痛みの受容による昇華と希望と12次元☆
当サロンのワークとして、完全に癒された母性のエネルギーとして位置付けているのが、≪聖母マリア≫と≪観音≫です。
これら高次の癒された母性を支えている次元は、12次元なのです。
≪観音≫のご説明のときに、いつもご紹介するアインシュタインの言葉、
「自分の熱烈な望みが叶うのは、
人間と動物と、植物への
愛と理解を獲得して
あらゆる喜びが、
自分の喜びであり、
あらゆる苦痛が、
自分の苦痛であると感じることが
出来た場合だけであるということを、
知っているだろうか.....」
それを生きるために、わたしたちは、痛みを受容することの試練に遭う。
そして、それを乗り越えさせるエネルギーが、12次元の愛のエネルギー。
たぶん、ただの自己実現だったら、11次元の天国の次元までで、全然良くて、それ以上の次元上昇は、必要ない。
でも、なぜ12次元なのか?といえば、そこが、自分だけではない、誰かを癒す愛の次元だから。
愛は、本質的に、自分だけに向くものではない。
愛は、自分を満たして、さらに広がり、他者(人間だけではなく)をも満たして、さらに自分に返ってくるという性質がある。
自己実現だとベクトルは、自分に向いているけれど、愛は、ベクトルが自分以外に向いて、更に自分に返ってくる「循環」。
その「循環」に、もちろん自己実現も含まれてきちゃうから、一隻二丁なのだけれど、愛の質としては、そう簡単ではありませんね。
でも、わたしたちは、愛ゆえに、犠牲や、苦難や、病気やらを選ぶこともある。
「スプートニクの恋人」のなかでミュウの独白がまさに、自己実現と愛の見解を語っているように思いました。
「ミュウは穏やかな声で続けた。
’強くなることじたいは、悪いことじゃないわね。もちろん。
でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった、幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。
健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。
わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。
不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。
当時のわたしの人生観は確固として実際的なものではあったけれど、温かい心の広がりを欠いていた。そしてそれについて注意してくれるような人は、まわりに一人もいなかった。’
’とにかく一流のピアニストになりたいという思いで頭がいっぱいで、まわり道や寄り道をすることなんて考えもしなかった。自分になにが欠けているのか、その空白に気がついたときにはもはや手遅れだった。’」
本当には手遅れなんてないのかもしれません。
いつでも、12次元のエネルギーは、そこにあって、望めば、わたしたちの元に降りてきてくれる。
わたしは、今は、そう信じているのです☆
でも、そのためには、痛みの受容が必要で、まさに、12次元の愛を手にするために、痛みがある。
苦しい時には、忘れがちなのだけれど、忘れないようにしなければ。
自分に、自分のナディに定着させたい、そんな風に思います。
そうしたら、自分のナディから溢れて、周囲の人を満たす可能性も出てくるのですよね?
だから、わたしにとっては、苦しいときにこそ、必要なエネルギーが、いつも12次元ナディで、そこに辿りつくと、落ち着き回復する、そんな感じです☆
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