良き戦いを戦う

わたしの3月4日のナディマスタートランスミッションの学びをシェアさせていただこうと思います。消化に時間がかかってとても遅くなりましたが、たぶん今が正しいときなのだろうと思います。


9時からお風呂のなかで瞑想して、温かい雰囲気のなかで始まりました。ふと「星の巡礼」(パウロ・コエーリョ著)が気になったので、棚の奥のほうから探して取り出して、10時から「第五章 メッセンジャー」の章を開いたので、読んだのですが、なぜ、この箇所なのだろうと意味がわかりませんでした。随分読んでいなかったので、内容をほとんど忘れていましたし、本のなかでも結構難解な部分でもあったからです。


そうしているうちに11時になったので、エーテリック施術とヒーリングの受取りに入りました。ありとあらゆる虹色のオーラに包まれて、結構強力にやってもらっているなあ〜と感じていました。そして特長的だったのが、白い光が、頭頂から入ってくる際に、白い薔薇が、脳幹、喉、ハート(胸)、そして第二の子宮に当たる部分に設置されたのです。そしてその白い薔薇が回転しながら、光を放っていました。この白い薔薇って何のメタファーだろう?。けれども、まあ、「白」っていうのは、わたしの特長でもあるし、きれい(浄化)になってゆくってことだろうな(スジュムナー管、つまり中央のナディが)と思い、まあ、今はあまり頭を使うのはやめておこう、あとできっとでわかるし。そんな感じでした。


翌朝になって、すごく良いお天気で、お休みの日だったこともあって、駒沢公園までお散歩しにゆきました。そして持っていたノートに「これから女性として、今までと違った歩みが出来そうな気がしている。落ち着いた歩みを。」などど、そのときの気分をメモしていました。「女性として」とか感じているということは、マグダレンホーリーグレイルのエネルギーかなあ?個人的にはあまり今まで親しんだマスターではなかったので、とか感じていました。とにかく「新しい何かが始まる」そんなフィーリングの中にいました。



で、そんな感じで夜まで穏やかに過ごしていたのですが、夜から事態が急変しました。事態というよりエネルギーがというべきでしょうか?「何かがおかしい」と感じました。
一言でいうと、強烈な恐れの感情に圧倒されてしまったのです。こういうときには、もうガイダンスも何も分からない状態になってしまうので、とりあえず何が起きているのか確認しようと思って、ボトル(オーラソーマ)を選んでみることにしました。1本目31番(グリーン、ゴールド)ファウンテン、2本目61番(ペールピンク、ペールイエロー)サナトクマラ、3本目68番(ブルー、ヴァイオレット)ガブリエル、4本目69番(マゼンダ、クリア)サウンディングベルを選んで、ボトルを見る限りでは大丈夫そうだったのですが、、自分のなかからエネルギーがどんどん抜けていって、その抜け方が強烈で、このままでは、かなり危険な状態になるなと感じました。次の日まで様子を見たのですが、回復できなかったし、その次の日にはスクールの日程だったので、いつもメインテナンスをお願いしているヒーラーさんに急遽遠隔をお願いしました。


それで、出てきていたものは、
中米の文明(多分マヤ文明)の宗教的・スピリチュアルな責任者の過去生〜他民族に侵略され自分を責める。スピリチュアルな理解や、天とはつながっているのに、現実はめちゃくちゃになった(責任感・自己否定)
情報が大量にもたらされる恐怖(受け取りきれないー受け取ったらそれを行動しなくてはいけない責任)


これらの過去生は、自分でもあるタイミングで見ていたものでした。そして、またこのタイミングで強烈に、浄化のためですが、再体験していたのです。「救えなかった、失敗した、わたしのせいだ!」という思いと、「こういう情報を取り扱うプレッシャーは重すぎる」というまさにこの二つで、ファウンテン(泉)を選びながらも、力が抜けていく感覚だったのですが、まさに上から力とエネルギーを受け取りなさい!というメッセージだったのに、プレッシャーだ!という思いにやられてしまい、2本目のボトルというのは、そのときのチャレンジ、乗り越えなければならない課題なのですが、そのときのわたしの本音は、「クマラなんか知らない、もう関わりたくない、あっち行って!」というものでした。本当に最悪です。そしてこんなわたしがコーディネートをしているということが、みなさんに申し訳なくて、逃げだしたくなりました。けれども、3本目はやはりガブリエルで、「メッセンジャー」だったのです。そして、これは深いレベルでの欲望の浄化、サウンディングベル(鳴り響く鐘)へと繋がっていたのです。


