わたしの4次元領域の癒しの鍵(3.適者生存競争)


4次元ナディ
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ここ3次元では、
わたしたちは、生き物としても、
食べ物を食べなければ、死んでしまうし、
働いたり、なんらかの方法で、お金を得られなければ、
生活できません。


野生動物や、植物のそれとはレベルが
違うとしても、
やはり「適者生存」の法則は、
れっきとして、ここ3次元には生きています。


この場合、
自分が「適者」でないと思う場合、
本当に不安だし、不幸にも感じてしまいますよね。
明日もわからないで生きてゆくわけですから。


実際のところ、わたしたちは、
いつ死んでしまうか、わからない存在なのですよね。
病気であったり、
ご飯を食べられるお金があったとしても、
事故で死んでしまうかもしれないし。


だから、いっぱい保険の商品があるのですよね。


事業をしていても、経済状態がどうなるかわからないし、
いつ何が起こって、倒産するかわからないし、
永遠に繁栄し続けるものって、ないですからね。


とはいえ、
健康でない人より、健康である人のほうが、
体力のない人より、体力のある人のほうが、
能力のない人より、能力のある人のほうが、
資産がない人より、資産のある人のほうが、
生きてゆく、適者生存という点からすれば、優位です。


実際、
わたしは、このうちのほとんど、
どれもないので、適者生存競争においては、
本当に弱者だなあ〜と思う状態で生きています。


でも、この何の保障も実際にはない、
という状態をしっかり見つめることによって、
出てくる「希望」のようなものも
あるような気がしているのです。


これ以上何も失うものはないな、
という状態になるからこそ、
出てくる力みたいなものってありますよね。


少なくとも、わたしは、何回か
それを経験しました。


それが、守護天使の助けとか、
高次の助けと、呼ばれるものなんじゃないか?
と感じていました。


でも、「適者生存競争」を自力で
続けているときって、
それが、得られないのです。
そういうときって、天は、ただ見守っているだけ。


そして、わたしたちも、
自分の力で生きてるって思ってる。
もちろん、それも素晴らしい能力なんだけれど、
それが出来なくなったときにこそ、
天界の扉が開かれたりする。


とはいえ、そういう
「天界の扉を開く」お手伝いをしている
わたしだって、
無意識に、まだまだ、「適者生存競争」の論理に
苦しめられていたのです。


そのことも、
4次元を探究して、気付いたのでした。
これは、3次元を生きてゆく「恐怖心」が
元になっていました。


「適者生存競争」の3次元で生きているわたしたちは、
不安であるからこそ、
ルシファーの、あなたに特権を与えよう、とか、
あなただけは、苦しまないでいい、とかの
取引とか、誘惑に弱いのでしょうね。
その理由が、「あなたは、特別な善だから」
と免罪符を出されたら、もうイチコロなんでしょうね、苦笑。

なぜ、そういう意識に、そこまでしがみ付いて無理をしているのだろう、
と、しばしば思う人や事柄に出会ってきましたが、
そういう理由だとすれば、納得もできるような気がします。


だって、「適者生存競争」への不安感は、
わたしの中にも、しっかりとあったからです。