そして≪ネフェルティティ≫の「聖婚」の悲劇は?☆


まず、パラス・アテナのところでも書いている説明から、抜粋します♪

秘義的解釈にも、ギリシャの女神アテナは、イクナートンの妻ネフェルティティのエネルギーと同一視されています。

地上にエジプト時代にディセンションしたとき、イクナートンとともにアテン信仰(太陽神)をアマルナ革命として行いましたが、それは3次元的には、失敗でした。
イクナートンとの男性性女性性の統合、男性イニシエートのサポートとしても。

その失敗のカバーというか、その失敗があったからこそ、それを礎、轍として、ギリシャ時代という人間の進歩における重要な分岐点で、女神アテナのエネルギーとして、オデュッセウス等のギリシャ神話に英雄として残る男性イニシエートのサポートを高次元から行ったようです。
ゆえに≪パラス・アテナ≫のエネルギーが、エジプトの過去生とギリシャの過去生に関連すると云われているのです。

ここで、一つ理解できることは、ここ3次元における失敗とみなされる経験も、けっして失敗ではなく、経験なのだということです。ここ地上の経験というのは、高次元においても生かされるのですから。

イクナートンとネフェルティティによるアマルナ革命の真の目的は、「地上の天国」の現実化でした。
平和と芸術によって、それをこの地上に顕現させようとしたのです。
それは太陽のエネルギーを地上に降ろすものでした。
この計画は失敗したのではないのです。次の計画のための立派な布石となったのです。このやりかたではないのだなという感じですね。
民族霊というレベルでの調整もありました。エジプトでは難しかったことが、のちのギリシャでは可能になったのです。
ギリシャでは、神官よりも、英雄とよばれる戦士たちのほうが、力を持っていたからです。そして戦士たちは、自由で冒険心に満ちていました。 ネフェルティティとして存在していた当時のエジプトよりも、のちのギリシャ時代のほうが、保守的ではなく、クラス意識(特別意識)も低かったため「地上の天国」の理念を地上に降ろしやすかったといえます。とにかく英雄が、一番尊敬と力を得られたので。
そういう意味でもギリシャ-ローマ時代に、わたしたちが今「自我」と呼ぶ意識が、確定されつつあったのだと思います。
ギリシャやローマの神々が、とても人間的なのは、そのためです。
一方で、きたるべきときの準備が、ユダヤ民族のなかでは「一神教」の布石がモーセによって着々と準備されつつあったのです。
そう、ギリシャ-ローマに育まれた「自由」の意識と、いずれ統合するためにです。
アマルナ時代は、一度にやろうとしすぎたのです。でも、それもやってみなければわからなかったのです。

ネフェルティティは、とても美しい女性でした。
ネフェルティティの像が発見されるまでは、(ネフェルティティの存在もエジプト王朝から抹殺されていましたので)エジプトで一番美しかったのはクレオパトラだったと言われていましたが、その後は、ネフェルティティに訂正されたほどです、笑。
ネフェルティティの出生は、不明とされていますが、美女が多かったミタンニ王国の出身ではないかという説もあります。

ネフェルティティがわたしたちに教えてくれることは、「美」は、絶対ではないということです。美しさも、イクナートンとの聖婚と統合の失敗という結果を生んだのです。
もしかすると、ネフェルティティの美しさこそ、その失敗を招いたのかもしれません。
まず、≪パラス・アテナ≫のエネルギーは、美=パワー、権力なのか? それとも、美=癒し(調和)なのか? ということを、わたしたちひとりひとりに問いかけます。
わたしたちが、「美」をパワーとして、金星の権力として用いたときに、それは、他人だけでなく、自分自身に刃を剥くでしょう。
美しいということが、万能ではないのです。
「美」は、それ以上美しいものと並んだとき、簡単に「醜」へと変わってしまうものでもあります。
美は、憧れられながらも反感を買う場合もあります。
美しい人は、多くのことを、求められやすく、与えられない場合には、反感を買うのです。
あまりに美しいものは、怖れも与えるからです。」



