いただいたメールです☆(ぜひ、この時期のご参考に♡)

いただいたメールをご紹介させていただきます。このタイミングでいただいてるので、きっと、このいただいたメールが助けになるかたもいらっしゃるのだろうということで、アップさせていただきますね♡

一緒に乗り越えてゆきましょう!


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年が明けてすぐに、メールとリコメンドを送っていただきまして、ありがとうございました!!そして、ブログで、元旦からのエネルギーの流れを教えていただきまして、ありがとうございます!!感覚としてエネルギーのことは分からないのですが、心情的にその通りのことが起こっています!!記事を読んでいて、心が躍りました♪♪
リモートトーンサラウンドで、色々な流れを受け取れるようにエネルギーを整えていただいたこと、本当に感謝しております。改めまして、ありがとうございました。


12次元ナディ後の史衣さんの記事(12/23)で、『「自分を許しなさい、癒しなさい、愛しなさい」というメッセージは、12次元ナディの傷ついた女神の再誕生の基盤となるメッセージす。』という部分を読んで、「自分を許す」ということがどういうことなのか、私は感覚的によく分からないと気づいたのです。が、「12次元がそう簡単に分かるわけないし〜」なんて軽く流してしまいました。しかし史衣さんがはっきりと『基盤となるメッセージ』とおっしゃられているように、「自分を許す」というのは最初のステップともいうべき大切なものでした。ゆえに、ちゃんとレッスンがやってきたのでした〜!(笑)


12次元ナディ後、私が以前のレポートで何度もしつこく書いていた「苦しみ」の感情的体験がまたぶり返してきました。自分に「快適さ」を許可できていないのだろうか?と思って、それならば積極的に自分に「快適さ」を許可しようではないかと、初めて「引き寄せの法則」系の本を買いました(笑)。それを参考に、自分の状況に合ったアファメーションを言ったり、イメージしたりしたのですが、一向に「苦しみ」は消える気配すら感じさせないまま、元旦を迎えました。



0時を過ぎてしばらくして元旦の特別リリースを受け取らせていただきました。
クリスマスのリリースと合わせて、「温かい家族のエネルギー」を受け取らせていただいたわけですが、意識的(心情的)にはそれを感知できませんでした。でもきっと、「さあ、また地上(3次元)の冒険を楽しんでおいで!」と大きくて温かい手に背中をバシッと叩かれるような、そんなパワフルな愛をたっぷり受け取っていると信頼して、新年の朝を迎えました。ありがとうございます。


元旦は引き続き、あの手この手で「苦しみ」を消そうとしました。「ただ快適さを望んでもダメなんだ、自分の心に快適さが入ってくるスペースを作らなきゃ。私の快適さを侵害している人物への嫌悪感を手放そう!」とか、「全ての人が快適さを享受できる宇宙の豊かさに感謝しよう!」とか。…でも、全く消えませんでした。


2日の夜になって、万策尽きた気分で、とにかく「現実を作り出しているのは自分」なのだから、一体何が原因で、この状況・苦しみが生まれているのか、もう一度「ありのままの自分」を見つめてみることにしました(エゴのすごい抵抗を感じつつ・・)。11次元ナディの時に、自分の中の地獄のエッセンスを外側に投影していることに気づかされましたが、ではこの状況は、私の中の何が投影されているのだろう?と見つめてみました。するとやはり見えてきたのは、自分の影でした。史衣さんが12次元のナディを「ラブ&アバンダンス」と関連させて語られていた記事が思い浮かび、深めてみようとPCを起動したのですが、疲れて頭が働かず、その日は眠ることにしました。


3日。史衣さんの記事(12/23)には、今はまだ理解しきれない深さを感じましたが、『多くのアクエリアンエイジ(レムリアン、アトランティアン)と呼ばれる人たちのレスキュー。なぜなら、彼らの一番大きな怒りが、現在、この地上での創造性を発揮できていないフラストレーションによるものだからです。』という部分だけ、実感として心に響きました。アクエリアンエイジのことは全く分からないのですが、『地上での創造性を発揮できていないフラストレーション』が不甲斐ない自分への『怒り』として「自己嫌悪」になり、そんな存在として生きていることが世界への「罪悪感」「羞恥心」になっていることが自覚できました。



でもそれ自体は以前から気づいていて、そして当然だと思っていたのです。「創造性を発揮して生きる自分」になりたかったから、そうではない「ありのままの自分」を見て、「自己嫌悪」「罪悪感」「羞恥心」を感じるのは、当たり前だと思っていました。この感情が手放すべき(癒すべき)ものだったなんて、夢にも思っていませんでした。だけどこれらの感情が、自分を苦しめ、苦しくてしかたない状況を創り出し、快適さの許可へのブロックになっていることがはっきり見えました。そしてやっと、“ありのままの自分を見て、受け入れて(許して)、愛する”ということを真に実践するというのがどういうことなのか、分かったのです。自分をジャッジして「これは許す、これは許さない」と無意識に振り分けるのをやめ、「全て」許す。それが、再生への出発点でした。



そして翌4日の朝。メールをチェックしましたら、マスターからリコメンドが!
自分の心境の変化としては完璧なタイミングなのですけど、やっぱりビックリしました〜!!本当に嬉しかったです(泣)。リコメンドによってさらに色々触発されるような、光の種をもらえたこともありがたく。。。



それから今日まで、「ありのままの自分を許す」ことを念頭に過ごしてきました。ネガティブな感情を抱こうが、逃避的行動に出ようが、全て許して、受け入れ続けました。自己嫌悪なんて必要なし!全肯定!許す!許す!許す!(笑)この「許す」という行為は、自分自身が自分の母親になるかのような心境だなと思いました。それも完璧な受容力を持ち、愛し、育む母親。史衣さんが、『インナーチャイルドは、あなた自身が、自分にとっての、受容性に溢れた優しい母親になってくれることを望んでいます』と語られていたのが大きなヒントとして刻まれていたので、許すことが心境的に容易になりました(ありがとうございます!)。自分を育てるという意識が芽生えてきました。



