今日読み返して癒された、過去のいただいた感想アップします♪3


≪ターラ≫
http://shanti-flare.ocnk.net/product/82


先日は、金星の女神学校≪ターラ≫に参加させていただきまして、ありがとうございました。


史衣さんの記事で、『≪サラスバティ≫が、流す、手放そうとするわたしたちをサポートするのに対して、≪ターラ≫は、流す手放すものをわたしたちに深く認識させることをサポートする感じになるようなのです。』と書かれていた、その通りになりました。


そのことに自覚的になったのは、≪ターラ≫前日のトーンサラウンドセラピースクールの帰り道でした。

スクールでのお話が帰りの電車の中で統合されて、天からの1つのメッセージとして私に届いたといいますか。

「その欲望を本当に手放すと決めない限り、これ以上、金星の女神学校で学び続けることはできませんよ」という言葉が聞こえたわけではありませんが、自分が今そういう地点にいることに気づいたのです。

これまでのワーク、そして≪冬プロジェクト≫で学ばせていただいたこと、受け取った恩恵により、この欲望を手放す準備は出来ているのに、私はまだ手放していない。見出した真実を生きずに、偽りを生き続けるのであれば、マスターや史衣さんから学ぶ意志の放棄を宇宙に表明しているようなものだと気づいたのです。

スクールは楽しかったのに、帰り道、一気に深刻な空気になってしまいました(笑)。この欲望を手放せる気がしなかったからです。それまでの数日、空で冴え冴えと美しく輝いていた月も、「え?あれが月?」と目を疑ってしまうほど、濁ったオレンジ色に見えて、私の内面の鏡として、何かを映してくれているようでした。


その欲望とは、他者の聖域への侵害のことです。私にとって不調和、悪と感じることへのコントロール欲求

「4次元のナディ」で、何を選択するにしろ、自由意思で選択しない限り、何の意味もないとはっきり分かったはずなのに、日常生活において、私にとって不快な状況を作る人たちにどうしても執着してしまう。

彼らを自由にし、そして彼らから自由になることがどうしてもできない。それは何故か?スクールでの会話で直接的・間接的に教えていただきました。


第1チャクラ・肉体についての話から始まって、性欲についてや女性との性的体験の数が多いことを自慢する男性の話題が出ました。

「何でこんな話になっているのか分からないけど、多分意味があるんでしょうね」と史衣さんがおっしゃっていた通り、意味があったんです(笑)。

私の他者の聖域への侵害も、性欲と同じように単なる欲望なんだという気づきです


シュタイナーの『神智学』に、死後浄化される欲望の様々な領域について書かれています。


欲望の第五領域について記述。
自然との関係についても興味深いことが書かれているのですが、それは省略します。

『また多くの人びとは、物質的な福祉をもたらす諸制度、たとえば快適な生活を築くための教育制度の中に、一種の理想を見出している。

この人びとが利己的衝動だけに従っているとは、もちろんいえない。

しかしその人びとの魂は感覚世界を志向している限り、魂界の第五領域を支配している共感の力によって浄化されなければならない。(略)

宗教活動を通して物質生活の向上を期待していた人びとの魂も、この領域で浄化を受ける

その人びとの憧憬の対象が地上の楽園だったのか、それとも天上の楽園だったのかはどちらでもよい。
いずれの場合も、このような人びとの魂は、「魂の国」の中で、この楽園に出会うであろうが、それは結局、このような楽園の空しさを悟るためなのだからである

