「ミカエルロータス(6弁蓮華、第二チャクラ)システムワーク」の裏テーマは、禁欲は無意味☆


「わたしたちの体の中央に位置する六弁の蓮華(第2チャクラ)を発達させるのは、十弁の蓮華(第3チャクラ)を育成するよりも、困難です。

なぜなら、六弁の蓮華を育てるためには、私たちは、体と魂と霊が完全に調和するように、自己意識を強めることによって、みずからの人間全体を、完全に支配しなくてはならないからです。」
(シュタイナー いかにして高次世界を認識するか)


これって、一見、禁欲を推進しているように思えませんか?
でも、それは、違うのです。


「私たちが、体を崇高で、純粋なものに変化させると、体の器官が、魂と霊に仕える以外の事柄に、私たちを駆り立てることはなくなります。

(六弁の蓮華を開花させるということは)私たちの魂が、体によって純粋で崇高な思考と対立するような欲望や情熱へと、もはや駆り立てられることのない状態のことを示します。」

「ゆえに、私たちは、命令と掟を一方的に、押し付けて、奴隷を管理する主人のように、霊的な義務の命令と掟によって、体を支配するべきではありません。

神秘学の学徒は、いやいや義務に従うのではなく、それを愛するからこそ、義務を果たすようになるべきです。」



「神秘学の学徒は、感覚的(身体的な衝動的なものも含む)なものと、霊的なもののあいだで均衡を保つ、自由な魂を発達させなくてはなりません。」


「学徒は、自分を低いレベルまで、引きずり降ろす力がなくなるまで、感覚的なものを純化し、みずからの感覚に安心して身を委ねることができるようにならなくてはなりません。

学徒は、自分のなかの情熱が、おのずと正しいものに従うので、もはや、それを抑圧する必要すらなくなるような境地に身をおくべきなのです。」



もちろん、禁欲しなくてよいということから、犯罪を犯しても、何をしてもよいということではないです。

大切なのは、自分の欲望に、「均衡」を保てるようになることです。

ここでも、「ラブリー・ボーン」のなかで、興味深い記述を見たので転記してみます。


「’ただ望めばいいのよ。
一生懸命望んで、それがなぜ欲しいのか理解する。
つまり、なんで欲しいのか知るということね。

そうすれば、欲しいものはすべて手に入るわ’
なんだかあまりにも簡単に聴こえるけれど、実際のところ、その通りのことが天国では起きる。」


前の記事でも書きましたが、ここで言われている「天国」は、どうも4次元的なものであるようです。
そこで、欲望の浄化のために、何でも自分の思っていること、望んでいることが実現するという経験を4次元でしているような感じです。

そのような、欲望の浄化の初めの一歩は、抑圧するのではなく、
「自分が、何を、なぜ、望んでいる(欲しいと思っている)のか、理解すること」なのです。


ここを3次元で、ある程度やっておくと、4次元通過が早いのだろうという感じがします。
ある感覚では、それ(欲望を満たすこと)を、もううんざりだ!と思うほどやる次元の段階があるようです。
それは、ある人にとっては、私的天国だし、ある人にとっては、私的地獄でしょう。
物質界では、現実化は、ゆっくりですが、一度、物質界を離れると、現実化は、瞬時だと、一般的にも、言われていますね。



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