そうしたら、起こる事象(現実)に対しての気持ちが全く変わってきました。起こった現実をそのまま受け入れようという気持ちが芽生えました。勿論、不快なことは不快なままです。でも「現実は私自身が創っている」のだから、同じように「許して受け入れる」以外の選択肢はないのです。現実(鏡に映った自分)をコントロールしようとするのは、現在のありのままの自分への否定になってしまいます。また負のスパイラルに、戻ってしまいます。


そこで必要になるのは、「忍耐(火星の粘り強さでしょうか)」と「信頼」です。自分の中の光を信じる。そして光が育ち、ごく自然に快適さを現実に反映させられる時がくるまで、許して愛し続ける。9次元のナディでウリエルが最後に『あとは自分を信頼すること』とおっしゃっていたのは、このことかしら?と思ったり。忍耐の時、自分への信頼を育てている気がします。



そしてもう一つ。許し続けていたら、新たに芽生えてきたものがあるのです・・・。そう、それは「自由」の感覚です!今までは無意識にも意識的にも「ああするべき、こうするべき(そして最終的に何もできなくなる)」と自分を24時間体制で監視してきたわけですから、それをやめれば、当然私は解放されます、私から・・・って、ダジャレみたいですけど。確かに心が軽やかさを取り戻しつつあるような気がします。



心の軽やかさとともに余裕が出てきたのか、「楽しむ」という感覚も少しずつ出てきています。どう世界(自分の鏡)が変化していくのか、「天国のエッセンス」の具現までの道を最高の冒険として楽しもうではないか!みたいな(笑)。そこから生まれた流れで、以前のヴィーナス「多様性の受容」と「地上の遊び場」が頭に浮かびました。この時のエネルギーは、理論は分かるけど「ううう、分かりたくない〜」とエゴが拒否していた叡智でした。それが実感としてスッと心に入ってきました。


全ての人が、地上の遊び場で、3次元の冒険という遊びを一緒に遊んでいる。
でも、冒険の道筋・遊び方はそれぞれ。それこそがこの遊びの醍醐味。だから他の人の遊び方にケチをつけるなんて、ナンセンス。
そしてこの冒険が、慈悲のエネルギーの「月の女神学校」で語られた『そして、間違いを犯しました。許されるために。』をその道筋に含んでいるのならば、自分の冒険あるいは他者の冒険の途中、一局面を切り出して、ジャッジしたりするのは全く無意味。
冒険の途上、自分が地獄の幻想から抜け出そうと決めた時、地獄を選び続けている他者を見て、その「苦しみ」に同情して「救ってあげたい」と思うかもしれないし、あるいは地上に地獄を投影し続ける人に苛立ちを覚えるかもしれない。でも、これもナンセンス。
彼らが叡智のためにどれだけの地獄を選んで冒険しているのかは、他者からは分からないのだから。
だから、地獄から目覚めるのが早ければ早いほど良いとか、優れているという問題でもない。個人にできるのは、宇宙の一部である自分という領域を癒して天国にすることによって、全体に奉仕すること・・・いつもこの心境を維持するのはかなり難しいのですけど、というかまだほとんど出来ていません(汗)。



以上のような流れは、『反転させて、おさらい(復習)』『元旦から、15日までの期間は、9次元と、12次元の繋がりについての学びのエネルギーが、天界から降り注ぎます。』ということで、天からとても助けられている気がしています。一時は逆ギレしまして、マスター達は「宇宙の源泉のエネルギーは愛」というけれど、それは本当なのか?と本気で疑っていたくらい、負のスパイラルにはまり込んでいました。マスター達への信頼と敬愛は心に根を下ろしていたので、じゃあマスター達が何故そんな事を言ったのかというと、「方便」ではないかと思ったのです。宇宙は「無」であり、「愛」を選べば「愛」が反映され、「怒り」を選べば「怒り」が反映される。どちらを選ぶのも「自由」だけど、「愛」を信じているマスター達は、宇宙は「愛」だと表明しているんじゃないかと疑ったのです(めちゃくちゃな論理ですが)。でもその疑いも、一連の流れの中で氷解しました。私は「愛」というと、どうしても恋愛・家族愛・友情というコッテリしたものを思い浮かべてしまって、宇宙が「愛」なら、なぜこんな地獄を放置しておくのだ!それは愛していないからだ!というお決まりの論理展開をしてしまったのです。が、「地獄」を選んでいるのは自分自身であること。そして、宇宙は究極の愛、相手を束縛せず自由にし、全てを許す愛で、選択の自由、創造の自由を私(全ての人)に与えている・・というのが分かって、「宇宙は本当に愛だった〜!!」とそのはかりしれない愛にひれ伏したくなりました。私という人間も現代社会も、この宇宙に、宇宙の愛を源泉としていないものは存在しないのですね。


史衣さんの色々な記事を読んで、自分に起こっている事が本当にその通りの変化なので、何だか夢みたいに思ってしまいます。まだ萌芽の段階ですけど。今年は、去年の学びを定着させる年ということ。今までの様々なガイダンスメールやブログの記事を読み返すと、以前とは違った感じで心に響き始めています。ワクワクします。去年の学びが定着したら、凄いことですよね〜♪今の時点では想像もつきません!


昨日の「嫌悪」と「怒り」についての記事、すご〜く心に沁みました。心に刻んで、「自分に甘〜く、ゆっくり」頑張ります♪