ちょうど休養日に重なったときに調子を崩したので、これも天の采配のうちだったと思うのですが、まずは、次元間を行き来する情報を扱うプレッシャーを癒すために久しぶりに「海辺のカフカ」(村上春樹著)を読み返しました。わたしはいわゆるスピリチュアル本でない一般の作家が扱っている次元間の本に一番癒されるようなのです。これらは、特別なことではないんだという安心感をわたしに与えてくれます。そして、この主人公のように、森に入ってゆくことの重要性、自然の癒しの偉大さ、人間なんて実はちっぽけなことで悩んでいるんです。


やっとここまでこれてから、ああそうだ「星の巡礼」と思い出し、読み返しました。と同じタイミングで、みなさんからのスタディシェアが届きはじめ、なによりそれに慰められはじめました。「よかったみんな無事だった」なぜがそんな気持ちになりました。そして、まさに「ファウンテン」のことを書いてくださっているかたもいて、ああ、マリアが、今、大丈夫だからと導いてくれているプロセスなんだとも思ったのですが、まだ「愛の強さ」は、戻ってきていませんでした。こういうときは焦ってはいけないのです。これは経験から学んでいます。焦れば焦るほど回復が遅れるのです。けど焦ってしまうものですよね。


そうして、「星の巡礼」を読み進めるうちに、マスターたちに対する信頼も、少しづつ戻ってきました。まさにこの本は、そういう種類の本だったからです。主人公が、マスターへの道で何度も何度も試され、怯えたり、後悔したり、疑ったり、挫折したりします。そして、この本のトランスミッション中に示された「メッセンジャー」の章で、ある文章に出会いました。


「かつて、島のように孤立している人間は誰もいない、といった詩人がいた。良き戦いを戦うためには、われわれは助けを必要としている。友人が必要なのだ。そして友人が近くにいない時は、孤独を主たる武器に変えなければならない。目的を達成するためには、自分のまわりにあるすべてのものの助けが必要なのだ。あらゆるものが、良き戦いに勝つというわれわれの意思の個人的な表現にならなければならない。もしこのことを理解しないとわれられはあらゆるもの、あらゆる人を自分が必要としていることに気づかずに、傲慢な戦士になってしまう。そしてその傲慢さが結局は、われわれを滅ぼしてしまうのだ。なぜなら自分に自信を持ちすぎて、戦場の落とし穴を見ないからだ。」


わたしの二つの過去生は、まさにここに書いてあることが原因で起こったことだと気がつきました。マヤ文明のときには、自分のスピリチュアルな能力を過信していた。そして、プレッシャーを感じていたときには、自分を助けている周囲の手に気がつかなかったのです。なんでも自分で背負いこむ、それもある種の傲慢さです。


ああ、そうだ、このトランスミッションは、受けてくださるかた、マスターたち、みんなで行っているんだ、苦しい思いをわたしがさせてるわけじゃない。みんなで「良き戦いを戦っているんだ」と気がついたわけです。このなんでも自分一人で背負いこむパターンが、わたしの犠牲のありかただったのです。これはもう止めなければいけないんだ、そしてみんなでマスターになるべく励まし合いながら「良き戦いを戦う」ことこそ、栄光溢れた奉仕なのだ。やっぱりマスターたちはさすがだなあ、笑。


こうして、ひとまずの山を乗り越えたわたしなのでした。
今日は、わたしの誕生日です☆、笑。

白い薔薇の意味は、あとで教えてもらいつつあるので、第一回トランスミッション施術受けていただいたかたはセルフヒーリングに使っていただけると思うので、後日お知らせしますね。