという存在がテーマになっていて、マグダラのマリアに関係するほかのヒーラーさんのセッションを受けてみたり、タロットの叡智とグノーシスマグダラのマリアの関係について知るワークショップに出席したりということが続いており、非常に気になる存在になっていたためです。




そういうご縁のようなものを感じて、今回のトランスミッションに参加させていただくことにしました。



* * *




参加費を振り込んだ日の夜、聖杯の夢を見ました。それは、グリーンのヒスイのような素材で出来た聖杯の中に淡い黄金色の雨のような光のシャワーが注いでいるというものでした。ちょうどオーラソーマの31番ファウンテンのボトルに近いイメージです。



実はこのイメージは、昨年6月に受けた別のヒーラーさんのマグダラのマリアに関係するセッション中にも見たビジョンでして、「ああ、これはマグダラのマリアが来ているのだ」と思いました。



「私がかかげる聖杯は真実を表しています。 真実(第四チャクラ)がひらくとき、おのずと聖杯(第二チャクラ)から愛があふれ出します。これが泉(ファウンテン)の真の意味です」
「お互いの真実と真実がすりあわされて一致するときにのみ、ハートを開くことができます」
「おそれずに真実を表明するように。真実のないところに愛はありえません」 というようなメッセージが来ました。




そして今回は、聖杯の向こう側に大きな男性的存在を感じました。グリーンの気高いエネルギー。秩序、宇宙の真理・・・という雰囲気。 そして、厳格なんだけど癒しのエネルギーも感じられました。その男性は、ホロスコープのような車輪の輪のようなものを持っていたような気がします。



実は、トランスミッションの申し込みの前後から、第二チャクラの後ろ側に解決されていない関係性のコードの傷跡が感じられて、そのせいで辛くて泣き続けていました。具体的に言うとそれは、私が過去生でタントリックな巫女をしていた頃に、イニシエートの男性として私に会っていた人との関係です。過去生で私がしていた役割と同じことをその人に求められるということがあって、昨年一年間を通して非常に混乱した関係になっていました。



私としては尊敬できるお世話になっている男性として相手を位置づけておきたいと思っていたのですが、相手は明らかにタントリックな儀式と同じことを要求していて、その食い違いによって愛憎激しい応酬を昨年一年間を通じて繰り返していました。そのもつれが解消されたのは先日のことで、その人から「もう一度、自然に素直な気持ちで会ってみようか」という話がきたのですが、その約束をしてから、急に巫女だった時代の犠牲者意識いうか被害者意識のようなものが湧き上がってきてしまって怒りと悲しみが噴出してきてしまいました。その感情が噴出していた矢先に見た夢でした。




ですが、その夢の中で再三きたメッセージは、「もうその時代は終わったのだと。もう解放されなさい」というものでした。



「ほんの少しでも真実でないと思うものからは離れなさい。犠牲になる痛みを少しでも感じる相手からは離れなさい。 真実はあなたのハートだけが知っています」



「真実の愛を生きない限り、神聖な宇宙の真理と癒しの流れにはつながりません」



「被害者意識、犠牲者意識を少しでも感じるいかなる関係も真ではありません。『奉仕』を要求する者からは離れなさい。」



「時代の波動は変わる。太古の時代を今その通りに生きる必要はない」というメッセージも。強烈な明晰夢でした。




* * *



その後、トランスミッションの前日に史衣さんからガイダンスメールが来て、それを読んでいたら、まさに私が夢で受け取っていたメッセージに関係するテーマが盛り込まれていたので再度驚きでした。



やがて、トランスミッションの当日がやってきたのですが、まさにその日に注文していたマスターに関する洋書が届きました。



当日の昼休み、会社の近くの書店で精神世界コーナーに立ち寄って、シャンバラ、マスター等々に関する情報が書かれている本を手に取ってみたところ、ベイリーの本の中でジュワルクールが「各周期に応じてエネルギーが変化する」ということを書いていたので、先日の夢で見た「時代は変わる」というメッセージはジュワルクールからだったのかな?と感じました。また、「サナトクマラとは大いなる犠牲という意味である」という文章も受け取りました。



そのほかに、え?と思うような受け容れがたい情報として、「シャンバラからの使者として、戦争の発起人・極悪人・大罪人といわれている人もいる」というものがありましたが、そのとき感じたのは、「すべておきていることには何らかの計画・意図・意味・隠された秩序というものがある。本当の無秩序というものはない」という感覚でした。




