第二チャクラ(六弁の蓮華)にとって重要なのは、「柔軟性」、それが宙に浮いた心柱の象徴☆


さて、続きです。

「禁欲する必要があるあいだは、神秘学の学徒は、一定の段階までも到達することができません。
神秘学に学徒にとって、自分に強要しなければ、ならないような徳性には、ほとんど価値がないのです。」

「欲望が存在している限りは、どれほどそれに屈しないように努めたとしても、学徒は、欲望によって妨害されます。
欲望が体と魂のどちらに属していようと、違いはありません。

たとえば、ある人が快楽を遠ざけることによって、自分自身を純化するために、特定の刺激物を避ける場合には、このような節制は、それによって、体がまったく負担を感じないときにのみ、効果があります。
少しでも、負担を感じるならば、それは体がその刺激物を欲していることの表れです。
この場合、無理に節制したとしても何の意味もありません

このような場合には、学徒は、とりあえずめざしている目標に到達することを断念して、より恵まれた感覚的な状況が表れるまで(もしかすると、そのような状況は、次の地上での人生において、ようやく現れるかもしれません)、待つ方がよいでしょう。
場合によっては、現在の状況で達成できないことを無理に得ようとするよりも、理性に従って諦めるほうが、はるかに大きな成果がもたらされます。
強引に目標に到達しようとするのではなく、むしろ理性的に断念することによって、学徒の進歩は促されるのです。」


世の宗教では、禁欲を推奨する傾向がありますが、シュタイナーは、それは全く無意味であると述べています。
実は、そこの部分に、もっともやっかいな欲望である、スピリチュアルプライドの問題が隠されているような気がします。
自分が、人よりも、霊的に高い存在でありたいという欲望です。
意外と、崇高な使命感の陰にも、この欲望は、隠されていることが多いような気がします。

でも、むしろ、そういう欲望があると認めてしまったほうが、無理に禁欲する必要性を手放すことが出来ますよね?
なぜなら、人よりも優れていたいという欲望が、最も霊性の進化の妨げになることは、冷静に考えれば誰にでも、わかることだからです。
それが、「理性的な断念によって、学徒の進歩が促される」ことの意味するところだと思うのです。


第六弁の蓮華のロータスワークのグリッドを創るときに、改めて感じたのは、欲望から解放されるのは、自分の力ではないのだということでした。

一般的に第二チャクラ活性の色は、オレンジと言われています。
第一チャクラの生命エネルギーである赤と、第三チャクラの叡智のエネルギーである黄色の混ざった色です。

けれど、よく知られるように、この二つの色は、欲望の元にもなる色です。
それは、悪い意味ではなく、エネルギーの自然な摂理としてです

つまり、この二つの色のまじりあったオレンジは、感覚の色なのです。
「より敏感に感じる」というのが、第二チャクラの役割りであり、この感覚が、感情を生み出します。
つまり、それが「生きている」という状態なのです。
地上のエネルギーです。

この地上に生きるエネルギーと、高次から降りてくる恩寵のエネルギーのバランスをいかに保つかが、高い霊性の鍵です。


相反するエネルギーを、禁欲で、無理やり繋げてしまおうとすることには、根本的に無理があるのです。
でも、なぜある部分で宗教がそれを推奨するかといえば、深く隠された部分では、それはコントロールのためなのです。
決して出来ないことを、せよ!と命じ、それは本来出来るはずと推奨することで、「罪悪感」や「自己無価値感」をわたしたちは持つので、本来高次の恩寵のエネルギーではない、4次元的闇のエネルギーに、かえって支配されやすくなってしまうのです。

光と語っている者が、全て光の存在というわけではないということは、しっかりと認識していないといけないのは、そのためです。
無理やり繋げている柱は、しかも、それが高い建物であれば、地震によって、ぽきっと折れてしまうのです。
それは、わたしたちも同じで、高い霊性を維持したいと(いう欲で)、禁欲で無理をする人たちが、現実を突き付けられたときに、常軌を逸した行動を取ることによって、世間に衝撃を与えるのは、そんなわけで、なのです。
それは、健全で健康な状態とは、全く違いますよね。
だから、よく「宗教などには、深く関わらないでいたほうがいい」とか、世間で言われてしまうのだと思います。
でも、おそらく当の当人たちは、全くそのことに、まだ気付いていない状態なのだと思います。


むしろ、そのコントロールの罠から抜け出るためには、禁欲をしないことなのです。
でも、禁欲しないということは、欲望のままに無鉄砲に振舞うということとは違いますよ!
重要なのは、自分の欲望に対して、柔軟に対応する余裕を持つということです!


それに必要なのは、光、それも、白い光の供給の恩寵なのです。

白い光のエネルギーは、カラースペクトルのすべての周波数が組み合わさった色です。
つまり、7つのチャクラの色とされる7色がすべて合わさった色。

白い光には、欲望に光を当て、味わい尽くすという役割りが込められています。
また白い光は、「鏡」として、現実や、また隠されたものを映し出して、よく観る、というエネルギーも含みます。

この、欲望に光を当て、味わい尽くし、よく観るということが、「シフト」を可能にするのです。
他に方法は、ありません

オーラソーマカラーシステムでも、よく「クリア(白)」には、「オレンジ」が隠されていると説明されます。
「クリア」は、「オレンジ」をシフトさせている状態だとも云えるかもしれません。


そういうわけで、六弁の蓮華(第二チャクラ)のロータスワークは、このようなグリッドになったというわけです。

ただただ、第二チャクラをチャージするだけだったら、オレンジ色がメインのグリッドで良かったかもしれません。


でも、ミカエルロータスシステムワークは、秘儀参入のワークです。
そこには、シフト(次元上昇)の目的が、入っていなければならないのです。

それでは、ミカエルロータスシステムワークが狙う、六弁の蓮華の開花の意義は、なんでしょうか?



続きます☆