ラブ&アバンダンス特別シェア

「ラブ&アバンダンス」トランスミッションは、個人的課題に対してのやりとりのため、シェアは基本的に行わないのですが、こちらのかたの課題は、個人的な内容に偏らないものだったということと、叡智としての受取が、みなさんにも参考になるということで、特別にシェアさせていただけることになりました。せひご参考ください♪




8日のラブ&アバンダンス版マスタートランスミッションに参加させていただきまして、ありがとうございました。レポートを送らせていただきます。


9時台は普段通りの生活をしながら、10時台は部屋に1人でこもって、どちらの時間帯も思いついた事をノートに書きとめながら、課題について、考えました。途中何度か、サナトクマラのリコメンドを読み返しました。



課題『何故私は世界を信頼して、ありのままの自分でくつろいで存在することができないのでしょうか?』


悪い芽(結果)が出ることを怖れて、その可能性を排除するために、全ての種を蒔くことをやめてしまった不毛の大地。それが今の私だ。悪い結果ばかりにフォーカスし(怖れ)、良い結果を自分に許可しなかった。だから常に悪い結果を避けようと緊張し、その対策を考えているばかりで、その瞬間瞬間を楽しむことができなかった。



悪い結果を考え、それに対しての防止・対抗策を考えて「安心感(くつろぐ)」を得るのではなく、良い方向へ行くと信頼して「安心感(くつろぐ)」を得て、それに向かって真摯に努力するためには、どうしたらよいのか?それには『許可』なのかな〜とぼんやり思う。



『怖れを手放すことは、大切なことだ。けれども怖れを嫌う必要はない。それは、今まで、あなたを守ってきたことも、また真実なのだ。』このメッセージは、トランスミッションが始まるまではあまりピンとこなかった。しかし、トランスミッションが始まってから読み返した時、その視点の新鮮さに、自分の心の中に新たな光が一条射したような感じを覚えた。



怖れを原動力に頑丈な鎧を仕立て上げ、私はこれまでそれに守られていた。大して酷い目にも合わず、同時に、天にも昇るほどの気持ちを味わったこともないが、穏やかな日々だった。この時間を私自身が必要とし、宇宙はそれを実現してくれたのだろうと思う。その事に対する、静かな感謝が湧いた。鎧の中で私は癒された。鎧を脱がなくては、と気づく程度には。



そろそろ何かを育てたい、そのためには勇気をもって鎧を脱ぎ、種を植えなくてはならない。愛と豊かさの流れ(受けて、送り出す)に参加する意識が必要だが、「〜したい」と願っていると、ただそのままの状況が反映され、願いは叶わないと聞いたことがある。『許可』と「願う」ことは違うのだろう。つまり・・・?



今、「もう願いが叶っている」としたら、どんな気分だろうか?と考える。答え→「満ち足りた気分」。


そこで、ちょっとそれに浸ってみた。それは、「おっかさん」的な、何でも受け止める受容性や、虹のような、全ての色を含んだ片寄らない気持ちのように思えた。愛と豊かさに満ちた気分でいると、それ以外の何ものにも侵害されることもないから、「ありのまま」でいることができる。


「もっと」と望むのは、欠乏した状態を『許可』する事。だから、愛と豊かさの前提には、「私はすでに全てを持っている」という意識がある。不完全なものの中に完全さを感じる事。私自身が宇宙であり、また宇宙の一部である事。「ありのまま」でいれば、その完全さが自ずと現れる。それが内なる叡智につながる道。



『許可』は、ハートを開く事なんだなぁと思う。そうして初めて、宇宙は命を得て輝きだし、魔法のような姿を目の前に現すことになるのだろう。自分にどれだけ愛と豊かさを『許可』できるかで、自分が受け取れる愛と豊かさは決まる。全ては自分で決定している。愛と豊かさに満ちている心は、全ての存在に愛と豊かさを見る。それは、他者や物事のそういう側面を見る(チャンネルを合わせる)ことができるって事なのかもしれない。現在の自分に必要なもの・不必要なものの判断をしつつも、愛と豊かさを失わずにいる心(全てに学びがある)。



宇宙を信頼して、どこまで愛と豊かさを現実に表現できるか…。怖れでコーティングせずに、どこまでありのままの自分(愛100%:笑)を発現できるかが全て。


ただ、これから怖れを抱いたとしても、それもそのまま受け入れようと思う。それが現時点での自分の姿だから。そしてまた、感謝し手放せば良い。


一方で『許可』は難しい、と改めて思う。

私が例えば海で溺れていて、そこに救助の人が来た時、「助けてほしい」という一心でその人に全力でしがみついたら、おそらく助からない。でも、「助けてもらえる」と信じて委ねることができたら、救助してもらえるだろう。やはり「信じる」ことが、『許可』なのか?



