悲しみをすべて洗い流すヒーリングにもしたいと思っています♪


≪サラスバティ(瀬織津姫)≫



市寸島比売命(いちきしまひめ)


悲しみをすべて洗い流すヒーリングにもしたいと思っています。
それには、「豊かさの女神トリニティ」の≪サラスバティ≫のワークの
エッセンスを入れていきます。

さて、≪サラスバティ(瀬織津姫)≫トランスミッション時のことなどを
書きたいと思います。


龍宮祭当日の夜の9時からのトランスミッション時には、
人類の闇の経験と苦しみなどの経験の集合意識に繋がったようで、
拷問や、社会的な無慈悲な差別や、体制の腐敗によるなんらかの犠牲のようなこと
そういう魂を蝕むような体験などに思いと感情を寄せることになって、
そして、最後には、でもそれらは、全部消してゆけるということ、
そして、もっともっと最終的には、人類は進化を果たしてゆく、というような
応えを受け取っていました。


そうか、そうなのかと安堵しましたが、昨日は、
体調的な不調もあって、個人的な悲しみや苦しみの体験の記憶に
圧倒されてしまっていました。
まだまだ、わたしの中にこれらの記憶に苦しんでいる部分がある。
そして、まだ癒しの届いていない部分もある、と感じて苦しかったです。


それからも、今日は解放されて、でもまだ昨日の余韻が残る中で、
改めて思うのは、
「悲しみは、すべて洗い流したい」ということ。


それは、いっぺんには無理なんだけれど、
少しずつ、コツコツと。
そして、それは確実に、劇的に自分の中で起こっているということも、
確かなこと。
昨日出てきた記憶は、今改めて癒されてきていることを
実感させてもくれたから。


そして、今回の≪サラスバティ(瀬織津姫)≫のもう一つの目的は、
≪サラスバティ(瀬織津姫)≫をヒーリングエネルギーとして、
エッセンスをより抽出するということだったのですが(実は)、
それも、出来たと思っています。


それは、天照大神ヒーリングの期間の最中だったからこそ、
その関係性のなかで、より精査された瀬織津姫としてのエッセンスの抽出
でした。


女神学校の≪サラスバティ(瀬織津姫)≫は、学びのエネルギーなので、
叡智として受け取る仕掛けが、グリッド上にも大掛かりに組まれているのですが、
ヒーリングエネルギーとして設定する場合には、もっとベースになるものを
シンプルにしてはっきりさせてゆくということが必要なのです。
ヒーリングって、そういうものなんですね。

≪サラスバティ(瀬織津姫)≫は、お金や豊かさに関する不安な気持ちを
洗い流すエネルギーに設定してあります。
サバイバルにおける不安な気持ちや、怒り。


不運(陰)を静穏に受け取り、流し、
不安や怒りや自信の無さによって、豊かさの循環を止めない。
留めないことによって、澱ませることながいように
サポートする流れと清めのエネルギーです。


流れ続けることによって、清められ続けることによって、
不動(安定した豊かさ)を確定してゆくエネルギー。
実は、「不動尊」という言葉が降りてきて、
それについて調べてゆくうちに
瀬織津姫(セオリツヒメ)」に繋がってゆきました。


≪アバンダンティア≫でも少し触れ、そして「龍」のエネルギーでも書きましたが、
≪サラスバティ(瀬織津姫)≫は、闇と光を統合するエネルギーです。
よって、数霊の2と深い関わりがあります。
陰と陽。
数霊2のエネルギーは、「受容」のエネルギー、
そして「ソフィア(叡智)」のエネルギーです。


この世で豊かさを得ようとする場合、
わたしたちは、しかるべき損失(陰)も受け入れなければいけないのですが、
この陰を、どれだけ穏やかに、平静に受け止め、直ちに流せるかが、
わたしたちの不動(安定した豊かさ)に掛っています。


不安や損失も受け止めるべきものとして流せば、
また豊かさもわたしたちの元に必ず流れつくのです。
そのことを知っていることが真の「豊かさの叡智」です。


その不安や損失に抵抗しようとして、ただただ上昇だけしようとすると、
いつしか命よりもお金のほうが重くなってしまうのです。
ただただ上昇する、利益を上げ続けるということは、
自然の摂理(生命)に反しているからです。


ですから無理が生じる。
ですから現代の社会経済は、わたしたちが命を削って働くことを、
身体に悪いものでも効率とコストから流通させることによって、
少しづつ命を害するものを消費することを生じさせています。


経済的理由から、殺人も起きるのです。
第二次世界大戦の引き金になったのは、大恐慌です。
大恐慌で、痛手を受けた損失のカバーに、
または飢えと貧しさの怒りゆえに戦いが起こったのです。
それくらい、サバイバルの問題は、わたしたちを他者を傷付けても!
という怒りを起こさせるのです。


高次から示されたお金に関しての一番のスタンダードの基準は、
「人の命よりも、お金のほうが重くなってはいけない」です。
人の命はお金には変えられない。


自分の命を削って豊かさを得ているので、
命を削っていない人には(本音の部分では)冷たいし、
豊かでなくても当然だと思う思考が生まれてしまうのです。
命を削って得たものだから、それを奪う存在は、
殺してしまってもいいと肯定してしまうのです。


この命がお金には変えられないということが、
「人間の命だけではなく、すべての命へと広がってゆくこと。」
それが、本当のわたしたちの進化なのです。


≪サラスバティ(瀬織津姫)≫は、
お金だけではなく、すべてのわたしたちの陰と闇と悪を洗い清めます。
サロメ≫の拡大版のエネルギーです。
サロメ≫も水の流れに関するエネルギーでした。
洗礼者ヨハネの、そして平和(シャンティ)の。


堕胎、レイプ、性的虐待の深い傷の癒しは、
≪サラスバティ(瀬織津姫)≫で行います。
サロメ≫のときに別の女神でこれらの傷の癒しは行いますとお伝えしたのは、
≪サラスバティ(瀬織津姫)≫です。


被害者だったときの闇だけではありません。
わたしたちが加害者であったときの闇も流します。


子供を虐待してしまった人、ネグレクトされてきた人してしまった人。
お金のために人をだまし犠牲にしてきた人、
これは今生だけではなく過去生も入ります。


よくいわれるように、わたしたちはされてきたことはやっているし、
やられた人は傷を抱えたままでは、
それを怒りのために誰かにしてしまうことになります。
加害者であった罪悪感、被害者であった苦しみや復讐心を抱えたままでは、
わたしたちは豊かさの循環のなかに入れません。


すべて流す、水に流す。
そして清められる。


瀬織津姫は、祓神かつ水神で、穢を川や海に流す役目を持ちます。
また神仏習合でもサラスバディ(弁財天)と瀬織津姫は、
同一とされている。


そのときに、この清めの水の女神のエネルギーを瀬織津姫と表現したほうが、
より受け止めやすい人も多くいるということをガイダンスで受け取り、
瀬織津姫の名を加えることになったのです。


豊かさの女神トリニティにおいて≪アバンダンティア≫は、ローマの女神名、
≪ハトホル≫は、エジプトの女神名、
そして≪サラスバティ≫はインドの女神名、
そこに≪瀬織津姫≫という日本の女神名が加わったのは、
たぶんわたしが思っているよりも深い意味があるのだと思います。


◆シャンティフレア 北鎌倉◆
http://shanti-flare.ocnk.net/