≪シェキナー白山菊理姫≫の感想です2☆

シェキナーのトランスミッションワークをありがとうございました。


当日は、県立武道館で審査会に参加しました。
武道館は長年多くの人が真剣に鍛錬しているエネルギーの場で、わたしのやっている武道は、大半が女性というものですが、そこに150人近くの審査を受ける人が集まり、そんななか自分の姿をみるにつけ〜丹田強化の必要をしみじみ痛感しました。


ああ、シェキーナーのワークでいただいて、またズルしちゃうことになっちゃうんだろうか〜。
でもそんな機会がもたらされていること自体が恵まれていることなのだから、恵まれていることに素直に感謝しようと思ってワークの夜を過ごしました。


翌朝、初めて経験するほっこりとした安らぎと安心感に包まれた目覚めでした。
目が覚めてまずにっこりしている自分に気づいたとき、ああこれがシェキナーなんだ、と深いところから感謝がわいてきました。


安心すると、やってみても、失敗しても、愚かでもいいからやってみていいよ、と包まれているように感じます。
以前はそういう意味では、力んでたんだな、頑張らねばというプレッシャーで自滅してたんだな、と
思います。
でもこれを自業自得といわれると、もうどうしたらいいか〜
手も足もでなくなる。。
豊かな女性性がなければ、男性性もこわくて危ない発揮の仕方しかできないし、虚勢を張らずにはいられない、自分のことも、またそういう行動をとる人たちへの理解にも導かれた気がします。


あと、私は境界線をもつことが長年のテーマだったのですが、いままでは意味がよくわからないけど、とにかく線をひかなくてはいけないんだ、と思い込み努力していたのが、ちょっと視点がかわりました。


温泉のように?泉源まで掘削できると、泉はわいてきて、それは温泉の泉質が違うように、自ずと個性は違うものになる。。
だから隣の温泉と泉質が違うように、隣の人とも個性が違って、結果的に境界線が生まれる。。


大切だったのは、領土に線引きして侵犯だどうだと争うしっかりもの??になることではなく、自分の泉の掘削をして、潤った人として生きること〜これがグランディングということなのか、と思いました。


周りにグラウンディングできている人を強くてウラヤマシイナ、と見ていましたし、アンダーグラウンドの世界に飛び込んでもへこたれない強い自分になろうと鍛えようとしては、巻き込まれてどんどん荒んでいったり〜本当に自分はバカじゃなかろうか〜と思うのですが、そんな愚かな自分も許されていること自体が、恵みが与えられるということの意味を感じます。


強さが鍛えるのではなく満たされる、ということで示され与えられることは、菊理姫の神話を思い、愛の深さを想います。


本当にありがとうございました。


素敵な感想ありがとうございます。
とても、素敵な≪シェキナー白山菊理姫≫のエネルギーに対するご理解と、導きですね♪
武道をされていらっしゃるということも、関係しているのでしょうか?

グランディングに対してのくだりは、まさにその通りだと、わたしも感じます。

自分のことを愚かであると認めることができたら、もう愚かと考えることもやめていいのかもしれません。なかなか自分やるじゃない!って、笑。
そういう許可がこれからどんどん出てくるのではないでしょうか?
それは、きっと豊かな余裕となって、周囲のかたがたを、これから満たしてゆくのではないかしら?なんて、拝見しながら感じました。
ありがとうございます☆