帰宅し、色々な準備が済んだので、その日届いたマスターに関する洋書を開いて、読んでみました。ジュワルクール、マグダラのマリアの箇所です。その本の作者の理解によると、ジュワルクールの司るテーマとしては、「神の神聖な癒しの流れにつながる・時代ごとのエネルギー・光線の変化を受け容れる」というものがあること、そしてマグダラのマリアのテーマとして、「女性性とスピリチュアリティ、女性の持っている古代からの叡智、女性のもつスピリチュアルな能力・そうした能力を使って生きてきた過去生での迫害(魔女狩り、宗教的弾圧)、不公平、冤罪、差別」というものがあることがわかりました。




ここで、マグダラのマリアのテーマについて読んでいたら、涙が出てきてしまいました:
「あなたは公の場(友人、家族、職場)で自分のスピリチュアリティについて話すことに恐怖がありますか?」
「自分の内なる力やパワーを使って生きていくことをどれだけ自分に許していますか?」
「あなたは、どんなシチュエーションのときに、女性として男性に追従しようとしますか?」
「あなたのパートナーがスピリチュアリティに対して心を閉ざしていたり違う考えをもっていることが原因で、自分ひとりで独自のマスターへの道を歩まなければならない、ということに対して恐怖がありますか?」



この箇所を読んでいたら、心にグサグサきて、真実を表明することへの恐怖(弾圧や孤独を恐れている)というものが、自分の中に非常に強くあることを感じました(実は私には、伝統的クリスチャンの婚約者がいて、彼とスピリチュアリティの問題をめぐって婚約解消したという過去もあるのですが、そのときの喪失の痛みが蘇ってきました)。




それに加えてこの一年間、やたらに巫女やメディシンウーマンやそういった過去生が浮上していて、そのどれもが、幸せな終わり方をしていないものであったことも思い起こしていました。そんなこんなで、女性としてスピリチュアルなことに関わると不幸になる、女神に関わる仕事をすると迫害され犠牲になる、という強い思い込みがあること、そしてそれと裏腹に、特に宗教的・権威的な男性に対してノーと言えない盲従的態度があることを自覚しました。





そんなことを思いながら、前日の史衣さんからのガイダンスメールにもう一度目を通していましたが、その中に書かれていた「犠牲は実は勝利である」「犠牲は勝利に変化する」というメッセージを読みながらも、「はっきり言ってそんなの分からない。あのときも、あのときも、私はとても痛い思いをしてきた。それなのにどうしてあれが勝利だといえるのよ!」という気持ちでした。




* * *



やがて、10時になったのですが、気になる色として、
グリーン
マゼンタ
ゴールド(イエロー)
オリーブグリーン
コーラル
が出てきたのでそれを書き留めておきました。そして、瞑想の姿勢に入りました。



その瞑想中に、「私は、あのときも、あのときも、あのときも、殺され、封じられ、埋められてきた。さげすまれ、侮られ、屈辱を受けてきた。いったい、奉仕と犠牲の違いは何なのですか?」と問うていました。



すると、多分マグダラのマリアだと思われる存在と一緒に、キリストの磔刑のシーン、十字架を背負ったキリストを、群集とともに見ているというシーンになりました。


「あなたは、私とともにあれを見ましたね」 と横に居るマグダラのマリアに言われました。



やがてゴルゴタの丘で十字架にかけられている様子が遠めに見えました。そこには、圧倒的な金色の光にが差し込んでいました。今まで瞑想しても見たことのないような黄金色でした。



マグダラのマリア「犠牲の意味を深いレベルで知ることによって、私たちは犠牲のシンボルを愛に変えてきました。  今のあなたがたから見たら信じられないことでしょうが、十字架のシンボルは、2000年前は極悪人の罪の象徴であったのです。それが今では私たちの胸元や耳元を飾る愛のシンボルとなっていますね」



私「なぜ犠牲が愛に変わり得るのでしょうか? 私はあのときも、あのときも、あのときも、さげすまれ、引きずられ、胸骨を砕かれ、首を取られ、殺されてきました。なぜあの痛みがあったのでしょうか?」



マグダラのマリア「見て。あそこでイエスが流している痛みの血の上に黄金の光が注いでいますね。光は理解です。光は知恵です。光によって私たちは、犠牲の意味を知るのです。サナンダの受難は、私たちの内なる女神(愛)を最も困難な状況において証明するためのものでした。その証明を知るとき、イエスの受難/情熱(Passion)の赤い血にイエローゴールドの光(知識・理解)が入り、かつてレムリアのために海に沈んで耐えてきた珊瑚のコーラル色があらわれます。イエスは、珊瑚たちが自分の死を見ることで自分たちの犠牲の意味を知って欲しいと思っていたのです」



