母と温泉旅行☆2


母は、本来子供のような性格で、母性は極めて薄〜く、笑、自分の感情のままに行動するタイプです。
子供のころは、いつも母の感情に飲みこまれて、振り回されていました。
でも、母がこの新興宗教に入信して、この部分に明らかに変化が見られるようになりました。


それは、その宗教的教義の影響だと思います。
今まで、母の中には、客観的な善悪の判断はなく、自分の感情を害するものは悪。自分の感情を喜ばせ、鼓舞するものは、善で、それ以外の自分にとって都合の悪いものは、「わからない!」でした。


だから、母には、この新興宗教は、必要なものなのだと思います。
少なくとも現在の段階においては。


そして、母という身近な存在が、そのような、わたしの在り方とは、異なる価値観の中にいることによって、わたしも自分の在り方を客観的に振り返るのに、とても役立っているように感じています。


そして、もしも、この新興宗教の教祖さんが、本当に誠実な人格をお持ちの方ならば、すごく尊敬する部分も確かにあるのです。
母のような依存体質のエネルギーを、何万人の人から受けて立っているということは、並大抵の苦労と消耗ではないはずだからです。
わたしには、とても引き受けられないことですから。
確かに、母のいうように「お力」のある方なのだろうと思います。
でも、それは、誠実な人格と、清廉な人柄を備えていればという話です。
残念ながら、母から差し出される資料からは、そこまで推し量ることは難しいので、実際には、わかりません。
でも、そのようなかた(誠実な人格と、清廉な人柄)ではないと、断言もできないと思っています。


で、わたしが本当に、母がその新興宗教に入信していても安心している理由は、母は、亡くなった祖母に最終的には、4次元的に守られていると感じているからです。
わたしは、母方の祖母のことは、良く知っていますし、祖母の霊性は、存命中からとても高いものでした。
正直なところ、どうして、この祖母からこのような母の性格が生み出されたのだろうか?と疑問に思うほどなのです、笑。
これは、あくまでわたしの見解ですが、わたしの母の魂は、若い魂なのだろうと思っています。
これから、学んでゆく魂なのです、きっと。
だから、自分の足で、間違えながらも歩んでゆくことが必要なのだろうと思っているのです。


母親らしさで見ると、怒りを感じる、笑、レベルの母ですが、純粋な子供みたいな人なのだな〜と思えば許せます、笑。
可愛い人だなとも思います。
そういう母のいいところを、たくさん見つけて、良い関係を築いてゆきたいと思っています。
わたしは、この人の胎から、この世に生まれてきました。
それは、やはり深い愛情の絆になっていると、そして、改めて思うのです。
母と一緒にいると、楽しく、心癒されることもたくさんあるのです。

でも、親子という深い因縁と絆に基づく関係性のなかで、このように思うことが出来るようになるには、≪ターラ≫の超然と自立のエネルギーサポート無くしては、わたしには不可能だったなとも思います。
わたしは、本当に弱い人間ですので....。


ご連絡☆
HPさん、コメント拝見いたしました。ありがとうございます♪