以上は、この第五領域で生じる浄化についての個々の例に過ぎない。

例はいくらでも増やすことができる。』

これを読んだ時、「あ、なるほど。そういうことも欲望なのか」と驚きつつも納得しました。

でも、身体的な欲望(食欲や性欲)よりも上等であるかのように思っていたのです。

だからこの第五領域の欲望が強いことを自覚しつつも、それを真剣に考えたことがありませんでした。

でもスクールでわざわざあんな話題が出たのは、天から見れば「同じなんだってば!」とツッコミが入っていたのだと感じました


それともう一つ。何故そんな欲望を抱くのか。

自分にとって快適な人のみに囲まれて生きている人の方が少ないでしょうから、環境は理由になりません。

となると、突き詰めれば「天との取り引き」なのです。

女性経験の多さを自慢する男性。それを聞いた女性は「凄いわ」と尊敬するはずもなく、大抵ドン引きするでしょう。

そんな話を史衣さんとしていて私の女性性は熱心に頷きつつも、そんな自慢をして女性の気をひこうとする男性の気持ちも分かってしまう自分がいたんです

それは、私の男性性がずっと同じことを天に向かってやっていたからなのだとやっと気づきました。
「平和への理想、愛と調和のために、こんなに多くの人々の魂を征服してきました!俺って凄いでしょ。惚れちゃうでしょ」とアピールしたかったのです。傷ついた男性性の愚かな暴走。自信がないからです。霊的権威への依存です。


そこまで分かっても、「この欲望を手放す!」と思うと、恐怖(抵抗)が湧いてきてしょうがないのです。
≪ターラ≫当日、「この状態のままで、学校に臨むことはできない」と内心焦りつつ、ふと「この欲望を手放すには、 ≪ハトホル≫的欲望の浄化が必要なのでは?」と思ったんです。『わたしたちの願望が満たされることによって、(願望が)浄化されるためのエネルギー』と ≪ハトホル≫の記事では説明されています。

上記のシュタイナーの文にもある、『楽園の空しさを悟る』というのもそうだし、何らかの快楽を望み追求し、それを味わい尽くした人が「ああ、楽しかった。でももうこれ以上いりません。私は満たされました」と思えたら、それは幸せな浄化のパターンでしょう

「私もハトホルにお願いしようかな」と思いました。
とはいえ、悪事を成せるのは、人がそれを悪いことだとは思っていない間だけで、悪いことだと気づいてしまったら、もうできないのです。

だからこの欲望を手放せないけれど、この欲望が成就することも望んでいないのです。

「困ったな〜」なんて思いながら、何だか心が軽くなっているのを感じました。

「はて?」と考えていて、12次元ナディの時を思い出しました。

また私は、あるがままの自分の闇を、理解し受容する「聖母マリアの剣」ではなく、正論で固めた高慢な拳で「消えてなくなれ」と殴りつけていただけだったのだなと

≪ハトホル≫のことを考えた時に、この欲望も自分であることを認めて受容し始めたということかもしれません
内的な緊張が消えました。それで何となく安心して、≪ターラ≫が始まるのを待つ気持ちになりました。


学校開始。奉仕への衝動(愛)の種を、現在の独善的な征服欲という歪んだものにしか育てることができなかった私ですが、その限界を破るための学びを≪ターラ≫が与えてくれるのではないかと思いました。
始まってしばらくして、2次元から集合意識的傷・闇にアクセスするという部分で、私がこれまで考えていたことは根本的に間違っているのかもしれないと浮かびました。
魚座的思い込みというか。だから2次元が怖い。境界をなくし、全ての人を許し、虐げられることを許すイメージがあります。だからやられる前にやる的な他者への侵害欲を捨てられない部分もある

悪を、その背景の傷ゆえに許すわけでもなく、光の暴力によって征服するわけでもなく、虹の意識から働きかけること。
それが自立し、超然として在りながら、つまり自分の聖域を守り、他者の聖域を侵害せず、しかし自分の中だけに閉じこもるのではなく、他者に愛を送る方法

虹の意識から働きかけるとは?

他者のことは他者に完全に委ねること。
自然にでない限り、全ての人の中に愛と光を無理矢理見出そうとする必要はない。

嫌いな人は嫌いなままでいい。

自然なものでない限り、一切他者のためにエネルギーを使う必要はない。

面倒をみる気(欲望)を捨てる。

日常的な助け合いをしないということではなく、魂の成長において助け合いは根源的なところで必要ないということ。

全ての人は自力で(=自由意思をもってして)成長することを望んでいる

だからルシファーを受け入れた(望んだ)。
皆、そのチャレンジの真っ最中なのだ。どれだけ時間がかかろうと、自力でやり遂げることを全ての魂が望んでいる。あなたがそうであるように。


