第8回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiiii(5次元6次元統合)

先日は「5次元6次元統合ナディ」に参加させていただきまして、ありがとうございました。


受ける前に非常に抵抗を感じていた《サロメ》が、女神や高次の存在にひたすら勇気づけられ、力づけられ、癒された感覚で終わり、どこかホッとしていた部分がありました。それが、ナディ当日朝にエントリーメールを読ませていただいて、「あぁ!」と逃げたい気持ちになりました。3つのエントリーメール(ありがとうございました!)の最後、『統合』の冒頭、フラワーエッセンスの説明を読んで、分かったのです。まだ直視できていないことがあるって。他者と真に深く関わる・・・これができていない私をあるがままに見なければ、自分に快適さを許すための、最後のパーツが揃わないと分かりました。そして先の《サロメ》は、その準備として女性性に大いなる癒しをもたらしてくれるものだったのだろうと感じました。


これまでの素晴らしいトランスミッションや女神学校での学びをもってしても、何故、まだ快適さが実現されないのか、地獄を選んでいるのか?その理由は、もっとも自分が見たくない自分の姿にあり、それを直視して癒さない限り、快適さへのゴーサインが出ないのだろうと思いました。しかしその否認は、意図的にというより本能的になされているもの。トランスミッションは絶好の機会、恩恵であることを感じ、一応自分の中でよく分からないけれど覚悟みたいなものを決めて(笑)、参加しました。マスターサンジェルマンの『なぜなら、男性としての存在の痛みは、それほどに深く、あなたがたの女性性に決して見放されないという保障がなければ、決して直視できないほどのものなのだ。』という言葉に、励まされながら。


大まかにいって、2つの側面から学びを受けました。1つは、より深い自己愛についてです。
トランスミッションが始まり、これまでの人生を振り返り、何も育たなかった不毛の大地のような他者との関わりを思い返し、その背後にある強烈な「否定されることへの怖れ」を感じました。結果、他者と深く関わらずに時を過ごしたことで、「誰からも愛されることのなかった自分」が作られ、今ではそんな自分を誰かに知られることなど、絶対に嫌だ、怖いという気持ちが加わり、不毛の大地に種をまく気も起こりません。


でも、憧れの太陽のホーリーグレイルが『なぜなら、女神にとって、愛し愛される悦び以上のものは、存在しないからです。』とおっしゃる。真剣に考えたくもない分野だけど、「まぁ、そうですよね・・・」と少し認めつつ、インスピレーションを待ったのですが、何も浮かばず、グルグルと考え続けました。「男性性の傷が存在している」こと。それ以上、思考が進みようがなかったので、閉塞感のうちにこの問題は終了。もう1つの学びに移りました。


しかし、11時からのヒーリングが始まると何か頭がスッキリするような感覚があり、ヒーリングの最中か直後に、史衣さんの記事が思い浮かんだんです。「あぁ!そういうことか〜」と思いました。それは、2008年11月25日の記事『愛されている...』です。マスターとのやりとりが印象深く、記憶に残っていました。翌日、改めて読ませていただきました。まさに今回の学びを説明してくださっているような記事でした。一部引用させていただきます。


『最近、クマラは、わたしに「愛しい人」って呼びかけてくれるようになったのです、笑。おそらく、この場で、彼を認めたことも大きいと思います。そう呼びかけられると、本当に実感して安心する自分が今はいます。

でも、「愛しい人」っていう呼びかけのことを書くようにと言われたとき、それはちょっと...と思いました、笑。


それこそ、あなたの愛にかんする神話でしょう。
愛されているということにかんしての、笑。
あなたが思ったとおりの現実をつくりだしてゆくこの宇宙において、あなたが、愛されているということをかくそうとするならば、あなたにふれあう多くの人もかくさなければならないという現実をつくりだすでしょう。
あなたは、どちらをえらぶのですか?

