アチューメントの感想です10

Fear-less Permissionのアチューメントどうもありがとうございました!新月ということもあってか、結構パワフルなエネルギーで、実は昨日はほとんど寝てばかりいました。。。



感想ですが、アチューメントが始まる5分くらい前から、「神聖なエネルギーを守る必要はもうない」という言葉が響いてきました。



どういうことかな・・・と思いつつ、時間が来ると、頭、そして身体の中心軸にエネルギーが入ってるような感覚がありました。やがて・・・「オリオン」時代というか、下半身がペガサスのような身体をした「狩人」だった頃と、タントリックな巫女だった時代の頃がつながりました。


狩人だった頃は、夜、調和を乱すものを狩ることで神聖なエネルギーを守ることが仕事で、タントリックな巫女だった時代は、神聖なエネルギーを人に伝えるために自分を清らかに守ることが最大の掟だったのだな・・・と。


どうも、そういう正義感とか潔癖さがネックとなって、「受け取る」ことで自分が守るべき神聖なエネルギーが侵害されることへの強い抵抗感があるようだと気づきました。



それでですね、ヒーリングの最中、クマラにおねだりというか、だだをこねました(笑)「私は金星でとってもがんばったんだよ!あなたが金星のマスターなら、私をほめて、認めてちょうだい!」と。こんな台詞が自分のどこにあったのかと思うような、普段の私だったら言わない台詞でしたが、それを言ったらすっきりして、その後ヒーリングはほとんど寝ながら受けていました。



それと・・・実はこのアチューメントを受ける前に、数年来お世話になっていたある方と距離を置くという選択をしたのですが、なぜそもそも過度に距離を狭めてしまったのか、その理由が分かってきました。


「愛と支配は違う」という単純な論理が私には分かっていなかったのです。受け取ることも苦手でしたが、受け取ることが苦手だということは、何が愛で何が愛ではないかを判断することができないということで、逆に出ると「すべてを受け容れてしまうことで支配を呼び込む」ことにもなってしまいます。



その当時、自分に好意を寄せてくれている人からの様々なオファーを、とにかくそれが善意から出ているものだという理由だけで受け取っていて、次第に「相手に支配されている状態」になっていました。


どうして「支配」になるかというと、相手に対して私が取りたい距離と、相手が私に対して取りたい距離が食い違っていたとき、私は自分がこうありたいと思う距離ではなく、相手が取りたいという距離の方を優先させ、そうやって自分の欲求を押し殺した分、相手に支配を許していたということです。



これは私にとっては愛ではない、ということに気づきながら、相手が「愛」を口にする以上、受け取らなくてはならないと思い込み、苦しんでいました。ですが、「選んでもいい」ということがようやく分かってきました。選ばずになんでもかんでも受け取ることは、まったく受け取らないのと同じようにおかしなことで、それは本来の愛や豊かさの流れ(=正しい秩序ですね)とは違うということです。



私が拒絶することで相手が苦しんだり悲しんだりする顔を見たくない、という思いが根強くあって、それで他者を過度に受け容れる癖があるのですが、それは自分自身の中に本当の意味での満たされた自分だけのエネルギーが詰まっていないから、エネルギーを入り込ませようとする人を寄せているのだ・・・ということも分かってきています。



自分自身のエネルギーで満ちている状態(自分で自分をきちんと愛している状態)が分かっていれば、外から寄ってくるエネルギーを受け取ったり断ったりする選択が自然にできるようになるし、罪悪感も抱かなくて済むのではないか・・・と。これはまだまだ自分ができていないことですが、今後、せっかく頂いたエネルギーですから折に触れ頂いて歩んでいこうと思います。


長くなりましたが、そんな感じです。

どうもありがとうございました!