第三回ナディマスタートランスミッションスタディシェアi(6次元)

第3回ナディトランスミッション 感想とレポート



今回のナディの詳細案内を史衣さんのブログで読んでから、ミカエルの存在を近くに感じました。私の場合、ミカエルの存在を明確に感じるときには、直後に大きなリリースがあるので、今回のナディも参加したらきっとそうなるだろうな、という感触がありました。


結構好転反応がきついかも、と案内にありましたが、男性性の癒しがテーマなので、わたしには絶対に必要だと思いました。前に進みたいけど、進めない。。自分でも歯がゆい状態がもう何年も続いていて、なんとかしたいと思い続けてきたのですが、これは男性性が傷ついているのかな?とも感じていたからです。


そして21時、トランスミッション開始。ふと新聞のテレビ番組欄を見ていたら「ゴースト」という言葉が妙に目につきました。「ゴースト?? 幽霊?」と疑問に思ったのですが「自分の影??」と思いつきました。意味ははっきりとはつかめず。。


その後、部屋に飾ってあるオーラソーマのボトルが目に入り、急にオーラソーマのリーディングを試したくなり、PCを開きました。そして選んでいたら、急に心臓が苦しくなりました。心臓をわしづかみにされているような苦しさ。。突然だったので、ほんとに驚きました。


もちろん心臓の病気などはありません。どうやら、浄化のために焚いていたセージの香りと、オーラソーマのボトルの色がひきがねになったみたいで。。なんの感情もなく、ただ心臓が苦しい!!という状態がしばらく続き。。その状態の中でボトルを選んだところ、「赤」の色を持つボトルを選んでいました。


赤を選ぶのは初めてで。。ちなみにキリストと、風の中のキャンドルというボトルでした。。ボトルの赤色を見ながら「血の色だ。。」と思っていました。



こんな状態で22時を迎え、思索に入りました。心臓の苦しさは一度すっと消え、静けさが戻ってきていましたが、マスターたちに「どうしても前に進んでいきたいか、この機会に私が感じなければならないことは全て感じさせてください」と自分の気持ちを正直に話し、お願いしました。



すると、また強烈な心臓の苦しさがよみがえってきました^^;; ほんとに心臓が苦しくて苦しくて、、ぎゅっとつかまれているような苦しさです。そして今度は天に向かって叫びたくなりました。

「どうしてこんな試練をお与えになった!もう立ち上がらなくていい。立ち上がらなくていい。深く決めた。深く決めた。」と。。まるで鉛を飲みこんだみたいに胸が重い。。


このときに「ベースは天の愛」という言葉がふっとうかび、、マスターに「感じつくしなさい」と言われました。


非常に深い絶望。天を恨んでる。どうして天は私を裏切った。。怒り、憤り。私はもう立たない。立ち上がらない。信じられない。深い絶望。。思わずマスターに助けを求めました。すると「大丈夫。何を思ってもいいんだ。何を感じてもいい。天の愛はそんなことでゆらがない。安心して感じきりなさい。そしてどんなことを感じても罪悪感を持たないこと。それが二重の苦しみになっているから。弱さは強さでもある。決してやみくもに突き進んでいくことが男性性の強さではない。男性性と女性性は表裏一体。。(やわらかさも持ってるということ?) どんなことがあっても天の愛は揺らがない。だから安心して進みなさい」というようなニュアンスがやってきました。


私は天の愛を失っていると感じることが怖かった。絶望を味わうことが怖かった。無理してでも進んでいくのが男性性の強さだと思っていた。でもそうじゃない。強引に進んでいくことが男性性の強さじゃない。「どんなことを感じてもいい。天の愛はゆらがない」カラカラに乾いていた私の男性性のカップが満たされるには「愛を信じること」が必要なのかもしれない。天の愛、そして女性性のサポート。そうだ、安心感。。「ベースは天の愛」ってそういうことだ。天の愛がベースにあるということが信じられれば、安心して進んでいくことができる。。いつのまにか心臓の苦しさもすっかりなくなりました。


ここまできて23時になり、横になりました。今回は眠くならなかったのですが、背骨付近を施術されている(と感じた)ときに寒気がしたので「もう寝てしまおう」と思い、眠りにつきました。