私「イエスのことは分かりました。では、女性であった私はなぜ狩られてきたのですか?なぜあれほどの痛みを、力を持っているがゆえに、真実を表明したがゆえに、引き受けなくてはならなかったのですか?」



マグダラのマリア「信頼を試していたのです。そして、来るべき時代に蘇るために。来るべき時代に蘇りリーダシップを取るべき女神は、虐げたものへの復讐をしてはならないのです。力の誤用をしてはならないのです。女性意識(女神意識)は、幼く出ると傲慢さ、優越感、万能感となります。ハートに沢山の痛みを引き受けることで、私たちは力の誤用をしない共感能力を磨いてきたのです。イエスの受難(Passion)をともに分かち合うことで、共感(Compassion)を学ぶためです。



神の計画と意図を信頼し続ける限りにおいて、あらゆる犠牲は犠牲ではなくなる。そして、犠牲を理解する知恵は光である。光を信じていますか? 光を信頼していますか?暗闇を消すのではなく、暗闇に理解をもたらすものが光なのです。一見何も分からないくらい混沌として無秩序な状況のなかに、深い理解(光)を見出すとき、私たちは宇宙の真理につながるのです。それがグノーシスです。私が守護してきた聖杯の意味です。



それがゲッセマネの園でサナンダに明かされた約束であり、私たちが立ち会ったゴルゴタの秘儀です。受難・情熱の中に光を注ぐとき、私たちは宇宙の真理をつかむのです。それが私たち犠牲者の勝利です」

というようなメッセージが一気に来て、圧倒されました。



やがて、11時からのエー手リックな施術の時間になったのですが、そのまま寝てしまいました。




* * *

その後、ちょこちょことメッセージのようなものがきていましたが、その内容として、「信頼が薄いから犠牲になったと思うのだ」というものがありました。



過去生でタントリックな巫女をやっていた人でも、私のように「犠牲感」を持っていなかった人もいるのはなぜかとずっと思ってきたのですが、その理由が分かってきました。それは、自分で何でもやろうとしていたから、だったようです。



「何でも自分の力でやろうとする・自分の力でできると思うことは、上への信頼感の薄さである。結果として、ハートチャクラでの上とのつながりが絶たれた状態で、第1・第2チャクラだけで人をいやそう、人を尽くそうとしていたから、「奪われる」「犠牲になる」という感覚を持つことになる」ということのようです。



「上を強く信頼すればするほど、一見犠牲であることの真の意味が見えてくる。かたちだけ真似しても「犠牲」の真の意味は分からない。かたちだけ真似して「奉仕」するから偽者に囲まれる。



奉仕は自発的で自然なものであり、喜びを伴う。ハートは、神聖な癒しの流れにつながるための唯一のゲート。ハートが開いていないうちは奉仕はできない。マスターたちは人間の自由意志を尊重している。だから、信頼してくれないとサポートが限られてしまう。サポートやガイダンスを受け取りたければまず信頼して欲しい。あなたがたの信頼の大きさの分しか私たちはあなたがたに介入することはできない。そのために、自分のハートの真実をはっきり表明すること。



時代の変化に応じて、その都度異なった形で情報やメソッドがおりてくる。昔こうだったから今もこうしなくてはならないと盲目的に踏襲するのではなく、本質を見ること。それは自分のハートの真実で判断すること」



魚座の時代は両義性の時代であった。善悪、光と闇、女性と男性、相容れないものが互いに互いを犠牲にしながら、本当は幻想だということを知るための時代であった。それゆえにたくさんの犠牲が必要とされた。これから来るべき水瓶座の時代は、理解と共感による成長である。



私たちは皆、被害者・加害者を演じていただけだった。それが演技であることを知り解放されるということは、神の目に立って舞台を見るということだ。神の目で見るということは、真理を知るということである。かつてあった痛ましい出来事に光(知恵)を入れて深いレベルで理解するとき、そこにあった苦しみが解放され喜びに変わる。その喜びは、神の計画の真理を理化したときの喜びである。その喜びに触れるために、犠牲者という役割があった」

というようなメッセージもきました。



* * *

今回のトランスミッションに参加して、いまさらですが、マスターの存在を認めざるを得ないと、心から感じています。


当たり前なのですが、信頼を寄せないと、マスターもサポートしにくいということなのですね。信頼が薄い!とたくさん言われました・・・



奉仕と犠牲の違いということについて、自分なりに納得できる答えを得ることができたように思います。

大変長くなりましたが、どうもありがとうございました☆