「内向的性格の人が夢見ること」



私は、一時間社交的になるごとに、
およそ二時間独りになることにしています。
内向的な人間にとって、思索とともに孤独でいることは、
睡眠や滋養や食事と同じような回復効果があるのです。


(内向的な人々は)全人口においては少数派ですが、
才能ある人々においては多数派です。

最悪なのは、
外向的な人々が、私たちに苦痛を与えていることを
自覚していないことです。
時々、私たちは、彼らの「98%中身のない話」による霧に囲まれて
苦しくあえぎ、彼らが自分自身にも耳を傾けていないのでは
と思うほどです。

それでもやはり、私たちは我慢して平然を装います。
なぜならば、外向的な人々が書いたに違いない礼儀作法の本によると、
冗談を言うのを拒否するのは失礼で、
会話が途切れるのは気まずいこと
と見なされているからです。

私たちは、いつの日か、私たちの社会的身分が
より広範に理解され、
「内向的な人々の権利」運動が開花し結実し、
次のように言うことが
無礼にあたらなくなることを夢想するほかありません。


「私は内向的な人間です。
あなたは素晴らしい人だし、
私はあなたが好きです。
でも、今はどうかおとなしくしていてください」



こちらは、2003年に発表されたエッセイだそうで、
出典の詳細がわからないのですが、
調べてみたところ
おそらくジョナサンラウフさんというジャーナリストの方
じゃないかな?
と思うのですが、確実ではないです。


が、内容に惹かれたので引用させていただきました。


特に、
「内向的な人間にとって、
思索とともに孤独でいることは、
睡眠や滋養や食事と同じような回復効果があるのです。」


というところに
激しく同意してしまいました、笑。


いつか、内向的な人々の権利が認められる日が来ることを、
わたしも、望むな〜、笑。
「今は独りでいたいの」とパートナーに言ったとしても、
集団の中で、独りでいたとしても、
そう理解して、いろいろな意味で、傷付く人が減るといいな〜。