「自立」のテーマと≪ターラ≫のグリーンフローライトの説明の続きです♪



≪ターラ≫詳細に書いていたグリーンフローライトスフィアの続きを書いてみたいと思います。

去年の初めくらいから、グリーンのフローライトのスフィアが必要だ!と感じまして、色々探していたのですが、なかなか見つからなかったのです。ある程度の大きさのあるものって、なかなか無いのです。

それで、ネットでも探してみたのです。それで、見つけたのがこのスフィアでした。



それで、届いたときに、見てまず思ったのが、「失敗した〜!!!!」でした。


わたしは、実は以前は、ネットで石は買わないという信条を持っていたのです。
というのは、やっぱり見て、触れてみないと石のエネルギーや質はわからないと思っていたからです。
けれど、一昨年くらいから、ワークに必要で探しなさいと言われる石で、見つからないものがあって、ネットで探して入手することが増えて、それがなんというかとてもいい感じだったので、ネットショップも利用するようになったのです。


けれど、このグリーンフローライトに関しては、「やってしまった、汗」と思ったのです。
というのも、このフローライト自身が、、深く傷ついているような印象で、にごっているような曇っているような澱んでいるような印象だったからです。
そして、それまで導きが間違っていなかったのに、なぜ今回、こんなことに?みたいに、少しサナト・クマラを責めるような気持ちになっていたときに、ふと


「ご縁がなければ、この石もわたしの元にはやってこなかった。
今までは、いわゆる完成された石ばかりがわたしの元にやってきてくれていた。
いわゆるマスターレベルの波動を漂わせている石や、慈しまれ、磨かれてきた石。
または何かをすでに乗り越えてきたような石が、わたしを助けるためにわたしの元に来てくれていた。
けれど、これからは違う石も受け入れる必要がある。
それは、わたしのように傷ついている石、何かに誰かに慈しまれる必要がある石。
その石をわたしが助けることによって一緒に成長してゆくような仲間がこれからはやってくるのだ。」

というようなインスピレーションに包まれたのです。


ああ、そうか、この石は、この石のにごりは、わたしなのだ。
この石の寂しさは、わたしの寂しさ。
この石の傷は、わたしの傷なのだと思い、
わたしは、これからこの石に愛のエネルギーを毎日送ろう、そして、この石をわたしが癒すのだ、そのために、わたしに慈しまれるために、来てくれた石なのだからと思い、そうすることにしたのです。



けれど、そんなにすぐには、透明感や波動の高まりが出てくるわけはなくて、そんなとき、この石の澱み具合に、わたしの愛のエネルギーの低さみたいなものを見せつけられているような気がして、イライラすることもしばしばでした。正直に言うと。


ずう〜っとそんな状態だったある日、ふと、この石がすごく優しいエネルギーを発しているのに気づいたのです。


そして、この≪ターラ≫のグリッドのインスピレーションがやってきたのでした。


そのとき、丁度≪アルテミス≫の準備をしているときでした。
あれ?っ、これが≪アルテミス≫なの?
ちょっと違うような気がするけどと思ったら、これは≪ターラ≫だということでした。

えっ、じゃ≪アルテミス≫をやるのかと思っていたけど、次は≪ターラ≫なの?
と思ったら、前回書いた説明のように、ターラがアルテミスを見守るのだということが、分かったのです。


そして暑い夏。
お花を花瓶に挿しても、すぐにくたっとなってしまうなかで、というのも花瓶の水が暑さのためにどうしても濁って悪くなってしまうからなのですが、結構いつまでも元気に咲いてる花があって、よく見ると花瓶の水がきれいなさらさらの透明感のままなのです。
クリスタルがたくさん置いてある場所に花瓶を置いていたので石のせいなのだろうと思ったのですが、石が近くにあっても置き場所によっては、駄目になってしまうところもある。

ということは、犯人(水を清いままにして、花を生かし続ける)がいるんだと思って、誰だろ〜と思ったときに、あっ、このグリーンフローライトだ!
と気付いた瞬間は、なにか震えのようなものを感じました。
涙も、ちょっぴり出てしまったかもしれません。


そうなのか〜、自分が傷ついていたからこそ、強い癒しのエネルギーを発信することができるんだね、涙。

そうか、そうなのか.....。

それなのに、手元に来たときには、完成されていないからと思ってがっかりしてしまった。

たぶん、それは、わたしが自分自身にがっかりしていた部分の投影だった。

わたしは、人よりも傷ついている自分が嫌だった。
癒されなければ、完全でないと思っていたし、完全でなければ、この仕事も十分には出来ていない、だから早く癒されたい、か、辞めたいといつも思っていたような気がします。


けれど、このグリーンフローライトがそうじゃないんだってことを教えてくれたんですね。
傷にこそ、価値があるんだってこと、
嫌う人もいるかもしれない、
わたしがこの石に思ったように、もっと透明感がある石、波動が高い石もあるのにって。

けれど、傷ついているからこそ、優しい。
透明感では不足があるかもしれないけれど、ミルキーな甘さがある。
そして、それが、水を濁らせないという秘密。

そして、わたしの愛を受け取ってくれたということ。
わたしの拙い愛のエネルギーを受け取って、それに答えてくれた石だってこと。

それが、本当にうれしかった。

何か、わたしを根本的に変えてくれたような気がする、そんなグリーンフローライトスフィア。

優しさとともに、透明感も増してきて、「4次元ナディ」という難しいグリッドも支えてくれた。
そんなことは、ここに来てくれたときには、想像もできなかった。
でも、そういう石だった。


そして、満を期しての≪ターラ≫の開催となったときのテーマは、「自立」、そして「超然」だったということ。


前の記事に書いたヒマラヤで修行し、解脱した女性隠者は、なぜ厳しい修行に取り組もうと思ったのか?
それは、きっと彼女が並はずれて、立派だったからでも、強かったからでもないに違いない。


きっと彼女は、なんらかの深い癒されない傷を負っていたのじゃないかと思う。


その傷の痛みが、自分を、そして同じような傷を持つ他人を、癒したい、癒されたいという強い思いから、仏の修行に自分を導いたのではないかなと思う。


人って、やっぱり傷つかないと、人の痛みを理解できない部分がある。

そして、やっぱり、傷が深いととても苦しく、孤独を感じる。
その傷に、闇に負けてしまいそうになる。

でも、だからこそ、ぎりぎりまであきらめずに頑張ったときには、それは自分だけじゃなく、誰かを癒すエネルギーにもなる。

そして、言い伝えとして、これから何度転生しても、わたしは女性として生れますという誓いを立てたといわれる≪ターラ≫は、女性としての深い傷を受けていた存在なのじゃないだろうかと、わたしは思いを馳せてしまうのです。


女性であるということを、諦めや犠牲に感じないで欲しい。


女性であっても、強く、自立した、超然とした存在になれる。


そして、なんにでも挑戦して欲しい。


そんなエネルギーが、≪ターラ≫から、そしてグリッドのグリーンフローライトスフィアから伝わってくるのです。


あと、≪ターラ≫のグリッドの「水」についても後で書こうと思っています♪


ということで、2011年初めてのワーク、1月23日(日)開催の「金星の女神学校≪ターラ≫」
シャンティフレアサイトでもメニューのご準備できました。
http://shanti-flare.ocnk.net/product/76

お申込み開始させていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします☆