≪イシス≫の感想です2

先日は、金星の女神学校≪イシス≫に参加させていただきまして、ありがとうございました。


≪イシス≫のエントリーメールを読み、私がまず感じたのは、イシスの意識が全くセトへ向かわなかった事への感嘆でした。
セトへの憎悪、復讐心などにエネルギーを使うことなく、オシリスの復活のみに全身全霊を傾けたイシス。
どうしてそう在れたの?と、イシスの気持ちを想像してみました。
それは、(改めて言うまでもありませんが)オシリスへの強い愛ゆえ。
彼の復活以外のことなど、どうでもいい。翻って、イシス・ホワイトマジックを学ぶ者として、私にはそこまでの愛(←復活させたい何かへの)があるだろうか?無い。無いから、私の意識はセトへ向かいます。


セトは、私の内面の鏡です。
どんなに非道で、自分に害をなす者のように見えても、私の中から生まれたものです。
だから、外側に表れたセトをいくら打ち倒そうとしても仕方がない。セトを超えたかったら、自分の中を変えるしかない。≪ターラ≫ の、水を腐らせる破壊衝動を鎮め、水の質を変える学び。
原発の問題では特に≪ターラ≫に助けてもらっているような気がしますが、日常に表れるあらゆる事、大きなものからほんの些細なものまで、あらゆる不快に対峙する時に≪ターラ≫であることができたら、≪イシス≫へ向かう入り口に立てるのかもしれないと思います。


ホワイトマジックで叶えたいこと。私は、正直なところ、自分を幸せにしたいと思いました。セト的なものにエネルギーを使うことをやめて、本当に自分を愛して、≪ハトホル≫になって自分の望みを宇宙の摂理に則って叶える方法を真剣に学ぼうと思いました。
1日目の≪イシス≫の時間に、洗面台で歯を磨いていた時、鏡に映る自分が着ていた服に3匹のクマの絵が描かれているのが目にとまりました。「3匹のクマ」から連想して、「3匹のアクマ」と浮かびました。さらに考えてみて、私が怒りを感じる3人の人物が思い浮かびました。実質的にはその人達とは関係なく、彼らに投影している私の中のセトです。


私が彼らに怒りを感じるのは、「自分の正しさを全く疑っていない」ところ・・・ということは、彼らは私の鏡(投影)なのだから、私の中の闇の1つは、「私が私の正しさを全く疑っていない」ことにあるということ?・・・え〜!?これだけ自分のダメさを知って、少しでも成長したいと思っている私なのに???・・・と、当然のように主張する「私」こそが、つまり悪魔なのか。。。


そういう、今の「私」という人格への執着を捨てること。その人格の限界に囚われている自分を認識し、今の自分を捨てる。
つまり、今は「捨てられていない」ということ。「私は正しい」などと改めて考えてみることすら思い浮かばないような部分にこそ、壊すべき壁があるのでしょう。


『イシスは、女王という身分を捨てます。』それはつまり、真剣だということです。
ポーズではないレベル。「愛ゆえに」だから出来ること。私も、私を本当に救いたいと望むのであれば、「私」という世界の女王であることをやめなければなりません。今の私が女王であり続ける限り、私という小宇宙は今のまま変わりようがありません。≪イシス≫のグリッドが脳裏に浮かびました。9次元のクリスタルクラスターの上のイシスの卵。


自分への愛ゆえにこそ、今の自分を全て捨てることができる。愛ゆえに、真実の自分が現れるのを待つ。今の自分を静まらせ、ひたすら待つ。真の自分の復活。卵から生まれるもの。卵が生まれるためには、まず殻を壊さなくてはならない。


翌日から、徐々に自分の判断を捨てる努力を始めました(今も継続中)。
「全ては愛」という真実。今までの学びで、私はそれを内側の深いところで知っています。
しかし目に映る現実の世界において、「全ては愛」の意味を探ろうと思考しても、今の私の思考で無理矢理理解しようとしても、真実を歪めてしまうだけです。歪んだものは、もはや真実ではありません。それでいつも、「全ては愛」への信頼が揺らぎ、恐れに戻ってしまったのです。「全ては愛」という真実を、今理解・認識できるという意識を捨てました。それは、これから学んでいくことなのだと。


だから、今の私の認識で捉える現実に苦しみ続けることは、自分の認識に執着していることです。
女王で在り続けようとすることです。もうそれをやめる。
天の愛を信じ、自分を委ねる。そう決めました。そうしたら、すごく気持ちが楽になりました。内側の平和に繋がることが容易だったので、安心感に溢れていました。≪イシス ≫ウィークの恩恵だったのだと今は思いますが、当時は、自分が≪イシス≫で急に成長してしまったのだと思って、ビックリしつつ喜んでいました。とても満たされていました〜、天の愛への信頼が強くて、いつもとは逆に、恐れが吹けば飛ぶほど弱々しかったです。