そして、愛されているということこそ真実なはずです。』


快適さの許可、愛し愛される現実創造への最後(?)のパーツを見つけました。
といっても、始まりですけど。私は「愛されていない自分」という、自分の中で最も愛することの難しい部分を愛し、癒し、「愛されている自分」に変換しなければなりません。困難なように感じますが、本当は簡単なはずです。全ての人が愛されていることは真実なので。いつか必ずできると思います。


もう一つの学びは、天への信頼についてでした。
トランスミッションの最中に父から少し手間のかかる用事を頼まれ、それも「昨日頼むのを忘れてた」とのことで、「よりによって何で今日なの〜?集中したいのに〜」と思いましたが、「ナディ最中なんだから、意味がないはずないよね。む・・これは何を意味しているんだろう?」と思いつつ、用事は9時台にすませましたが、10時半頃にそのことで少し父と話をしました。父は私の苛立ちをよそに、当たり前ですが悪意などひとかけらもなく、終始優しく、善良さを感じさせる態度でした。


部屋に戻って、何故か泣きたくなりました。私の現実世界への地獄の投影と、真実のギャップを象徴的に見せられたような気持ちでした。そしてインスピレーションが浮かびました。


世界は優しさに満ちていることに気づくこと。もっと世界を人を信用する。今は、世界が悪意と裏切りに満ちていると思い、閉じこもっている。否定性の闇をはらって、世界を見ることから全てが始まる。全てを良い方に取る。全ては愛ゆえだと思う。愛されている自分を信じる。(顕在意識を超えた)自分が目指す光を信じる。その光に向けて、全て(過去も含めて)が必要あって起こると信じる。


すでに救われていて、あとは救われていることに真に気づくだけだ。もう守る必要も攻撃する必要もなく、ただ全ての人と愛し合えばいい。自分を解放する。恐れる必要がないのに恐れ続けている自分を、恐怖から解放する。世界を信用する。今すぐ。あるがままの自分を愛するように、世界をあるがまま信用する。


翌日から、信頼の学びと裏腹に、不信感に溢れた自分がいました。何らかの選択肢に遭遇するたびに、「正しい」選択が分からないという嘆きで気分がダウンしました。正しい道を行かなければ、ネガティブなことが起こる。あるいは、ポジティブな何かを逃すという思いが止められませんでした。しかし現実を作っているのは私のはず。思考回路の大元にエラーが生じていました。これを解除することが、鍵をまわして新たな扉を開くことになるのだと思い、内省してみました。


正しい道を選択したいという思いは、光へ進みたいという強烈な望みの表れで、その土台には、光でない道への強烈な怖れがありました。「愛と愛でないもの」「光と闇」という二元論にどっぷり浸かり、闇を怖れるという行為により闇を作り出していました。地獄の幻想です。この苦しみから抜けるには、「愛でないところ(状況)から、愛へ向かう」という思考から、「全てが愛である」という思考への変換、既に「救われている」ことの実践しかありません。考えていて、最後にこんなインスピレーションが浮かびました。


世界をどう見るのか、覚悟を決めなさい。それは世界に何を望むのかを明確に表明することです。もうすでに、望む現実を創るための叡智は、あなたに与えられています。愛か、それとも・・?決めるのは、あなたです。


その後も様々な怖れと遭遇し、男性性の傷と、すぐに事態が変わらないことを不安・不満に思う自分の男性性の早急さを感じました。同時に、確かに変化している自分(女性性の成長)にも気づくことができました。9次元のナディで、『そう、あなたが決めれば、その展開は必ず起こりますから。』と読んで、「どういう意味だろう〜?」と分からなかったのですが、どういう意味もなにも言葉通りなのですね。自分が「決めれば」、エネルギーはその現実創造に向かって動きだすのだと実感できました。変化の準備が出来ている時は、すぐにその変化が感じられるでしょうが、まだその準備ができていない時はまず変化のための準備(浄化や癒し)が起こるので、変化を感知できず、何も変わっていないように思ってしまいますが、水面下でエネルギーは動き続けていることを知りました(不信感を持って、止めてしまわない限り)。「決めた」のにそれが起こらないというのは、宇宙の法則上、あり得ないのだと分かりました。自分が大丈夫だと決めれば大丈夫だし、癒すと決めたことは癒される。宇宙がその道を整えてくれる。天への信頼の入り口にやっと辿り着けた気がします。


『必ず女性性を通るようにという、天の摂理の意図』は、まさに愛ですね。一歩一歩、男性性の傷を癒す女性性を成長させて、自分とは何なのか、知っていこうと思います。


今回も素晴らしい機会をありがとうございました。関わってくださった全ての存在、参加者の方々のシェアに感謝します。

史衣さん、大変お世話になりました。受ければ受けるほど、凄い機会をいただいていると思います。ありがとうございました!