事物に反感を抱くときには、この反感を押さえて、この事物と意識的な関係を築く☆



「神秘学の学徒は、思考しないまま、ぼんやり物思いにふけったり、眺めたりすることがないようにしなくてはなりません。
学徒は、聞きなくないときには、すざまじい喧騒のなかにいても、何も聞こえなくなるように自分を訓練します。
また意識的に視線を向けている事物以外のものは、見ないようにします。
学徒は、あらゆる無意識な印象に対して、自分のまわりに魂的な壁を築かなくてはならないのです。


神秘学の学徒は、このような目標に向けて、とくに思考の営みを念入りに整えていなくてはなりません。
たとえば、ある事柄について考えようとするときには、意識的に完全な自由を保持しながら、その思考を結びつけることが可能な思考のみをさらにつなげていくようにします。
好き勝手な思いつきは退けます。
そして、その思考を何か別の思考と関連ずけようとするときには、注意深くどこでこの別の思考が、最初に思考と結びつくのかを考えます。」
ルドルフ・シュタイナー「いかにして高次の世界を認識するか」)


たとえばある事物に反感を抱くときには、この反感を押さえて、この事物と意識的な関係を築くように試みます。
そうするうちに、無意識的な要素が、学徒の魂的な生活のなかに混ざり込むことは、しだいに少なくなってゆきます。


このようにして、自分自身を育成しながら、さらに霊学の指示に従って、瞑想(内観、全内的統合)を行うならば、みぞおちの辺りにある十弁の蓮華は、正しい方法で成熟してゆきます。

そうなると、私たちがすでに述べたような霊的な感覚器官を通して、形態と暖かさとしてのみ捉えていたものが、霊的な光や色彩を帯びるようになります。
そうなると、たとえば、その魂の資質や能力、自然のなかの力や、隠された特性が姿を現します。
またそのことによって、生命存在の色彩のオーラが現れ、私たちのまわりに存在するものは、その魂的な特性を明らかにします。」


以上が、十弁の蓮華(=第三チャクラ)の機能のゴールです。
シュタイナーは、オーラを見る機能は、第三チャクラであると以上のように規定していますが、わたしも経験上、そのようであると感じます。


とにかく、霊的な能力を上げるということは、通常の認識よりも、情報量が圧倒的に増えるということを意味します。
ですから、それに備えるためにも、ミカエルの助けを受けて、わたしたちの不適切な情報のフィルターを外してもらうこと、これはとても大切なことだと思います。


「私たちは、外界から作用を及ぼしてくるものを支配しなくてはなりません。
つまり、私たちは受け取りたくない印象は、実際に受け取らないことができるようにならなくてはなりません。
このような能力は、強固な内面生活を通してのみ、育成することができます。

私たちは、意思を訓練することによって、自分が注意を向けている事柄の作用のみを受け取るようにします。
私たちは、自らの意思で、注意を向けている事柄以外は、避けなくてはなりません。

私たちは自分が見ているものは、実際に見ようとしなくてはなりません。

また自分が注意を向けるべきでないものは、私たちにとって事実上存在しないようにならなくてはなりません
魂の内面的な活動がエネルギッシュで生き生きとしたものになればなるほど、私たちは一層、このような目標を達成できるようになります。」


「すでにおわかりのように、このような領域において、霊的に進歩する際には、私たちは、最大限の注意を払わなければなりません。

なぜなら、この領域では、私たちのなかの無意識的な記憶が、とても活発に、遊戯的に作用するからです
もし、そうでなかったら、多くの人が、ここで述べているような霊的な感覚をすでに獲得しているはずです。
私たちが、自分の意思で対象に注意を向けたり、向けなかったりすることをとおして物質体の感覚と結びついた印象を支配できるようになると、ほとんどすぐに、このような霊的な感覚が現れます。
外界に向けられた物質体の感覚の力によって弱められ、鈍らされている間は、このような霊的な感覚は活動しません。」
ルドルフ・シュタイナー「いかにして高次の世界を認識するか」)