自分を知ることは、自分を大切にすること

今、この写真のお花のようなマゼンダピンクにとても惹かれています。


ソファのクッションも、最近マゼンダに模様替えしてみたくらいです♡


この色で、少しづつ眠りから醒めればいいのですが、深〜い所を見ているのだと思っていますので、焦ってはいないのです。深く見る、自分を深く知るということは、自分を大切にするということなのだなと最近、改めて感じています。
みなさんからのスタディシェア等を拝見させていただいて一層強く感じます。みなさん「ナディ〜」とかは、本当に大変な部分もあったと思うのですが、自分を深く見ることによって、みなさん、自分を大切にする方向に向かっていらっしゃるなと思うのです。




さて、それでは、僭越ながら、今回のナディとヴィーナスの総括のようなものを少し書かせていただこうと思います♪



「心の詰まりが取れると流れ始めるんだ」
「安定感を増したような、自分の柱が少し太くなったようなそんな感覚」
「私たちは、本来もっと自由で、可能性があっていくらでも新しく人生を選択できる」
「マスターの存在を身近に感じることができた」
等のみなさんも第一回から続けてくださったかたからは特に前進したというようなコメントを頂いたと感じました。継続することの意味というか、流れの定着を感じました。



またマスターを身近に感じることができたというのは、すごくマスターたちが望んでいることだし、喜んでいると感じます。(これはあとで、マスターからのメッセージメールの感想としていただいたものもアップさせていただいてご紹介させていただこうとも準備しております。ご協力いただければ幸いです♪)



オーラソーマのボトル49番のことを書いてくださったかたもいましたが、わたしもオーラソーマも学んでおりますので、少し補足させていただくと、49番のつぎのボトル50番からマスターのボトルが始まるのです。エルモリア、クツミ、レディナダ、ヒラリオン〜と続いてゆきます。マスターへの学びのスタートが49番であり、つまり49番は、7次元およびシャンバラの入口になるのかもしれません。




女性性の傲慢さ、優越感、万能感、力の誤用をしないということについても書いてくださっていたかたがいらっしゃいましたが、このテーマは、わたしも本当に痛感しています。


「わたしも、そうでした!」

と本当に思うのです。



「ハートに沢山の痛みを引き受けることで、力の誤用をしない共感力を磨いてきた。」


とも書いてくださっていましたが、本当にこれが真実だったのだろうと感じます。





また、
「わたしは、聖母に焦がれると同時に嫌いだったのだと認め苦い涙を流しました。処女マリアの純潔は、わたしにはほど遠く現実的なリアル感のない女性の自由を奪う絵に描いた餅だと思って生きてきました。美しすぎるマリアに嫌悪を抱いていた自分を認めてお風呂でひとり、泣きました。」

と書いてくださったかたもいらっしゃいましたが、これも、わたしも本当にそうで、かつては


聖母マリア大嫌い」でした。


そういうイメージや役割を押し付けられるようなことが多かったので余計でした。けれども、今は、聖母マリアのことが好きでむしろ慕っています。それは「ナディ〜」を通して、その存在の意味を学んでいったからにわたしも他なりません。


「あなたがたは、母親(女性)を無意識に恨みます。なぜなら母親は、あなたに無条件の愛を与えてくれないからです。そして完璧でない自分の女性性も愛せなくなります。」


まさにこれを地でいっていましたので、この言葉に癒された部分が大きかったです。




他のかたもイエスが嫌いだったとか書いていらっしゃいましたが、嫌いと感じるマスターは、むしろ、縁が深いマスターなのかもしれませんよ、笑。ちなみにわたしはサナトクマラも嫌いでしたから、笑。


さて、それで、ナディ4回行ってきたまとめとして、マスターのガイダンスメッセージを再度皆さんが読みやすいようにアップし直そうと思っております。読みやすいように、最後に1回目をアップします。上から順番に読めるように。


それでは、以上です。ありがとうございました♡