「助けてもらえる」と信じて委ねる気持ちを想像してみる。答え→根底にあるのは、「満ち足りた気分」。


満ち足りた状態で、知性・理性を使う。それが道なのかもしれない。つまり、「委ねる」というのは、自分の意志を明け渡すのではなく、意志をもってして「委ねる」という状態を意味するのだ。


満ち足りた気分で落ち着いていたら、ありのままの自分(真の自己)がみえてくるかな?と希望を持つ。また、「満ち足りた気分」が鍵(私にとって)なのだから、「愛と豊かさ」の『許可』と経済的問題は、本質的には何の関係も無いのだと分かった。


10時30分が過ぎて、もう一度リコメントを読み返す。そして、「いわゆる不幸な状態でもいい。精神さえ豊かであれば」的な、限定的な状態に自分を置こうとしている部分がまだあることに気づく。リコメンドにあるような、あらゆる幸せを自分に許可しようと思う。生活の全てが愛と豊かさに満ち溢れるような幸せを自分に許可しよう。



11時からのアチューンメントはとても強いエネルギーだった。ちょうど12時頃に、ヒーリングは終わったように感じた(ありがとうございます)。



翌日は、トランスミッションが素敵な時間だったのに、自分が何も変わっていないような気がして、軽く憤りを感じる(本当にすみません!)。そして気づく。昔流行った「シンデレラコンプレックス」のような依存心に陥っている自分に。


「いつか王子様が…」ではなく、「いつか高次の存在が全てを素晴らしい方向へ変えてくれる」という依存心。でもリコメンドにあったように、『許可』を与えるのは、自分以外の何者でもない。他者にそれをしてもらうのであれば、それはもう自分の人生と言えない。



毎朝引いているソニア・ショケットさんのオラクルカード。この日に出たのは、「鍛錬」のカードだった。カードの説明には、『そこには、近道も、迂回路も、無料のランチもないということです。成功するための唯一の道は、鍛錬し、やり続けるということです。』という一文があった。引いた時点では何とも思わなかったが、一日の終わりになって(汗)フラッシュバックして、ハッと我に返った。



翌々日から、自分は幸せになれると信じて、自分を幸せにするための行動を少しずつ始めた。が、気持ち的にも体調的にもやる気がでない感じで、本当に少しずつであった。自分を満ち足りた気分にするために、まずはすぐにできる部屋や体の事から・・・。



以上のような感じで、『怖れの手放し』と『許可』の最初の1歩を確実に踏み出せたことを感じます。ちなみに体調・気力共に、今はほぼスッキリしています。恩知らずな自己中心振りを発揮して(すみません…)、まだまだ「愛と豊かさ」から遠い自分に気づきつつも、でもそれに向かって進む意識がしっかりと心に根付いているのを感じます。そうやって進む道が、私の課題への答えを示してくれるのではないかなと思います。このレポートをまとめながら、また日々の生活の中で、トランスミッションで与えられた学びを、「あ、そうか」と実感を持って、さらに深く理解できた事が度々ありました。学びは続いているという事ですね♪楽しいです(笑)。


月の女神学校後の、サナトクマラや史衣さんのリコメンドを心に刻み、リラックスしてトランスミッションに臨むことができました。ありがとうございます。そして、本当に素晴らしい学びの時間を過ごさせていただき、新たな扉を開くことができました。心から感謝します。ありがとうございました。


これからも、1つずつ「怖れの手放し」と「許可」を繰り返し、ありのままの自分に辿り着きたいと静かに決意することができました(笑)。今回のトランスミッションで私の心の暗闇に射した光を一言で言うならば、「希望」です。長らく、この光に触れていなかったような気がします。ありがとうございました。