第8回ナディマスタートランスミッションスタディシェアiii(5次元6次元統合)

ナディ男性性と女性性の統合

今年、初めてのウグイスが庭にきました。昨年までは、谷向うの竹林で鳴いていたのに、今年はうちの庭で鳴いてくれました。
ツガイのようです。片方がホーホケキョと鳴くと、もう一方がキョキョキョと合いの手のように応えます。

今回のナディでたいせつなことを教わりました。

心(女)と言葉(男)を一致させること。
心と言葉が一致している人は、信頼できます。

男性性優位な教育をうけたので頭でっかちな理想論や机上の空論がいっぱいつまっていて、言葉だけが独り歩きしていました。
それに心がぜんぜん、追いついていかないのです。無条件の愛、って言葉は知っていますが、私の心が無条件の愛の状態にあるか?というとぜんぜん違いました。そんなときは、無条件の愛という言葉をつかわないこと、それが真実。今、わたしは条件つきの愛でしか人を愛せないの、というのが、今のわたしの真実。

宗教書やスピリチュアルなことを学んでいくと幸せになれるのかな?と思ったけれどわたしの場合は、頭でっかちになる一方で自分の弱さを防御する鎧にしかなっていませんでした。 心の傷は、自分でしっかりと向き合ってそんな弱い自分でも愛しているよ、と受け入れないと癒されないよとクマラは教えてくれました。

心と等身大の言葉で話しをしなさい、ということ。あるがままを、あるがままに言葉にすること。
いまのあるがままを。このことができると、過去がうすくなっていきました。

過去の癒着と妄執からわたしが離されたのはもちろん、癒しを受け取ったからだとも思います。自分ではどうしようもないほどの痛みを心に抱えていたのが、つい数日前とは思えないほどの状態にいまはなりました。男性性と女性性の調和したエネルギーは、自然、あるがままなのだと思います。


過去に自分は神の子だ!と確信した瞬間がありました。パーフェクト!だけど、いまはそのようには感じていなくて、傷心を抱えてうなっています。そんなときにどれほど、わたしは神の子だ!と言い張っても心の状態と神の子の状態ではギャップがありすぎました。理想が先にたつと、自分から乖離してしまうということ。その理想的な姿は頭の中のファンタジーで、いまの自分のリアリティではないから、理想を言葉にすることはある種の欺瞞となって実は他者のみならず、自分を一番傷つける、とクマラは教えてくれました。


ありがたいことに、その本質的な自分の弱点を知ることができたときに、過去のもやもやした問題が癒されていきました。
そして、謙虚さ、ということが少しですが、わかり始めました。
等身大の自分をみると、はずかしいことがたくさんあります。そのひとつ、ひとつを今、クマラに告白していっています。真実に、今にいられるようになるためには、もうすこし癒す過去がありそうです。

自分の心のウソ偽りを残らずクマラに告白できたときには、今というときに身をおくことができ、心と言葉を一致させて話すことができるようになるのではないかと感じています。

それが、わたしにとっては男性性と女性性の統合のようです。過去と今が和解して、心と言葉がひとつになる、ということ。
今、痛い拒絶に直面しています。だけど、わたしが真実に裸になれないかぎり、相手の鎧もほどけないような気がしてきました。
どれだけ、赤裸々に自分の真実を語れるか、裸の自分をさらけることができるか、私の真実を賭けてやってみようと思います。

わたしにとっては大きな気づきでした。ありがとうございました。