「理趣経」三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻
7月7日(木)七夕〜7月14日(木)まで(全8日間)
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大日如来は、従い難いものどもを、
心身を制御することによって、
煩悩や悪行に打ち勝つという
調伏の修行に励む釈迦牟尼如来(お釈迦様)の姿になり、
すべての法は平等で、善悪を離れている
という最も勝れた境地をもたらす教えを説かれた。
これは真実の智慧の理趣(みち)である。
貧り(むさぼり=貪欲:自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと)は、
その本質からすれば、善悪の分別も、
それに執らわれた表現も超えたものであり、
人によっていかなる善にも活かすことができる。
貧りがかかるものである以上、
瞋り(いかり=瞋恚:自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)も同様で、
善悪の分別も表現も超えたものである。
したがって、もし自我に執着することなく、
それを善に活かしきれば、
邪悪に打ち勝つための大きな瞋りが生み出される。
このように、瞋りが善悪の分別を超えたものであるとすれば、
痴しさ(おろかしさ=痴愚:根本の真理を知らないこと)も同様で、
善悪の分別を超えたものである。
ゆえに、小さな自我に執らわれず、
それを善に活かす時は、
これが愚かとか、あれが賢いなど、
物事の理非をあれこれと言いたてるような、
小さな痴しさを超越して、
大きな痴しさ(おろかしさ)の境地に至るであろう。
このような三毒と呼ばれる
貧りと瞋りと痴しさの悪しき心の働きは、
すべて相対的な区別にたった認識に過ぎず、
すべてのものは善悪の区別や表現を超えたものなのである。
したがって、すべてのものが、
その本質において、
現象の上に見られる相対的な区別や表現を超えたものである以上、
この本質を知るための真実の智慧の理趣も同様に、
かかる区別や表現を超えたものでなくてはならない。
こうして「悪はもともと悪ならず」という
善悪を超えた法門を説き終わり、
大日如来は金剛手菩薩に呼びかけられた。
金剛手菩薩よ。
もしあなたたちがこの「悪にその性なし」
という理趣を聞いて、これを読み誦え、
身に保ち持っていたならば、
たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、
決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。
それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、
速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。
かくて、金剛手菩薩は、この悪を調伏する教えを、
より一層に明らかにしようと考えて、
手に降三世の印を結び、
蓮華の花のような美しい微笑みをうかべながら、
一方では、はげしい忿怒の表情で、
眉をひそめて睨みつけ、鋭い牙を出しながら、
法力を以て仏敵や怨敵や魔障などの
すべての悪を降伏する(討ち倒す)姿に変身された。
そして、この教えを一字で表わす聖音「ウン」を唱えたのであった。
三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻の一部などは、
解釈が難しい部分もあると思いますが、
曲解は、いくらでも可能ですが、
その本質を見極められれば、
納得できるのだろうなと思います。
9次元的な解釈が鍵だと思います。
「般若心経」は、この「理趣経」の意訳だとされています。
http://d.hatena.ne.jp/birth-of-venus/touch/20160602/1464846066
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