女性性の傷のテーマと良心(罪悪感)についての考察2


「真に愛する人間にとっては、身体的性的関係は、その精神的関係の表現手段に留まるのであって、精神的関係が本来、愛なのである。
従って、愛する者にとっては、性行為は精神的指向の表現なのである。」

「が、逆に言えば、この愛の幸福の質が欠けている場合には、この欠如は、性的享楽の量によって補償されなければならない。」

「意味への意思は、人間独自の実存的欲求であり、この欲求が充たされなければ、われわれは人間として充たされないのである。
そして、まさにそれ故に、また人間は、ますます多量の衝動満足によって、まさにこの内面的不充足を麻痺させ、自分を酔わせようと努める。」


人類の歴史のなかで、男女の関係のなかで、愛の幸福の質が成熟しているとは、まだまだ言えないように思います。

だから、多量の衝動満足が、まだまだ必要なのでしょう。
(それが、どんなに苦しいことだとしても。もちろん、わたしの中にもありますよ。)


けれども、これから人間は、まだまだ精神的にも成長してゆくでしょう。
そして、本来、十戒に示されていることは、「戒」ではなくて、「自然な人間の在り方」を示すものになってゆくとも言われるようにもなりました。


すべての関係性の基本となるものが、「愛と真実」以外なくなる......。


そういう人類の未来が、これから待っている。


まだまだ(う〜んと!)先でしょうけれど、そのときに、現在の状態を振り返って、そういう(酷い)時代もあったんだね〜なんて、思うのでしょうか???
昔の人たち(人類)は、大変だったんだね〜とか、苦笑。


そのころには、女性性の傷は、もちろんのこと。
すべての関係性における機能不全が、癒されているのでしょうね☆

9次元まで上昇して、その(未来の)視点から、今を、そして過去を癒すということも可能なのかもしれませんね☆
うん、そう思うと、さらに希望が出てきます☆