この地上の遊び場で奉仕したいのであれば、何が正しい奉仕か、ではなく、自分が心からやりたいと思うことをやること。それしかない

地上の経験で魂は学ぶ。
他者のことは放っておいて(それが侵害されない他者にとっても嬉しい行為)、もっと自分に集中すること。そうでなければ、自分の中の星は見えてこない。


一夜明けて、エントリーメールの水の話にあった、『細菌という細胞の攻撃的で破壊的な衝動』。

この破壊衝動に対して、それさえ無くなれば清いままなのに!と同じく破壊衝動で応じていた私は、破壊衝動を活性化させていただけであったことが、ストンと分かりました。

マザーテレサは、戦争に反対する集会への参加を呼びかけられて、平和を祈る集会をやる時は呼んでくださいと応じたとか。さすがですね。。。

でも、『観音の救いの手から漏れた人びとを救う≪ターラ≫。 そのサポートとは、慈悲を受け取れないほどの内面の混乱を鎮めるという働きのようです。』この女神≪ターラ≫のおかげで、私も自分の水の質に変化を起こす救いを受け取る第一歩を、踏み出すことができたみたいです。ありがとうございます。


後は、私の中に残っている欲望のエネルギーを成仏させること。

自分の中の破壊衝動を静止させるには、どうしたらよいのだろう?と思っていて、「自ら地獄を作り出していることへの真の気づきを得る必要がある。

良いことをしているつもりで、どれだけ悪を為しているかを本当に自覚したら、やめられる。

そしてその自分へも愛が常に降りそそいでいることを感じとれたら、あなたは変われるだろう。
自分に対しても、他者に対しても、全く違う接し方をするようになるだろう」と浮かびました。


チラチラと≪ターラ≫の最中に来ていたキーワードがありました。

それは私がなした悪の結果を示しているものだったのだとその時気づきました。

私が聖域を侵害したために、自力で生きる力を見失い、苦しんでいる人の姿です

それを今できる範囲で直視し、これからもこの結果から目をそらさずにいること。2度としないことを誓いました。


そして改めてこの欲望について考えていて、その背景に2つの闇があるのが見えてきました。


1つは原初の傷が起こす男性性の暴走。顕在意識ではこの苦しみから逃れたいと心底思うような苦しみを、潜在意識において自らが欲望の正当化のために、明確に意図して作り出しているという、その闇の深さにおののきました。しかしそれを受けとめてくれていた存在達がいる。そのことに勇気をもらい、感謝し、一歩一歩自分で受けとめていきます。


もう一つは、欲望というのは快楽が伴っているのだということ。

悪行を為している人を改心させた時に感じる喜びも、世の不正を正すために社会に変革を起こした時に感じる喜びも、独善的なレベルで行う限りその喜びは快楽であり、7次元の奉仕の意識とは全く異なっていること

そして私はこの快楽の虜になり、ずっと求めていたのだと思います。

だからずっと、人が耳を傾ける気になるような、完璧な人物になりたかった。

低次の私は快楽を求め続けたかったけれど、高次の私はその欲望を今度こそ克服したいと決めていたのだと思います。

だから私がその快楽を実現するために社会的に立派な人物になろうとした努力は全て実らなかったけれど、それこそが私の真の望みでした

以前、真の謙虚さを身につけるために、「うまくいってはいけない」という信念を持ってしまったことを指摘されました。
この信念は間違いであり、書き換えられるべき信念であることに変わりはありませんが、何故そんな愚かな信念を抱いたのかということが、今回の学びを通して分かりましたし、納得できました。高次の導きに感謝します。


その後、恐怖に突き動かされて、自分の破壊衝動が騒ぎ始めそうになったので「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら、≪レディ・ナダ≫ の聖なる音に波長を合わせようとしていた時、「私の弱さがこの恐怖を生むのならば、この弱さを克服(征服)した時、私の征服欲は満足し、浄化されるんじゃない?そんなに征服したいのなら、己の弱さを征服すればいいんじゃない?」と思いました
優しき母≪ハトホル≫からの助け船かもしれません。やってみます。


今回も素晴らしい機会をありがとうございました。

新しい霊性の時代のスタート(木星牡羊座入り)にあたって、クリアしなければならないことをしっかり見せていただきました。史衣さん、高次の存在、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました。