怒りが、与えることを妨げるときに感じる罪悪感について☆




豊かさの女神トリニティでも、さんざん言われたように、わたしたちは「与える」ことが大切なのですが、怒りが、与えることを、特に愛を与えることを妨げることがありますね。


ときどき、とても「奪う」エネルギーを持つ人に出会うことがあります。
その人は、奪うぞ〜というエネルギーを出しているわけではないのですが、結果として相手から、全てから、奪うという意思を根底に持っている場合があります。
むしろ、そういう人は、奪うというより、与えるようなスタンスで近づいてくる場合が多いです。


でもね、それは、その人が悪いわけではないのです。
その人が、あまりに枯渇していて、人からすべてから奪わずには、存在できないからなのです。
(正確には、その現時点ではということなのですけれどね。)

で、与えられ満たされれば、その人は奪うことを止められるのですが、そこに「怒り」が混在している場合には、そう簡単にはいきません。

怒りによって、決してその人は、満たされまいとするからです。
それは、受け取らないということではなくて、受け取っても受け取っても満たされないと主張することによってです。


つまり、その人は、愛を受け取るのを拒絶しているのです。
怒りを手放したくないから。
こういう人の側にいると、本当に疲れます。
一見、いい人の仮面を被っているので、与えないこっちが、罪悪感に苦しむことになります。


実は、これは、堂々巡りなのですね。
飢えている人は、さらに飢えている人からしか奪えないという法則があるからです。
犠牲者が、更に深刻な犠牲者を生むのです。


どこかで、この連鎖を断ち切らなければなりません。


わたしは、といえば、わたしも実は飢えているほうの部類に入るんだな〜と自覚しています。
だから、人から奪わないように、注意して、高次の愛から、自然界の無償の愛から充電するように気をつけています。
まあ、それがヒーリングであるということが言えると思います。


でも、怒りが上回っていて、受け取りを拒否していた時代は、やはり人から奪うタイプだったな〜と自覚しています。

そして、周囲の誰よりも飢えていたので、必然的に、いつも、わたしは与えて(奪われて)いました。
いつも、いつも周囲に求められていたのです。
そして、とうとう完全に枯渇したときに、死のうという決意とともに、ものすごい怒りがわたしの中から湧いてきたわけでした。

人によっては、本当に悲しいことですけれど、その自分からエネルギーを奪ってきた人が、ほかならぬ両親だった、母親だった、父親だったという人もいると思います。
というか、そういうケースが、ほとんどかもしれません。

つまり、愛されるために、与えるということが、ほんとうに生まれたときからだったというケースがあるのです。


そういうケースの人のために重要なプロセスとしてあるのが、≪聖母マリア≫と≪観音≫でした。
完全に癒された母性のエネルギーです。
わたしたちに、何も一切を求めずに、ただ無償で与えてくれる高次のエネルギー。
これら、高次の母親に、養育され直さなければ、方向転換が出来ないのです。

そして、これら高次の癒された母性を支えている次元もまた、12次元なのです。


それでは、聖母マリア系と、マグダラのマリア系のエネルギーの違いって、どういうものでしょうか?
それは、天界と、現場(3次元)の違いのような気がしています。


聖母マリアは、天界にいます。そこからわたしたちを助けます。
マグダラのマリアは、わたしたちのハートの中にいます。そして一緒に苦しみます。


聖母マリアは、完全に癒された母性という部分を維持することを、最優先事項にしている聖霊であり、マグダラのマリアは、女性として苦しむわたしたちの助けという役割りを最優先事項にしていると思うのです。

マグダラのマリアは、わたしたちのハート(感情)のなかにいるから、ホーリーグレイル(聖杯)なのです。

どっちも重要だし、究極には、シェキナーとして、「同一」なのだと思います。


さてさて、まず、飢えている人は、まず一旦、人に与えるのを止める必要があるのだと思います。
そして、無理して与えなくても、愛されるという経験を、聖母マリアの助けをもらって経験することなのだと思います。
これも今は、ヒーリングで可能です。



そして、少し余裕が出てきたら、ハートにマグダラのマリアのエネルギーを迎え入れてみるといいのかもしれないと感じています。

オリンの「魂の愛」のようにです。


わたしは、「魂の愛」を読んでいると、とてもマグダラのマリアを、つまりマグダレンホーリーグレイルのエネルギーを感じるのです。
「魂の愛」が、関係性をテーマとして扱っているのも無関係ではないと思います。


怒りが与えることを妨げているときの答えは、無理をしないことです。
愛することが出来ないという罪悪感で、ハートが苦しいときには、マグダラのマリアに助けを求めることができます。
もしくは、12次元の天使であるセラフィムに助けを求めることだと思います。
セラフィムは、どんな波動の低いところにも、降りてくることができる、燃える愛の天使存在ですから。
12次元の愛は、強いのです。



(続きます)


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