受け取った霊的パワーの正しい使い方とドグマ(教義)と罪悪感から解放される叡智≪ソフィア≫2



『ソウルシート』とは、わたしたちの魂の憧憬の歌を歌う場所。

わたしたちにとって、シビュラ(古代の巫女、預言者たち)が、とても魅力的に感じるのは、シビュラが、わたしたちの魂の憧憬の歌を高らかに語る由縁であると思います。
そして、未熟なシュビュラも、魂の憧憬に導かれて語っているのも間違いないでしょう。
高次の存在や自然界のディーバたちと親しく繋がり、喜びを持って、語り、人々を鼓舞するというのは、美しい魂の憧憬の一つでしょう。
それが、最高の善をもって、行われるように導き教育するという側面が、≪ソフィア≫の叡智です。  


初期の≪ソフィア≫は、3.11の震災のあと、「チャネルになる(高次の叡智と繋がる)ことを自らに許可する」という目的を強いものにしていました。
今回は、わたしたちが、地上で表現してゆきたいことすべて、自分自身のコア(泉)から流してゆきたい、「これをしたいのだ!」と魂の憧憬を抱いて、地上に降り立った≪そのこと≫の現実的化のために≪ソフィア≫の指導とサポートを受け取るということになります。
『ソウルシート』=「わたしたちの魂の青写真」です。
 



「グラマー(幻惑&高慢&自己憐憫)」は、地上の歩みを始めたばかりの未熟なシビュラの躓き(つまづき)とも言えるでしょう。
今回は、主なグラマ―と呼ばれるものを、アリス・ベイリーの著書から書きだしてみたいと思います。


(1.宿命というグラマー)
これは、これに支配されている者に対して、あなたには行うべき仕事があり、語り働く宿命があると指示するグラマーである。これは事実に根拠のないプライドを育てる。

(2.熱誠というグラマー)
このグラマーに条件付けられている者は、光に向けての自らの熱誠に満足し、それに心を奪われ、自分が熱誠家であるという事実に安心する。このような人々は、(マスタ―の)弟子の道へとさらに前進して、霊的な野心と目標への没頭と満足をやめる必要がある。

(3.自信というグラマー)
これは、弟子のアストラル原理と呼んでもよいグラマーである。
また、平易な言葉で言えば、自分の視点が絶対に正しいと見なす信念である。
これもまたプライドを満足させ、自分が権威であり、絶対的なものであると信じさせる傾向がある。
神学者のバックグラウンドになっているのは、このグラマーである。

(4.義務というグラマー)
これは、責任感を過剰に重視させ、無駄な活動と重要でないものを強調させる。

(5.周囲の状況というグラマー)
これが、しばしば、欲求不満、虚無感、無力感を生みだす。

(6.マインド(信念)というグラマー)
これは、マインドにはあらゆる問題に対処する能力と力量があると思い込ませる。
これは、必然的に孤立と孤独へと導く。

(7.献身というグラマー)
これは、アストラル体への過剰な刺激に繋がる。
このグラマーに惑わされてい人々には、一つのアイディア、一人の人物、一つの権威、真理のある一つの面しか見えない。
これが狂信と霊的なプライドを増大させる。

(8.欲求というグラマー)
これは、肉体の反射作用と伴い、絶え間ない戦いと混乱の状態を生みだす。
これは、すべての平安と効果的な働きを台無しにするもので、このような状態は、いつの日か終わらなければならない。

(9.個人的な野心というグラマー)
これら意外にも、個人的世界的な多くのグラマーが存在する。
しかし、ここに挙げたものは、一般的な傾向を注し示すのに役立つであろう。


誰でもが、これらのグラマーいずれか、もしくは全部に思い当たるのではないかと思います、笑。


これらのグラマーを乗り越えるためにも、ソウルシート(魂の憧憬)の癒しが必要で、その癒しのエネルギーとして、≪ソフィア≫のエネルギーと叡智が、高次から贈られるのでは?と感じます。


自分に霊的なパワーや能力があるかもしれないと感じている、もしくは、そのような霊的なパワーや能力を得たいと切実に感じているにもかかわらず、それを適切に発揮できない(もしくは周囲に認められない)ということは、とても自己の欲求不満と潜在的な怒りを内在的に膨張させ(特に無意識に)、これらグラマーをもたらすようです。
特に、スピリチュアルなの能力を、既得の権利としての記憶を持つ人は、特に。
でも、同時にそういった人たちは、誤ってパワーを用いたという、各種グラマーに関する深い罪悪感と不信を同時に持っていたりします

≪ソフィア≫は、この罪悪感にも働きかけ、解消してゆくことをサポートします。


わたし自身は、罪悪感というより、失敗の恐怖や、その責任感の重さから、自分の霊的なパワーを嫌悪する傾向が強かったので、欲求不満に陥ることはなかったように思うのですが、大きなカルマをこの部分に抱えていたのだろうと思います。
自己憐憫のグラマーです、笑。
だから、嫌だ!と思いながらも、逃れられず、やらなければならなくなったという、苦笑、感じです。
そして、いずれのグラマーも、いろいろな転生、人生で経験してきたな〜とも感じています。


だからこそ、霊的な能力をもちながら、発揮できていないという人たちを、健全にサポートするという役割りを、わたしは、天から負っているようにも感じています。
そういう思いをもって、日々仕事に取り組んでいる部分が、確実にあるのです。
これも、グラマーにならないように、注意したい点でもありますが、苦笑。
だからこそ、わたしも≪ソフィア≫のエネルギーと叡智に助けられたいという思いは、強いです。


続く♪