≪イシス≫ウィークが終わったら、以前の私とは格段に違うけれども、≪イシス≫ウィークの状態とも全く違う、という状態になりました。
いただいた学びを無為に費やしてしまったのかと、一瞬焦りました。実際そうなのかもしれません。でも、それが私という人間のあるがままであり、それを宇宙が受けいれてくれているのですから、私がそれを認めずに「何とかしなければ」と考えるのは、良いことをしているつもりの傲慢さなのだと思います。自分の判断で自分を責めるのをやめて、とっても素晴らしい魔法の種をもらったのだから、少しずつでも育てていこうと決めました。


判断を手放す一方で、自分の真実(本当の気持ち)と繋がっていることの重要性も学ばせていただいた一週間でした。
上に、「とても満たされていました」と書いておきながら何ですが、とても幸せそうで楽しそうな人を見た時に、気持ちがモヤモヤして何だかみじめな気持ちになりました。
朝見て、午前中いっぱいモヤモヤして、「おかしいぞ」と思いながらどうにもできず、ヒントを求めてお昼に仕事先のパソコンからシャンティフレアのサイトにアクセス!目についた「11次元ナディ」の写真をポチッとさせていただきました。


エネルギーを浴びながら、『11次元の一番大切なエッセンスは、完全な真実です。』という11次元の説明を読ませていただいているうちに、自分の真実と繋がり直すことができて、モヤモヤ(劣等感かな)が消えました。
今の私の真実とは、「私を救いたい。幸せになりたい」という望みに向かって、日々学ばせていただいているということ。そしてそれは、私にとって最高に幸せなことなのです。
ある意味、「幸せになりたい」という望みはすでに叶っているようなものです。
内側に耳をすますと、今までの学び、癒し、そして≪イシス≫ウィーク真っ最中の時、望みに向かって着実に進んでいることが嬉しくてたまらないと、ハートからは喜びの声以外、聞こえてきませんでした。

その望み以上に大切なものなどないのだから当然です。でも惑うわけです。同じ日の帰りの満員電車の中で、邪険に扱われて落ち込み、悲しくなりました(笑)。

その気持ちに引きずられて見る世界は、闇です。しかし「落ち着こう」と、内側に耳をすませたら、そんな事があったからって全く気にせず、ハートは喜びの歌を歌っていました。私の望みは、電車の中で丁重に扱われることではないのだから、私の本質はそんな事全く気にしていないのです。生きていれば色々なことが起こります。悲しくなったり、怒りを感じたりする出来事だって起こる。でもその中にあって、自分の真実を見失わなければ、いつだって天の愛が自分に注がれていることを思い出せる。これは私にとって、大きな学びでした。

最終日の≪イシス≫の時間。明け渡すということについて、様々なインスピレーションが浮かびました。大切なのは、宇宙を信じて、待つということ。すべてはうまくいっていて、大丈夫なのだということ。たとえ私にはそう思えなくても、私の意識を超えたところにある宇宙の真実に敬意をもって、内なる平和と繋がり続けます。そして、学び続けます。

今回も素晴らしい機会をありがとうございました。宇宙に委ねることがほんの少しずつですが、できるようになってきたので、安心して今を楽しむ気持ちが出てきました。本当に嬉しいです!史衣さん、高次の存在、ご参加の方々、関わってくださった全ての存在に感謝します。ありがとうございました!


レポートありがとうございます!
そうですね〜セトは、悪の寓意ですから、誰のなかにも居ると思います。
それに対して、打ち滅ぼすという意識より、認めてあげるだけでいいのかなという気もしますが、なかなかそれも難しいですね。
たとえ、自分のなかに悪のエネルギーを感じたとしても、それに中心の座を渡さなければいいのかもしれません。
最終的には、セトは、イシスから生まれたホルスによって王座を奪われますから。
これは、最終的には、わたしたちのなかから生まれてくる善なる意識が、悪なる意識に打ち克つ希望の寓意だと思います。
いずれは大丈夫なんだけれど、今は、セトが暴れている最中なのね?と俯瞰してみるのもいいのかもしれません。

いいことも、悪いことも起こるその対処の叡智は、≪サラスバティ≫のテーマです。
受け取ってくださっているので、ぜひ復習してみてください。
大きな括りでは、≪サラスバティ≫も叡智の女神として含まれますので、ぜひこの機会に♪
ありがとうございました☆

追伸♪、最近は、サラスバティが少しだけわたしにも定着してきたようで、いや〜なことが起こると、これはいいことがやってくる前兆だわ!と思えるようになってきました、笑。
もちろん、時々は、忘れちゃうんですけどね、苦笑。