≪サロメ≫を救えるのは、天国の聖霊のエネルギーであるということ☆


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サロメ≫は、のちにイエスキリストの弟子になったという説があります。
マグダラのマリアらとともに、イエス磔刑を見守り、その墓を訪ね、
復活したイエスに最初に出会った女性のなかにもサロメという名の女性が
存在するのです。


サロメ≫と言う名は、本来ヘブライ語「シャローム(平和)」に起源する女性の名前。


「マリア」もそうですけれど、当時、名前というのは、
深い意味と意図を持ちました。
同じ名前は、共通するメッセージや関連する繰り返されるエネルギーの意図を持って
用いられるのです。
特に聖書のような聖典のなかでは、そうであるといえます。


さて、幼いころに≪サロメ≫のような扱いを受け、
大人になってセラピー等で、癒しを受け取ろうとするとき、
一番問題になるのは、抑圧されてきた感情を少しづつ解放してゆく際に見出される
膨大な怒りです。


サロメ≫が、感情を抑圧して、人形のようであったと書きましたが、
これは実は内面に膨大な怒りと憎しみを蓄えている状態でもあるということなのです。
癒されない憎しみは、必ず行き先を求め、いずれ復讐に用いられることになります。
それが憎しみの復讐の連鎖です。


これは、「許し」によってしか完結しません。
それでは、≪サロメ≫にどのように、「許す」というエネルギーがもたらされたのか?


それが、洗礼者ヨハネの≪サロメ≫に対する「供犠」です。


エスキリストもそうでしょうが、
あるレベルまで到達した存在は、自分で自分を危機的な苦難から救い出すことは、
実は可能なはずなのです。


けれども、それこそあるレベルまで到達した存在は、
自分の命も最も有効な目的に愛をもって捧げることが可能なのですね。


洗礼者ヨハネは、≪サロメ≫の潜在意識に眠る憎しみと怒りに満ちた
破壊衝動の浄化の帰結となるために、自らの命と肉体を供犠として、
捧げたと解釈することも、可能です。


サロメ≫に向けられた、その供犠の愛の衝動が、
のちに少しづつ、サロメの魂に波及し、のちにサロメが悛改し、
愛と許しを求めてイエスキリストのエネルギーに救済されたと解釈するのが、
わたしは好きです。


頭と体を切り離すということには、どんな意味があるのでしょう?


これは、実は≪サロメ≫自身のそのときの状態のメタファーです。
肉体的痛みを無感覚にするために、頭と体を切り離すということは、
肉体的、特にセクシャリティにおいて、性的虐待を受けたときにとる
もっとも典型的エネルギー的防御の状態なのです。


体の感覚と感情は深い繋がりがありますので、
感情や感覚も麻痺した状態というのが、
頭と体(こころ)を切り離した状態であるのです。


洗礼者ヨハネは、まさに自らの肉体をもって、
サロメ≫に魂の傷を指し示したのです。
これは、高い魂のレベルに達した純化した魂しか行えない供犠です。


そして、≪サロメ≫は、それを受け取り、再び純化した魂の女性性の女神であると
アチューメントでは捉えています。
つまり、「シャローム(平和)」なる女神です。


洗礼者ヨハネは、イエス・キリストの到来に備えて、
聖霊を準備したマスターの一人です。
ヨハネから洗礼を受け取ることによって、まずキリストに聖霊が下りました。


ヨハネが処刑されたのは、その後ですから、ヨハネ自身も
聖霊を帯びることによって初めて、女性性の性的な供犠を成し遂げるレベルに
なったということでもあると思います。


だから、何度も繰り返しますが、このような供犠は、極めて高い霊的なレベルに
達したものによってのみ可能なことなので、一般的には考えてはいけないとも思います。


わたしたちに与えられる聖霊は、わたしたちが生きて幸せになるために、
つまり、地上の天国そのものにわたしたちがなるために与えられる祝福だからです。


ということで、≪サロメ≫のエネルギーを受け取るためにグリッドを準備した
ときに写った白いエネルギーは、わたしは聖霊の象徴として受け止めています。





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