さて、それでは、更に≪ネフェルティティ≫について書いてゆきたいと思います。
≪ネフェルティティ≫については、わたしは、個人的に思うことが多く、瞑想したりするときにもよく考えたり、エネルギーを感じたりしていたので、史実とは違う、わたしが個人的に受け取ったスピリチュアル的な解釈も含まれていることを、前もって、お断りしておきますね。


古代エジプト第18王朝の10代目の王イクナートン(アメンヘテプ4世)の妃。その名は「美女はきたりぬ」を意味する。王とは血縁関係(たぶん従妹(いとこ))にあった。」

と史実的には、語られています。

わたしの個人的フィーリングのなかでは、ネフェルティティは、元々アメンホテプ4世の父親であるアメンホテプ3世の後宮の一人としてミタンニ王国からエジプトに連れてこられたという感覚があります。
なぜなら、ネフェルティティは、とても美しい少女だったから。
そうして、アメンホテプ3世の王子であるイクナートン(アメンホテプ4世)と幼馴染のようにして育ったのだろうと感じるのです。
ネフェルティティは、3世の正妻である(イクナートンの母である)ティイにもとても気に入られていたような気がします。

そして、幼いイクナートンは、ネフェルティティに恋心を持って育った。
ゆえに、のちに4世として即位したときに、ネフェルティティを王妃とします。

上記の説明のように、そうしてアマルナ革命を行おうとしたのですが、これは当時のエジプトの宗教的大革命に当たるので、神官たち、側近たちの大反対にもあいます。

そして、アマルナ革命を阻止するには、イクナートンとネフェルティティを仲互いさせるのが効果的であるとして、イクナートンにネフェルティティのことを疑うようにしむけるのです。

ネフェルティティは、側近や神官たちの言動に動かされて、自分を疑うイクナートンに、深く傷つきます。
でも、結果、ネフェルティティと溝が深まり、のちに、自分の娘である第三王女アンケセンパートンを正妻にします。
娘のなかで特別な力を持っていたのが、第三王女アンケセンパートンだったからです。


一方、ネフェルティティは、イクナートンと溝が出来てしまったので、のちのツタンカーメンの後継者のような位置につきます。
イクナートンとの連携が、やもはや取れないので、ツタンカーメンに革命を託すのです。


そして、のちにツタンカーメンの正妻に第三王女アンケセンパートンが付きます。
(わたしが考えるに、ネフェルティティとイクナートンのようなパターンが、第三王女アンケセンパートンとツタンカーメンに引き継がれているような感じを受けます。)

けれど、ツタンカーメンは、首都をまたテーベに戻すことに同意し、アマルナ革命は、失敗に終わり、ネフェルティティは、王家の歴史上の記録からも消されることになります。


さて、わたしが、更に個人的に受け取っていたフィーリングは、イクナートンが、ネフェルティティを信頼しきれなかったのは、ネフェルティティが、以前は、自分の父親の後宮であったということを、イクナートンが乗り越えられなかったからではないかと感じるのです。
とても好きで、愛していて、大事に思えば思うほど、自分と父親が比較されているのではないかとか、父親を自分が越えられていないのではないかというような思いが、イクナートンをどこかで苦しめていたのではないかという感覚があるのです。


ネフェルティティの美しさはアテン信仰という新宗教の布教に一つの役割を果たしたと言われるほどでしたが、その美しさゆえ、イクナートンを苦しめる結果になったのではないかと思われるのです。

ゆえに血の繋がっている娘である第三王女アンケセンパートンを、ネフェルティティを退けて、正妻にまでした。


なんとなく、その男性の女性に対しての独占欲(性的な)の影響による、聖婚カップルにおける溝というテーマで、この部分が、「ラーマーヤナ」のラーマ王子と、シータ妃の逸話に共通するエネルギーを感じるのでした。


ネフェルティティも、シータ妃も、同じような苦しみを、聖婚のパートナーシップのなかで受けたような気がするのです。



 11月28日(水)の金星の女神統合グループワーク≪ネフェルティティ≫のお申込みは、
シャンティフレアサイト↓からお願いいたします♪
http://shanti-flare.ocnk.net/product/238