そして一晩たった今、感じているのは、「安心感」です。”どんなことを感じてもいい。天の愛はゆらがない”という学びは私にとってとてもとても大きなものでした。天が私を裏切った、という過去世での思いは今まで何度も出てきていて、その都度リリースしていたのですが、まだ残っていたというか、今回一番強烈に出てきました。まだあったのか。。という気持ちです。。それだけ傷が深かったのだな。。そして、この気持ちを感じること自体にも罪悪感を感じていたため、リリースしきれなかったのかもしれません。でも今回、「何を感じてもいいんだよ」という許し?をいただけたことによって深く安心できた。ということなんだと思います。


天の愛はとてつもなく大きい。。私が何を感じてもすべて受け容れてくれるような深さ。。なんだかハートがゆるんでくるようです。。



どうして私がこういう役割を選んだのか。それははっきりとはつかみきれませんでした。天の愛の大きさを心底感じるため・・?? 私の場合は「安心感」を感じることが何より大事だったのかもしれません。どうしてもまとまらずにそのまま書いてみました。長文になり、すみません。今回も大切な学びをありがとうございました。



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トランスミッション中に感じた痛みの意味を後ほど、自分で探究してみましたので、報告しますね☆ナディトランスミッションは、とても大切な学びの場です。ありがとうございます!!



安心感を感じながら、先日トランスミッション中に感じた痛みの意味、 役割の意味について、探究してみました。まずうかんだキーワードは、「贖罪」「雨乞い」「パワーの誤用」「懺悔」。。。


トランスミッション中、痛みが湧き上がってきたきっかけが、 セージの香りと「赤」色(=血を連想した)だったため、 もしかしたら痛みを体験した生はネイティブアメリカン時代のこと なのかと思いました。ネイティブアメリカン、、 私は何度も何度も経験しているようです。


以下は感じた情景です。たぶん、こんな感じだと思います。。
私はネイティブアメリカンの神官だったようだ。 自分たちの住んでいる土地に雨が降らなくなったので、 土地を移動しようかどうしようか、という話しが持ち上がる。 私はその時、「移動しなさい」という天の声を聞き、それを皆に半ば強引にすすめた。 「絶対に間違いはないから」と・・。 しかし、移動した土地で悲劇は起きた。 私が祈りのために皆から離れていたとき、皆は殺された。 戻ってみると、何もかも終わったあとだった。。。 私は天の声を聞き、それに従ったのに どうしてこんなことになったのかと天をなじった。 そして自分もその場で皆の後を追った。。


どうしてこんなことが起きたのか?その意味がわきあがってくるのを待ちました。 まず、私は大勢の人を殺したことがあるらしい。。 その時は自分が正しく、それが当然と思っていたので、 殺した人の苦しみ、残された人の痛みになど、全く考えが及ばなかった。 今回のことは、その痛みを自分にわからせるために体験したのだと。。 殺されてしまった人は私のソウルメイトだったんだと思う。 目の前で死んでしまったことによって、私に大きな痛みを教えてくれた。



私は間違った。 すべて自分で決めて、一人で動かしてしまった。。周りの声を全く聞かず、半ば強引に進めてしまった。。 ひとりですすめるところではなかった。 男性性のパワー?を違った方向で使っていた。 自分の力を過信しすぎていた。。傲慢だった。。 私は、天ではなく、エゴの声を聞いたのかもしれない。 そして引き起こしてしまった、あまりにも重大なこと。。 大きすぎて自分一人では背負い切れなかった。 だから天のせいにした。弱かった。。 自分の過ちを認められなかった。


天のせいにするというパターンは、何度も繰り返している。天のせいにして私は逃げてしまった。。いつもこうだった。。 (あぁ、なんて私はひどいことを。。!!) いま、振り返ってみて、私は命の大切さ、痛みに敏感になること、 男性性とは強引に進んでいくことではないってこと。 弱さ、傲慢さを認めること。。 そんなことに気付かなくちゃいけなかったのかなと思った。



弱さや傲慢さを認めるということは、等身大の自分を見つめる、 ありのままの自分を受け容れるっていうことで。。 それはとても大きなことなんだと、、改めて感じています。 私は、たぶん、自分のパワーを過信しすぎて間違えたこと、 そして逆のパターン、力がないのにあるふりをしていた。。 ということもきっとある。 それは、ありのままの自分を認められなかった、というところから生まれている気がします。


そしてトランスミッション中に「どんなことも感じていい。」と 許可を得たことは、ありのままの自分を受け容れるベースになると いうか、、そこにつながっていくものだと思いました。 わたしの根深い自己不信。。 それを深く癒していけるかもしれないと感じました。