スサノオについての考察1☆天岩戸隠れ

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市寸島比売命いちきしまひめ


さて、やっとスサノオについて書きます、笑。


スサノオは、アマテラスに「天岩戸隠れ」するほどの苦痛を与えたということが
まず知られていることだと思います。


それではスサノオの行動の何が一体それほどまでに
アマテラスを傷つけたのでしょうか?


日本書記には、稚日女尊(わかひるめのみこと)が、高天原の斎服殿で、
神御衣を織っていたとき、
それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込み、
それによって、稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなり、
それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまったと記されています。
これは、どういう意味なのか?


スサノオを、より人間に近い神として捉えてみることがヒントになるかなと思います。
スサノオは、イザナギに海の支配を命じられるも、母、イザナミに会いたいと駄々をこね
泣き喚くところは、人間の幼児そのものです。


いざ、それを許されても、イザナミのところではなく、
アマテラスのところに行くなど、
行動に一貫性も見られないところも、また幼児そのものと言えます。


幼児は、まだ精神的に未成熟であり、野生の自分自身(動物的本能)を統合することが
出来ない段階にあります。
言い換えれば、これから精神性を学んでゆく途上にあります。


アマテラスの神御衣は、神と一つであることを知るケセリックテンプレートと
もいえる高貴な精神性の象徴ですが、
スサノオは、その神御衣を、馬の皮と同等のものであると捉えます。
そして、斎服殿に馬の皮を投げ入れる行為は、おそらくアマテラスへの甘えの助長を
象徴していると思われます。


この場合の馬の皮とは、野生の荒々しい本能、闘争本能や生存本能、
そして、性衝動のみに係る下等な精神性を象徴します。


アマテラスは、人間の精神性を高貴なものと捉える神ですが、
スサノオは、人間の精神性を動物的な本能レベルまでとしか捉えることが
出来ない存在であり、そのことにアマテラスは傷ついたということを
象徴しているのが、この天岩戸隠れなのだと思います。

あなたは、人生のようような時期に、
愛し難い人々のかたわらにいたことがあると思います。


あなたが平静を保つのを最も妨げる他人の感情エネルギーは
何でしょうか?


怒りでしょうか、欲求不満でしょうか、それとも、不安、焦り、
感傷、不平、不寛容、頑固、無関心、無能力、 怠惰、自己管理の欠如、
否定性、無力、困窮、権力欲、支配欲などでしょうか。



(サネヤ・ローマン「スピリチュアル・グロース」)

わたしたちが平静を保つことが難しいような他人の感情エネルギー、
それらは、わたしたち人間の精神性が高貴なものであるということを
わたしたちに、疑わせるようなものではないでしょうか?


そして、そのような愛し難い人々や状況に遭ったときには、
わたしたちは、アマテラスのように天岩戸隠れをするべきなのかもしれません。

誰かに関して否定的エネルギーを経験したら、
また誰かがあなたから身を引いてしまったら、
次にその人と関わるとき、より愛情深い見方を保てるようなやり方、
時間、場所でそうしてください。


そして、自分のハートが閉じ、怒りや苦痛に陥ってしまうのを感じたら、
その場を離れる口実を見つけることです。



(サネヤ・ローマン「スピリチュアル・グロース」)


もちろん、天岩戸隠れの最中は、わたしたちの精神的な世界は
暗闇に覆われます。


でもときに、神御衣の高貴さを守るために、
わたしたちに天岩戸隠れは、必要なのです。



◆シャンティフレア 北鎌倉◆
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