「理趣経」三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻


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大日如来は、従い難いものどもを、
心身を制御することによって、
煩悩や悪行に打ち勝つという
調伏の修行に励む釈迦牟尼如来(お釈迦様)の姿になり、
すべての法は平等で、善悪を離れている
という最も勝れた境地をもたらす教えを説かれた。
これは真実の智慧の理趣(みち)である。


貧り(むさぼり=貪欲:自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと)は、
その本質からすれば、善悪の分別も、
それに執らわれた表現も超えたものであり、
人によっていかなる善にも活かすことができる。


貧りがかかるものである以上、
瞋り(いかり=瞋恚:自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)も同様で、
善悪の分別も表現も超えたものである。


したがって、もし自我に執着することなく、
それを善に活かしきれば、

邪悪に打ち勝つための大きな瞋りが生み出される。


このように、瞋りが善悪の分別を超えたものであるとすれば、
痴しさ(おろかしさ=痴愚:根本の真理を知らないこと)も同様で、
善悪の分別を超えたものである。


ゆえに、小さな自我に執らわれず、
それを善に活かす時は、
これが愚かとか、あれが賢いなど、
物事の理非をあれこれと言いたてるような、
小さな痴しさを超越して、
大きな痴しさ(おろかしさ)の境地に至るであろう。


このような三毒と呼ばれる
貧りと瞋りと痴しさの悪しき心の働きは、
すべて相対的な区別にたった認識に過ぎず、
すべてのものは善悪の区別や表現を超えたものなのである。


したがって、すべてのものが、
その本質において、
現象の上に見られる相対的な区別や表現を超えたものである以上、
この本質を知るための真実の智慧の理趣も同様に、
かかる区別や表現を超えたものでなくてはならない。


こうして「悪はもともと悪ならず」という
善悪を超えた法門を説き終わり、
大日如来は金剛手菩薩に呼びかけられた。


金剛手菩薩よ。
もしあなたたちがこの「悪にその性なし」
という理趣を聞いて、これを読み誦え、
身に保ち持っていたならば、
たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、
決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。


それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、
速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。


かくて、金剛手菩薩は、この悪を調伏する教えを、
より一層に明らかにしようと考えて、
手に降三世の印を結び、
蓮華の花のような美しい微笑みをうかべながら、
一方では、はげしい忿怒の表情で、
眉をひそめて睨みつけ、鋭い牙を出しながら、
法力を以て仏敵や怨敵や魔障などの
すべての悪を降伏する(討ち倒す)姿に変身された。


そして、この教えを一字で表わす聖音「ウン」を唱えたのであった。


出典http://www1.plala.or.jp/eiji/sub3.htm


三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻の一部などは、
解釈が難しい部分もあると思いますが、
曲解は、いくらでも可能ですが、
その本質を見極められれば、
納得できるのだろうなと思います。


9次元的な解釈が鍵だと思います。
「般若心経」は、この「理趣経」の意訳だとされています。

http://d.hatena.ne.jp/birth-of-venus/touch/20160602/1464846066


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